善人の条件NHK「渥美清の肖像〜知られざる役者人生」は、生い立ちから亡くなるまでのドキュメンタリーだ。上野でのテキヤ稼業、浅草の芸人時代など、当時を知る人の証言を集めている。 一方、小林信彦『おかしな男 渥美清』は、著者が渥美本人と接してきた記憶を集大成した本で、取材もインタビューもしていない。 小林から見た渥美像は、ひとことで言えば「才能ある努力家」。本書では、常識知らずの芸人が、才能と運で国民的人気者にはいあがるまでの人生を語っている。 芸と芸人とは別なので、あまりプライベートを知りたいとは思わない。だが、芸とどのように向き合っていたのかには関心がある。 「ぼくはワガママで、思いやりのない人間です」と語る渥美清は、生き方の話が好きだった。 狂気のない奴は駄目だ。それと孤立だな。孤立してるのはつらいから、つい徒党や政治に走る。孤立しているのが大事なんだよ。(p49)とか、 新聞の芸能記者だって、大学を出てるだろうにさ、男と女がひっついたの別れたのって、そんなことばかり調べて、疚しさってものを感じないのかね。淋しい人生だぜ、あれらは。(p81)「男はつらいよ」での一人語りを寅のアリアと呼ぶそうだが、渥美の語りにはギャグ、声色、顔まねが加わる。 小林信彦は、渥美清の明暗をぎりぎりまで書いている。たとえば、 他人を興味深く観察して、<滑稽さ>や<毒>を発見し、それを演技の糧にする人たちが善人であるはずはないのである。それでも、「清純なもの、自分が触れてはいけないようなものへの憧憬があった。たとえば、少女への憧れ」のような記述では、くわしい説明を避けている。 「男はつらいよ」で共演した多数のマドンナではなく、満男のガールフレンドの泉(後藤久美子)こそが、彼の憧れだったのかもしれない。 伴淳三郎からひどい嫌がらせをうけ、森繁久弥だけが応援してくれた。そんな不遇な芸人が国民的スターとなった。そのきっかけとなった「男はつらいよ」は、これでおしまいと思って作られた5作目「望郷篇」(1970)があまりにも良かったので、シリーズ化され商品となる。 すでに日本の大衆の知的レヴェルは低くなっていて、しつこくくりかえすことが必要であった。映画の中でくりかえされる寅の下品なテキ屋言葉には爆笑しても、渥美がさりげなく笑わせようとする瞬間の動きにはさして反応しなくなっていた。(p280)仕事を選び、芸術祭参加作品「不知道」や羽仁進「ブワナ・トシの歌」(1965)に出演したり、自費で「あゝ声なき友」(1972)を制作した渥美が、やがて「男はつらいよ」に専念するようになる。演技の引き出しをたくさん持っていたベテラン俳優が、自分を寅という役に閉じ込めてしまった。そこに至るまでの葛藤は、どのようなものであったのだろうか。
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