村上春樹に教えられた戦争の歴史



 村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』では、ノモンハン事件を題材としていた。昔から歴史が苦手で、とくに昭和の歴史はすっぽり頭から抜けていた。大人になってからだいぶ補ってきたけど、いまだに実感を持てないでいる。そんなおりにちょうどいい番組をやってくれた。(8月17日、NHK「60年目の”ノモンハン事件”」)

 最近ソ連側の極秘資料が公開されて、さまざまな新事実が分かった。両軍の衝突は1939年に起こった。ドイツ軍のポーランド侵攻以前に決着をつけたかったスターリンは、戦場へ大軍を送り込んできた。それに対して日本側の関東軍は、緒戦の優勢に味をしめて戦車に肉弾戦を繰り返し結局大敗した。のちの太平洋戦争と似たパターンだ。そして日ソともに多くの死傷者を出し、日本側の死傷率は76%という異常な高さだった。これは事件なんかではなくれっきとした戦争である。ソ連とモンゴルの連合軍に関東軍が勝手に仕掛けて、コテンパンにやられてしまったというのが実態である。

 一番かわいそうなのは、なんといっても戦場にされたモンゴルだ。ふるさとの地を戦場にされ、ひとつの家族が異なる国に分かれて戦った例もある。あるものは満州国兵士として、あるものはモンゴル側の兵士として。まさに骨肉の争いを強いられた。また、モンゴルでもソ連の圧力で30人に1人が処刑されたという。スターリンはよその国にまで粛正させていたのだ。

 もう一つ哀れを感じるのは、日本軍捕虜のことである。停戦が成立した後、日本への帰国を拒否した人がいるという。なぜなら帰れば将校は自決させられ、兵士でも冷たい扱いを受けるからだ。それなのにこんな無謀な作戦を指揮した参謀たちは、責任を問われることなく、後に大本営に入っている。中間管理職が首を切られ、役員は生き残る現代のリストラとそっくりだ。

 一方ソ連の兵士もかわいそうだった。兵士の逃亡をおそれた現地の司令官は、戦車の出口をロックしてしまった。閉じ込められた兵士は、日本兵士が投げつける火炎瓶で火だるまになった戦車の中で焼け死んでいったそうだ。こういう状況を作り出すのが、戦争というものなのだろう。

(1999-08-30)