きまぐれドア 〜場の響きを聴き、形にする旅へ出よう〜
歳時記  地域情報システム からだ トップページへ

からだ

自分の今までの「いのちの流れ」を踏みしめる中から出てきた次の一歩を丁寧に歩み続けることで、「自分なりの花」をいのちいっぱい咲かせたい。
心身を浄化し、自分にとって本当に必要なものだけを身の回りにおいて、直観とエネルギーが湧き出る状態にしたい。


 野生の哲学

生命の波に乗る

 からだには希望がある

身体意識が極意

 『野生の哲学』永沢哲(青土社)2002

人間の生命は、実と虚のあいだでたえず揺らぎ、変化している。生命は、波として存在しているのである。虚から実に向かう時期が高潮、逆が低調である。…虚に向かい、休まろうとするときに、無理強いするのは愚かだ。…<波>の自覚は、起こってくる出来事に混乱することなく、自然に沿って生きる生活を生み出す。(133-134)

私は、なぜか昔から「からだ」に興味を持ち、いろいろな本を読んだり、実践したりしてきた。竹内レッスン、野口整体、野口体操、TM、マクロビオティック、トマティスなど。この本は、野口整体の創始者、野口晴哉さんの伝記。とても刺激的な言葉が並ぶ。生命の波を読み、それに沿って暮らせるようになりたいな。(2003.7.17)

生命が、攪乱された波動の調整のために、病気になる。体の部分に偏って、睡眠によっても回復しない疲労ーこれはこわ張りとして表現されるーを、解消する。それによって、弛緩と緊張のリズムが復活する。滞りがなくなり、体と心が弾力を取り戻す。自然に病を経過することによって、生命は更新されるのである。(136)

春は、生命が目覚め、冬場おさえられていた感情が動く。体のバランスが左右に偏る。胃腸が活発に動き、変化する(そのため、突然下痢する人が多い)。夏は、汗をかく。排泄と結びつく泌尿器に焦点が動き、捻る運動が起こりやすい。秋は、湿気が低くなるとともに、大気を胸一杯に吸う。胸に焦点が移る。体を前に倒して、目的に向かって進む。冬は、体の運動は少なくなり、エネルギーは頭に向かう。生命の活動の焦点は、季節におうじて変化し、エネルギーの運動も変化するのだ。
こうした季節の変化にともなう気と体、運動の切り替えを、私たちは無意識に行っているけれども、それを理解できれば、波が変化する時期に、簡単な修正運動の体操を行うことによって、素早く移動することができる。(137)

雑念があとからあとから湧いてくるときは無心なのです。心が澄んできたから、雑念があとからあとから出ては消えるのがわかるようになったといえる。ある雑念が心から離れないで、次の雑念を生み出すようだといけないのです。(159)

生体の「自然のリズム」は、まず何よりも、緊張と弛緩のたえざる循環によってつくり出される。(161)

「外部」の出来事もまた、「裡なる自然の波」のリズミカルな律動に沿ってあらわれてくるのであって、「内」と「外」を二つに切り離すことはできない。「外」で起こってくることも、「内部」で起こることも、同じ自然の波の異なる表現にほかならないのだ。もし本当に、自然のリズムに沿って、その波に「乗る」ことができれば、それが、自分の体や心のゆがみが修正されていく「治癒」のための大切な機会であることがわかるはずだ。(164)

「夢見の体」には、過去に自分が抱いた、さまざまな感情や思考や運動の記憶が刻みこまれている。(165)

「内臓秩序」としての「裡なる自然の波」に気づき、それに「そって、乗って」生きていくことによって、潜在意識の中に押し込まれていたさまざまな記憶は、もう一回自覚的に生き直され、それが持つ、個人的であるとともに、宇宙的でもある「意味」がはっきりと意識されるようになる。そうやって無意識の統合が進み、「自然のリズム」にしたがって生活していくようになると、「内部」で起こることと、「外部」で起こることの区別がなくなってくるのである。(167)

無意識の統合のあり方

  • 無意識に押し込まれていた欲望や過去の記憶が意識の表面に浮上し、退行が起こる場合:無意識の中に抑えこまれ、ためこまれていたゴミくずが吐き出され、そのエネルギーが解放されるとともに、退行が生まれてくる。それと平行して、その記憶と結びついている「外部」の状況が、いわば「引き寄せられ」、再現され、反復されるのである。
    この過程は、ある大きな波のリズムの中で、何回も、少しずつ変化しながら反復されていく。けれども、「根元」に触れながら、波の反復に自覚的になっていくと、その身振りや動きのくせが少しずつ読めるようになってくる。波に飲み込まれたり、ひどく打ちつけられたりする体験を積みながら、しだいに波に「乗れる」ようになっていくのである。そして、そのたびごとに、生を規定してきた無意識のパターンは少しずつ力を失っていくようになる。(168)

  • 押し寄せてくる波目を読み、「外部」の出来事を予知しながら、その波に乗り、「内的」な能動的な意志や願望が、「外的」な状況として実現されていく場合:無意識の統合が進み、「波に乗る」体験を積んでいくとともに、生は、新たな状況の変化を受けとめ、そこに示されている意味を自分の中に繰り込んで、変容を進めていく創造的なプロセスになっていく。外部の現象であれ、心の内面で起こってくることであれ、さまざまなメッセージに満ちている。「根元」の中心に深く入りこみながら、そのメッセージを受けとめ、自分の中に繰りこんだら、発信していけばいい。ある波動が、「内蔵秩序」としての「夢見の体」からやってくる。その波動は、自分をつうじて外に表現され、外の世界にある軌跡を描いていく。そうやって、起こってくる出来事の生成の身ぶりを読み、「波に乗」り、舵を取っていけばいい。人生は、水平線の向こうから押し寄せてくる波の複雑な身ぶりを読みながら舵を切り、成熟を深めていく、あてのない航海になっていくのだ。
    発信されたメッセージは、いつか、どこかで受信され、実現される。
    そうやって、「内的」な意志が「外部」の世界に実現されていく様子を、彼は「念ずれば現ず」と表現している。たえず「根元」に触れ、その中心に座りながら、「夢見の体」が自然成長するプロセスを生きていると、その成長の方向性や意味が理解される。それととおに、成長に必要なものが意識され、それはさらに能動的な意志に変換されていくのだ。…「私」をつうじて、タオが実現されていくそのプロセスを自覚的に生きるのだ。「夢見の体」の自然成長するエネルギーが向かう方向性のベクトルをみながら、その流れに乗り、成熟を深めていけばよい。 (169)

今自分がやっていくべきことを、はっきりと言葉にしてくれているような文章だ!(2003.7.20)

 『からだには希望がある』高岡英夫(総合法令)2001

ゆらーっとしていてすーっとしているという一つの資源は、いろいろな方向に使われ得る根本的なものである。(48)

極意とは「極まった意識」である。(71)

極意のアイテムは、身体の各所に点在していて、身体の状態、動き、心理、思考力などあらゆる人間の能力を絶妙にコントロールしていく特別の指揮官にあたる働きをしている。(76)

妥協なく美味しい味を追求していく… それをさせるその人自身の意識、身体意識が極意なのです。(76)

Topへ トップページへ