無知の知自分にとって知とは何だろう、と考えたことのない人にとって、この本を理解するのはむつかしい。なぜなら、この本は橋本治という作家の身体の知について書かれているからだ。 「自分の身体は頭がいい」と思っている。私は自分の脳はあまり信用していないが、自分の身体性だけは、全面的に信用しているのである。どうして自分のからだが信用できるのか。それをセーターの本を作ったときの話、ドラマを作ったときの話、枕草子を訳したときの話で説明している。彼にとって大切なものは、身体と経験と友人なのである。 身体とは「思考の基盤」で、経験とは「蓄えられた思考のデータ」で、友人とは「思考の結果を検証するもの」である。身体と経験と友人の使いようが、「わからない」を「方法」にする脳みその優位性を否定するところは、養老孟司と同じ。問題は、どうやってそういうからだを育てるかだ。そのあたりは、鳥山敏子に聞いてみようか。
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