混沌の思想五木寛之の『生と死を考える』という対談集を読んだら、福永光司という人がいかに日本に道教が定着しているか話していて、とてもおもしろかった。その後また二人で対談している。五木さんもよっぽどこの人が気に入ったらしい。 福永氏は『混沌からの出発』の中で、東洋文化の神髄は混沌にあり、アジア文化の本質は、ミックスとコンビネーションであると喝破している。そのミックスぶりをさまざまな事例をあげて説明している。その一番いい例が漢方薬である。 七夕にはじまり日本の仏教や神道の中に道教の要素が浸透している。いやそれは正確ではない。仏教伝来以前に中国から道教が伝わっており、卑弥呼以来日本文化の基層をなしているのだ。対談とはいいながら、この本は福永氏の講釈を聞いているようだ。本を読み進むうちに、古来から「万葉集」や「荘子」が愛読されてきたわけもなんとなく理解できた。 大正生まれの福永氏は、道教なんてマイナーな分野を専門にしたばかりに肩身の狭い思いをしたようだ。中国の哲学者からは、「道教なんて思想でも哲学でもない、学問の研究対象にならない民間の迷信だ」と批判されるしまつ。30年ほど前に日陰の存在であった彼に、湯川秀樹は混沌について話してくれと依頼したそうだ。 私が五木さんにひかれるのは、流民に暖かいまなざしを持っているからだ。ともすれば「働かざるもの食うべからず」を当然の真理と思ってしまいがちだが、本当にそれでいいの?と疑問を投げかけてくる。人権に条件をつけるなんておかしいじゃないかと。
<戻る>コマンドでどうぞ
|