一五〇センチの地下 第十一回   浅井 清孝


 ソファに寝転がり、テレビを見ていると電話が鳴った。悟は舌打ちをしてのろのろと起き上がって受話器を取った。
「よう、サトル」
 受話器の向こうから、陽気な声がした。その声の主、コウジとわかると苦笑した。
「すぐにオレってわかったのか?」
「当たり前だよ。日曜日のこんないい天気の昼日中に不景気な声で電話に出るのはサトル君以外にいないよ」
 どこか間延びしたような口調で、コウジはそう言うと、今から出て来れるかと聞いてきた。
「なんだ、今何処にいるんだ?」
 テレビを消して、受話器を当てなおすと声の後ろから微かに音楽が流れている。
「うん、オマエに会わせたい人がいるんだよ」
 コウジはそう言って、駅のすぐそばの喫茶店の名前を告げ、そこで待っていると言うと電話を切った。まだ行くとも言ってないのに勝手に電話切りやがってと呟きつつも、出掛ける準備をし、すぐに外に出た。
 指定された喫茶店のドアを開けた途端、効きすぎている暖房の熱気が悟を包む。店内には有線でやかましいだけの音楽が流れ、落ち着きのない喫茶店だと思いながら、窓際の一番奥のテーブルにいたコウジを見つけ、手を上げた。それに気がつきコウジが遠慮がちに手を振った。同じテーブルには一人の髪の長い女性が座っていた。
「悪いな、急に呼び出しちゃって」
 相変わらずの呑気な口調であったが、どこか堅さがあった。コウジの横に座ると、正面に座った女性は小首をかしげ、ぺこりと挨拶をした。薄い化粧の、細い顔立ちの女性であった。悟は挨拶をして、テーブルの下でコウジを小突いた。
「彼女、同じ職場の同僚で、久保典子さんっていうんだ」
 コウジはそういうと意味もなく笑い、水を飲んだ。悟はホットコーヒーを頼むと、自己紹介をした。久保典子は口元に微笑を浮かべ、小さい声で初めましてと答えた。
「本屋に行ったら、偶然会ってさ。それで喫茶店でお茶でもってことになったんだ」
 だったらオレは必要ねえじゃねえか。悟はそう思いながら、相槌を打ち、近所に住んでいるのか聞いた。
「いえ、駅3つ向こうなんですけど、ここの本屋は大きいって里中君が教えてくれたから」
 落ち着いた、響きのいい声で答える彼女に、コウジは相槌を一生懸命打った。悟はそんなコウジがおかしく、笑みがこぼれてきた。
「こいつ、変なヤツでしょう? ちゃんと仕事してますか?」
 悟は出された、香りの薄いコーヒーに砂糖をひとさじ入れ、かき混ぜた。コウジが口を尖らせ、変なヤツは余計だろうと拗ねた口調で言う。久保はクスクスと笑った。
「いえ、普通ですよ。みんなからも信頼されていますし」
「僕は友人として心配なんですなあ。こいつ昔っからトロイっていうか、のほほんとしてるから出世するかなあなんて」
 ちょっとした悪戯心が湧き、この状況を少し楽しんでやろうと考えた。あまり必要のない呼び出しをくらったんだ、これくらい楽しませてもらわないとな。悟はそう考え、酸味が強いコーヒーをすすった。
 久保は可愛いというよりはキレイな女性であった。同じ年齢とは思えないほど大人びて見える。服装が暗い色調だからかもしれないが、趣味の良さが窺えた。どうみても趣味が良いとはいえず、どちらかといえば無頓着なコウジには悪いが相手が悪いような気がする。
「あっ、ゴメンなさい」
 ふいに電子音が響く。携帯電話の着信らしい。久保はバッグから携帯電話を取り出し、席を立った。店の入口まで行き、電話で話している彼女を見やったあと、悟はコウジを小突いた。
「お前、オレ呼んだの、その場しのぎじゃないのか?」
「いや、そんなことないよ」
 くちごもったコウジの姿で確信を保つと、悟はぽんと肩を叩いた。
「オレ、帰るぞ」
「おい、さっき来たばっかりだろ? 変に思われるじゃないか」
「オレがここにいるほうがよっぽど変なんだぞ。あとは二人で仲良くな」
 コーヒーを一口すすると、悟は立ち上がり、コートを羽織った。コウジは困惑した表情でコートの裾を掴んだ。
「頼むよ。一緒にいてくれよ。一人じゃ何話していいんだかわかんないんだ」
 ようやく本音出してきたな。こいつこうしないと自分の本音いいやしねえんだ。悟はそう思い、わざと困った表情をし、コウジを見やった。
「いたほうがいいか?」
「頼むよ」
 コウジがそう言った時に久保が戻ってきた。
「もうお帰りになるんですか?」
「いや、ちょっと煙草を切らしたもんで、買いに行ってくるだけです」
 悟はそう言って笑うと、そそくさと喫茶店を出た。駅に戻り、売店で煙草を買うと、その場で封を切り、火をつけた。しばらく二人にさせて、コウジがシビレをきらしたら戻るかな。あいつどんな顔をするかな。
 柱に凭れかかり、煙草をふかしながら、コウジがオロオロする姿を想像し、一人で笑った。半分まで吸うと、腕時計を見やった。
「サトル、何してんだ、こんなところで」
 もうそろそろ戻ろうとした矢先、声をかけられた。そこには兄の正俊がいた。
「ああ、今ちょっとコウジとね」
「そうか。一人でニヤついてるからどうしたのかと思った」
「アニキこそ、何してんだ?」
「会社の帰りだよ。休日出勤の帰り」
 あんまり遅くなるなよ。そう言うと正俊はバスの停留所に向かって歩きだした。それを見て悟は、またあの場所に行くのだなと思いながら、夜になったら一人であそこに行ってみるかと考えた。
「遅かったじゃないか」
 待ちくたびれたといった調子でそう言っていたが、コウジの表情は安堵で一杯であった。悟はそこで知り合いにあって少し話をしていたと答え、席に座った。
「鳥越さんは、お仕事は何をしていらっしゃるんですか?」
 久保は紅茶を一口飲むと話しかけてきた。今は自動車整備工場のアルバイトをしているのだと答えた。
「まあ、フリーターというヤツです」
「その前まではこいつもサラリーマンだったんだ」
 余計なこと言いやがって。悟はコウジの足を踏み、じろっと睨んでみせた。
「辞めちゃったんですか?」
「ええ、まあ」
 他の話に切り替えたいと思い、話の矛先を変えようとしたが、久保は興味深そうに悟に話しかけてきた。
「どうして辞めて、アルバイトをしていらっしゃるんですか?」
「いや、特別な理由なんてありゃしないですよ。ただ面倒くさくなったという感じです」
 ふうん。少しうつむき、ティーカップを眺め、久保は何かを考えていた。その姿はテレビで出てきそうな一場面のようで、悟は思わず見惚れてしまった。
「でもまだ若いし、いろんな経験も必要かもしれないですものね」
 久保のその言葉は精一杯のお世辞のように聞こえ、悟も曖昧に笑うだけであった。
「久保さんは彼氏なんていないんですか?」
 いささか不躾で、失礼な質問だな。そう思いながらも、悟はそう切り出した。話が一向に進展もしないし、コウジはただコーヒーをちびちびと舐めるだけで時間ばかりが過ぎるだけであった。久保は小さく笑い、首を振った。そしているといいですねと他人事のように答えた。
「好きな男性のタイプなんて教えて貰えると僕は嬉しいんですけどね」
 こうなったら嫌われてもいいから根掘り葉掘り聞いてやろう。これもコウジの為だ。足を小突かれたが、気にせずに久保に質問をした。
「そうですね、どちらかというと一緒にいて安心出来る人がいいな。ぼーっとするのが好きだから、話をしなくても一緒にいれる人がいいですね」
 へえ、こりゃいいセン行くかもしれないな。悟は久保の話を聞きながらそう思った。
「じゃあ、僕は無理だなあ。話していないと落ち着かないタイプなんです」
 わざとらしいほどの口調でそう言い、悟はコウジに同意を求めた。
「そおかなあ・・・、あっ、いやそういやそうか」
 コウジのとぼけた返事に足を踏んだ。
「でも意外だな。久保さんはもっとあちこち出掛ける行動派のような印象を受けたんですけど」
 煙草に火をつけ、ゆっくりと吸い、久保の表情を窺った。久保はそんなことないですよ。私、そんな風に見えます? と笑いかけた。
「普段仕事が忙しいから、その反動なのかしら。でも元々のんびり屋だから、会社では無理をしてるのかもしれないですね」
「こいつものんびり屋ですよ。だから僕なんていっつもイライラしちゃう」
 チラッと時計を見る。もうすぐ夕方になる。いい加減退散するかな。悟はそう考え、いけね、もうこんな時間だとつぶやいた。
「オレ、これからバイト仲間の所にいかなくちゃいけない約束があるんです。バタバタしちゃってすいませんけど」
 悟はコートを手に持ち、コウジが引き止めるスキを与えずに立ち上がった。久保はじゃあ、私たちも一緒に出ます、と言って立ち上がった。
 久保がトイレに行くのを確認すると悟はすぐにコウジにここはオレが払うから、おまえ彼女を送りがてら食事に誘えと切り出した。
「えっ、でも彼女実家だし、飯の準備ぐらいしてるだろうから」
「バカ。せっかくチャンスがあるんだ。強引でもいいから誘えよ」
 会計をすませ、絶対に誘えよ。と脅すように言うと、久保を待たずに悟はさっさと店を出てしまった。
 外はもう陽も傾き出し、空は赤味を帯び始めてきた。コートを羽織り、すぐに店の影に隠れるように行き、二人が出て来るのを待った。鮮やかな赤いハーフコートを着た久保と一緒に、よれたコートを羽織ったコウジが出てきた。幾分引きつった表情のコウジが何かを話しかけていたが、周囲の喧騒で悟の耳には届かなかった。しかし、久保がにこやかに笑い、頷いたのを見て、上手く事が運んでいるのを確信した。不釣り合いかなと思えた二人はなんだか長い付き合いの恋人同士のようにも見え、悟は遠巻きに見ながらそう思った。
「少しコウジには勿体ないかもな」
 悟は改札口に消えた二人を見ながら、そうつぶやき、夕食の買い出しに溢れる商店街に向かって歩き始めた。

つづく



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