民主化の時代



 歴史の本を読むのは疲れる。ぐったりしてしまった。『敗北を抱きしめて』は、上下2巻で注もたっぷりついている。ドキュメンタリー番組で断片的に知っていた戦後の復興期について、その全体像を知ることができた。日本人では口にしにくいことも、きっちり批判的に書いている。それでもジョン・ダワーの暖かいまなざしが感じられ、心地よく読めた。ピュリッツァー賞など、いくつもの賞を取っただけのことはある。

 占領軍は、上からの革命を日本で実行した。しかし日本人は、それ以前に上からの革命を2度経験していた。明治維新と昭和の軍国主義の時代を。同じことを占領軍が行っただけ、というのが著者の見た戦後。そしてあっさりとマッカーサーを受け入れてしまった日本人を、大勢順応主義であるとバッサリ。一億総懺悔状態の日本社会を、悔恨共同体と名づけている。

 なかでも渡辺清の日記には衝撃をうけた。軍国青年だった人が戦後いかに苦しんだか、それがひしひしと伝わってくる。

 ダワーは、憲法制定のプロセスや極東国際軍事裁判についても詳しく述べている。なぜマッカーサー草案を急いで作らなければならなかったのか、この裁判がいかに偽善であったのか。

 11人いた判事の一人であるパル判事は、この戦争を「日本の指導者たちが国家の安全に対する脅威と認識したものに場当たり的に対応した」ものと受けとめた。これに対しマッカーサーは、おおむね「近代文明の尺度で測れば、アメリカ人やドイツ人は45才で、日本人は12才の少年だった」と述べている。誇大妄想癖のある少年が、周りの状況もよく見えずに、ドンキホーテのように風車に向かっていったのが、あの戦争だったのだろうか。伊丹万作のことばを思い出しつつ、もう一度考えてみたい。

  • 敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人 ジョン・ダワー 岩波書店 2001 NDC210.7 \2200+tax

(2002-12-19)
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