河合隼雄、福永光司に会いに行く



 NHKで放送中の「チャングムの誓い」を見ると、道教の影響があちこちに出てくる。ここはひとつ福永光司に解説してもらおう。

 『飲食男女』では、河合隼雄が聞き手となり、Q&A方式でまとめられている。

 道教は、ミックスとコンビネーションゆえ、まさに混沌としているが、日本にはさまざまな段階の道教が伝わった。わが国の起源にかかわる記述もある。
西暦前473年に、越の国が呉の国を滅ぼすんです。「人間、困ったときには東を見て歩け」ということわざが中国に古くからあって、滅ぼされたときに船団を組んで、みんな東に移動していくんです。だから、神武天皇は、その時の呉の国の子孫なんだという学説があります。(中略)少なくとも、『古事記』の神武東征の記述をずっと見てみますと、話がきちっと中国古代史と合うんですね。(p15)
 3世紀には、山東半島に斉という国があった。「山東半島から日本に伝わった道教が日本の天皇家の神道」(p39)
日本の飛鳥から奈良朝の天皇家の人たちは、南の茅山(ぼうざん)の道教ですね。これが朝鮮経由で天皇家に入ってきたんです。(p48)
 ということで朝鮮半島には古くから道教が伝わっていた。
日本の古代の神道の学問と通じているものは、二つの系統があるんです。一つは、南の黒潮文化、船の文化の系統のものがすごく入ってきて、これは物部や斎部氏がそれの受け皿になっているものです。もう一つは『古語拾遺』という歴史書が書かれて、だんだん中臣、いわゆる馬の文化が威張り出します。
 つまり斎部氏が神楽の文化で、中臣が祝詞の文化だ。それでも長屋王は『准南子』(前139成立)を愛読し、天武天皇は『真誥(しんこう)』(6世紀成立)を愛読した。どちらも道教の書である。
 中国が隋、唐で統一されると、本来は馬の文化であった唐王朝が、中国を支配するためには道教を抱き込んだ方がいいと判断するのです。マッカーサーが天皇を抱き込んだのと同じ統治策ですね。それで茅山の道士やそのほか、その体系を全部長安に持ってくるのです。日本で唐の太宗の貞観の全てを真似したのが清和天皇ですね。(p136)
 『古事記』、道元の『正法眼蔵』、『源氏物語』も船の文化として見直す必要があると福永氏は指摘する。

 中国では、仏典を漢訳するときにタオイズムを基礎にして翻訳した。とくに禅宗と浄土宗はその傾向が強く、それを受け入れた室町期の日本文化はタオイズムが濃厚だった。ところがチャングムの時代の李朝では、道教混在から儒教オンリーへと舵が切られつつあったようだ。

 日本が儒教オンリーになるのは、もう少し後の江戸時代になってからだ。それでも芭蕉、良寛へと老荘の流れは受け継がれていく。
  • 飲食男女 老荘思想入門 福永光司著、河合隼雄聞き手 朝日出版社 2002 NDC124.2 \1,470
     巻末に老子、荘子の名言集あり
(2005-12-22)