偉大なおばあちゃん



 日本国憲法の草案は、わずか9日間で書かれた。基本方針として示されたのは、マッカーサーの簡単なメモだけ。天皇は元首であり、戦争を放棄して、封建制度は廃止しようという3原則である。召集されたGHQのメンバーは25人。ほとんどが将校だった。とはいっても大学の先生クラスが多かったのだけど。その中に、まだ22歳のユダヤ人女性ベアテ・シロタ・ゴードンがいた。

 7つの小委員会に分かれ、それぞれの課題に取り組んだ。まるで試験前の学生のように。人権に関する小委員会のメンバーは3人。シロタさんは、秘書でもなくタイピストでもなかった。彼女が担当したのは、具体的な権利と機会についてであった。

 15歳まで日本に住んでいたので、女性の地位がいかに低いか身にしみてわかっていた。あらためて大日本国憲法や旧民法を読んでみて、女性の権利がまったく認められていないのに愕然とする。そこで男女平等、母性の保護、子供の権利、教育を受ける権利などを2日間で書き上げた。お手本にしたのは、ワイマール憲法(1919年成立)とソビエト社会主義共和国連邦憲法(1936年成立)である。

 アメリカ人の頭の中には、それぞれ人権に関する理想像を持っている。メンバーの間でも、
‐私たちは、日本社会に革命をもたらす責任があり、その近道は、憲法によって社会の形を一変させることにあります。
‐法によって、他の国に新しい社会思想を押しつけることは不可能だよ。
などの論争がつづいた。そんな中で、彼女は日本女性に最高の幸せを贈ろうとしたのだった。

 はじめの草稿では41か条あった人権条項が、マッカーサー草案では31か条に減らされた。削除された条文を見ると、社会保障制度や女性の権利に関する条項が多い。「嫡出でない子供は法的に差別を受けず」や職業の機会均等や同一賃金、母性の保護など、現実の日本を知っていた人だからこその内容だ。唯一足りないのは、老人に関する条文。22歳の女性にそこまで期待するのは無理だろう。

 今のシロタさんは、気のいいおばあちゃん。あらためて日本国憲法を読んでみると、心血を注いだ彼女に感謝の念がわいてくる。日本政府は、勲章のひとつもあげたのだろうか。
  • 1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝 ベアテ・シロタ・ゴードン 平岡磨紀子構成・文 柏書房 1995 NDC289.5

(2002-11-17)
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