対談できる人は、頭がいい?対談して本にまとめる対談本が多いのは、日本の出版界の特徴らしい。そんな対談集を読んでみた。 辺見庸と吉本隆明の『夜と女と毛沢東』。吉本氏は、亡くなった中上健次などのもの書きに人気があるようだが、私はあまり読んだことがない。でも読んだ範囲では、社会評論的な文章よりも、良寛などの詩人について書いた文章のほうが、鋭いしプロフェッショナリズムを感じる。 さて、対談集のほうだが、「毛沢東」、「夜」、「女」、「身体と言語」と4つに別れている。この中では、「夜」が一番いい。少し引用してみる。 辺見:「著しくジャーナリズムとメディアの視力が落ちている。作家もそうですね。弱視ですね。弱視状態ですよ」その他には、中国に関する記述が多い。たとえば、毛沢東は皇帝であった。中国が2020年には3つの政府に分かれ、多くの難民が日本に押し寄せるというBBCのシミュレーションがある。中国の食糧輸入が増え、世界中で食糧不足になり、日本が一番あおりを受ける、などなど。 私が新聞を読まない理由を、元共同通信の記者だった辺見が、裏付けてくれている。辺見の新著『新・屈せざる者たち』では、ジャーナリズム批判を連発している。とくに朝日新聞社はボロクソ。 もう一冊は、『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』。今度は少し長い引用を。 村上:「ぼくらの世代が六○年代の末に闘った大義、英語でいうと「コーズ」は、いったいなんだったのか、それは結局のところは内なる偽善性を追及するだけのことではなかったのか、というふうに、どんどんとさかのぼって、自分の存在意義そのものが間われてくるんですね。すると、自分そのものを、何十年もさかのぼって洗い直していかざるをえないということになります。」この最後の河合の指摘は、日々治療に当たっている実践者の言葉だけに、ずしりとした重みを感じる。 二つの対談集を読んでみて、村上・河合コンビの圧勝である。村上氏のまじめさには共感を覚える。 ふだん小説は読まないので、作家が小説のことを語るのを読んでも、ただつまらないだけのことが多い。しかし、これは違った。『ねじまき鳥クロニクル』を読んでみたいとさえ思った。 この小説は、題材として「ノモンハン事件」を扱っている。モンゴルでは「ホロンバイル草原のハルハゴル戦争」と呼ばれている。関東軍がコテンパンにやられて2万人近い死者を出した。大本営は、この戦争から何も学習できずに、本格的な戦争に突入していった。私は、この程度の知識しか持ち合せていないが、村上の小説ではどんな展開が待ち受けているのか、なんとなくおもしろそうな予感がする。
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