一五〇センチの地下 第六回 浅井 清孝
環状線からニュータウンへの通りに抜けると裏道に入ると瀬野は適当な場所でクルマを止めた。
「ジュース買うけど、何かいる?」
悟がズボンのポケットにねじ込んでいた小銭を出そうとするのを制し、瀬野は奢るといった。
「いや昼もオゴって貰ったんスから、いいっスよ」
あれはあれ、これはこれ。瀬野はそう言うとコーヒーで良い? と聞きつつ、悟の返事も待たずにクルマを降りて自販機に向かった。悟はその姿を見て小さく、溜息をついた。
「いつも、このコーヒー飲んでるから」
戻ってくると瀬野はそう言って暖かい、いつも飲んでいる缶コーヒーを悟に渡した。
「いや、気分を変えて紅茶を飲みたかったンすけど」
「えっ? そうなの? じゃあ、ワタシのと交換しましょ」
「いや、ジョーダンっす」
悟は小さく笑う。瀬野は間を置いてから笑い始めた。
「鳥越クンってそういう冗談、言う人だとは思わなかった」
「そうっスか? いつもこんなんですよ」
そうなんだ。瀬野はそう言うと本当に交換しなくていい? と聞くとクルマを動かした。
平日の夕方は仕事のクルマが多く、大通りはそれなりに渋滞をしていた。ソレを見越して悟はなるべく裏道を教えた。瀬野のクルマの大きさを考慮し、いつも通る道の半分しか教えなかった。
「もうすぐ?」
「そおっスね。・・・・・・そこ右に行って真っ直ぐに行くと・・・・・・あ、あれッス」
左手に見えてきたディーラーを指差すと、瀬野はああ、あそこねとつぶやいた。前に一度だけここを通ったことがあり、そこがディーラーだとは気がつかなかったと瀬野は笑った。
信号を右折し、ディーラーのすぐ脇にクルマを止める。敷地内には色とりどりのクルマが所狭しと並べられていた。クルマを降りると、瀬野は感心したように頷き、敷地内のクルマを一台一台眺めた。そしてクルマの名前を見るたびに、正人にこのクルマはどこのクルマなのか、出力はどれくらいなのかと聞いてきた。正人はその都度、丁寧に答え、ドアを開けて車内を覗いた。
「ああ、鳥越さん、いらっしゃい」
車内を覗いている二人の背後から声がした。振り返るとそこには赤と白のツナギを着た男が、日焼けした顔を崩して笑っていた。正人はペコリと頭を下げ、挨拶をした。
「どうですか、クルマの調子は」
「この前、バッテリーが上がったんス」
男は腕を組み、おかしいなあとつぶやいて首をかしげた。正人は瀬野に、ここの店長の田原さんという人で、自分のクルマの面倒を診てくれているのだと説明した。
「どうです? 少しお茶でも」
田原はそう言い、ショールームを指差した。そこで正人は瀬野を紹介し、実はクルマを見せてもらいたいのだと説明した。田原はにっこりと笑い、中で少し話しましょうと二人を案内した。
ショールームと言っても国産車のディーラーとは比べるほどの大きさではなく、町工場を少し大きくし、改装した程度の大きさで、壁には何枚ものポスターが貼られており、店内にはカンツォーネが流れていた。
テーブルに促されるまま座り、正人は煙草に火をつけた。
「どんな車を探していらっしゃるんですか?」
コーヒーを持ってくると田原は聞いた。瀬野は予算百五十万程度なのだと答えた。田原はしばらく思案し、下取り出来る車はあるのか、どのような車種を希望するかを聞いた。
「だとするとここらへんですかねえ」
田原は瀬野の話を一通り聞き終え、パンフレットを数冊持ってきた。
「ま、これは新車のカタログになってしまいますが、中古であればこれらが予算以内ですね。ああ、あとフランス車も扱っていますけど、フランス車はどうでしょうかね」
「聞いてみないとわからないですね」
「そうですね、一度その御友人もお連れになって来てみてください」
田原は柔和な笑みをもらし、コーヒーをすすった。そしてこのカタログの車なら外に展示してあるから見てみてはいかがかと話してきた。瀬野はそれじゃあ少し見させてもらうと答え、悟にちょっと見てくると告げて店を出ていった。
「いいんですか、一緒に見なくて」
田原は空になった悟のカップにコーヒーを足し、煙草に火をつけた。悟は肩をすくめ、自分が買うわけではないからと答えた。
「バッテリー、交換したばかりでしたよね?」
「ええ」
「おかしいなあ。また今度持って来ていただいたら診ますよ」
「そうですね。持ってきます」
田原の言葉に相槌を打つと、ガラス越しに車を丹念に見ている瀬野の姿を眺めた。ああやって久美子も真剣な表情で車を眺めていたと物思いに耽った。夕暮れの赤い空の下で、久美子は同じ車を何度も覗いては腕を組んでいた。そして意味もなく頷いては色違いの同じ車を見ていた。
「そうだ、鳥越さん。例の車、明日入りますよ」
田原は思い出したように悟に告げると、事務所に引っ込み、一枚の写真を持ってきた。写真には明るいブルーメタリックのハッチバック車が写っていた。
「ああ、これ、入ってくるんスか?」
写真を眺め、コーヒーをすする。田原は明日の昼ごろ、下取りでウチに来るのだと説明をした。
「どうです? まだ一年も乗っていないワンオーナー車ですよ」
「でも、高いですよねえ」
困った表情をして、写真を渡すと、悟は煙草に火をつけた。田原はそうですねえ、勉強してこれくらいですかと電卓を叩き、悟に見せた。
「二百超えるとツライっすね」
「パンダを下取りにしたら二百ちょっとにしますけれど」
車は事故歴もなく、ほとんど走っていないもので、店に出すとすぐに売れてしまう可能性がある。田原はそう説明し、どうだろうかと悟を促した。
「うーん、欲しいことは欲しいけど」
急には無理だと答え、悟は今回は見送ると笑った。田原は残念そうに頷くと、まずはパンダを治さないといけないですものねえと笑った。
その車は久美子と最後にこの店を訪れた時に見た車であった。フランスの小型車で、限定で出たスポーツチューンの車であった。青いメタリック塗装に金色のホイール。それほど目立つようなデザインではないがぎゅっと引き締まり、角張ったボディを悟は一目見て気に入った。それほど車に興味を持ってはいなかったから、スポーツチューンをされていないモデルでも良かったのだが、そのエンジンの音の良さに惚れ、買い替えたい衝動に駆られた。しかし限定の車種だけに人気もあり、出てもすぐに売れてしまう。そんな車であった。久美子もカタチは気に入っていたが、それほど興味を持たなかった。そして悟にはパンダのような車のほうが似合うと言っていた。それでも悟は店に来るたびにその車を探し、飽きることなく眺めた。
今、無理をすればその車は手に入れられる。こつこつと貯めた金も出せば買えなくはない。しかし、それでも実際には手を出さなかった。パンダを手放せば、気分が変わるし、一つの区切りになることもわかってはいる。それでも、悟には踏ん切りがつかなかった。
夕闇が迫り、水銀灯に明かりがともり、ぎっちりと詰め込まれた車たちが鮮やかに浮かび上がる。その合間を縫って歩く瀬野はまるで波間を泳ぐように見え、流れに逆らうようにしてこちらに向かってきた。そして悟と目が会うと小さく手をあげた。
「じゃあ、そろそろ帰ります」
悟は煙草を消し、残ったコーヒーを飲み干した。外に出ると冷気が一瞬にして悟を冷やし、小さく身震いをさせた。
「また来てくださいね」
車に乗り込む二人にそう言うと、田原は手を振った。悟は助手席の窓を開け、今度車を持ってくると告げて頭を下げた。
つづく
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