作家の紀行文『ねじまき鳥クロニクル』の第2部には、ノモンハンや満州のことが書かれている。執筆後の1994年6月に現地を訪れて書いた「ノモンハンの鉄の墓場」が、村上春樹『辺境・近境』に収録されている。 満州側からアプローチした章(ハイラルからノモンハンまで)よりも、モンゴル側からアプローチした章(ウランバートルからハルハ河まで)の方がおもしろい。 まるで相撲とりみたいな将校がジープで戦場跡を案内してくれる。何の目印もない草原ゆえ、案内人がいなければたどりつけないだろう。 ノモンハン戦争の跡地には、ソビエト軍の戦車がうち捨てられていた。その上に乗ってポーズをとっている写真が表紙に使われている。乾燥した大地ゆえ錆びず、辺境ゆえに屑鉄として持ち去られることもなく、保存されてしまったものだ。 スンブルにある戦争博物館を見学してからチョイバルサンに帰る途中で、将校が一匹の狼を見つける。その追跡劇が、この文章のハイライトかもしれない。 あとがき代わりの「辺境を旅する」では、メモのとり方について書いている。 日ひちとか場所とかいろんな数字とかは、忘れるとものを書くときに現実的に困るから、資料としてできるだけ丹念にメモしておきますが、細かい記述とか描写はなるべくなら書き込まないようにする。むしろ現場では書くことは忘れるようにするんです。記録用のカメラなんかもほとんど使いません。そういう余分なエネルギーをなるべく節約して、その代わりこの目でしっかりいろんなものを見て、頭の中に情景や雰囲気や匂いや音なんかを、ありありと刻み込むことに意識を集中するわけです。(p297)マンガ家の取材旅行ではそうもいかないが、できればカメラなしの旅をしてみたい。 だいたい帰国して1ヶ月、2ヶ月たってから文章を書き始めることが多いですね。それくらいインターヴァルを置いたほうが結果はいいみたいです。そのあいだに沈むものは沈むし、浮かぶべきものは浮かぶし。そして浮かんだものだけがすっとうまく自然に繋がっていくんです。そうすると文章にひとつの太いラインができてきます。忘れるというのも大事なことなんです。(p298)これが作家からのアドバイスだ。子どものころから、ヘディンとかの辺境旅行記を読むのが好きだったのだとか。私もときどき旅行記を読む。 マルコ・ポーロが中国で宮廷に仕えたのに対し、『三大陸周遊記』を口述したイブン・バットゥータはインドの宮廷に仕えた。2大旅行家が活躍した14世紀は、モンゴルとイスラムが栄えた時代だった。てなことをあらためて発見する。 ちなみに『土佐日記』は10世紀の作品。やはり古さを自慢したくなる。日記文学のトップランナーであるだけでなく、文学者が書く紀行文のルーツともなった。私には、ただの旅日記しか書けないが。 『辺境・近境』には、「メキシコ大旅行」なども収録されているが、紀行文としては、「トルコは兵隊の多い国である」という書き出しではじまる『雨天炎天』の方がいい。 (2006-07-26) |