直線上に配置

大会当日 後編

■行っちゃえー
月見が浜道路を終えて、再び国道に戻ると2度の上り下りを経て50km地点に到達する。ふくらはぎ、太ももなど主要な脚の筋肉にまだ明らかな疲れは感じられない。しかし下り坂に限り、足の裏がジンジンとするような感覚が現れた。それでも症状は下り坂だけのことだったので、それほど深刻な状況では無かった。走りながらの暑さ対策も冷静に行なえていた。身体の表面が乾いたり日差しの強さを少しでも感じたらボトルの水をかけ、エイドでは被り水を行い、帽子を濡らしてから被る。顔や腕が汗でべとついてきたら、水で表面を洗い流してさっぱりとさせる。給水はこまめにちょっとづつ。梅干は欠かさずに1個口に放り込む。胃に不安を抱えていたのでバナナは気分的にNG。その代わりに黒砂糖があるところではこれを食べる。それから携帯していたアミノプロを15km〜20kmおきに一袋づつ飲む。こういった作業はほぼ完璧にこなしてきた。50kmの通過タイムは4時間47分13秒。『まだまだ行けそうだ!』気分的にかなり乗ってきた気がした。


50km地点通過後、坂を下り終えるとサロマ湖に直面する。このとき突然トイレに行きたくなったので駆け込んだ。(小さいほう) トイレから駆け出しエイドのほうへ走っていくと、女生徒3名がハイタッチのポーズをしていたので、思わずハイタッチ。(ゴメン、手洗ってなかった・・・)湖岸の道路を走っていくと、緑館レストステーションが見えてきた。『これまでなら何とかあそこまで』という気持ちになるのだが、今年はそういった感情は湧いて来なかった。このままのリズムを崩したくない。できることならこのままゴールまで・・・もしそれが叶うのなら緑館の帆立おにぎりも、鶴雅のお汁粉もパスしたって構わない。そんな心境だった。緑館前には、コース最大級の上り坂が待ち構えている。この坂を越えれば、その後は大きな坂は無い。緑館に寄るべきか寄らざるべきか、迷った。
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結局はピットインすることにしたのだが(K枝も待っていたし)、預けた荷物は受け取らず、帆立握りをひとつだけ口に放り込み、スポーツドリンクを飲んで、掛水を行なって出発。K枝はレジャーシートを広げて待っていてくれたのだが、『今、凄くリズムがいいから行っちゃうね』と言い残し、レストステーションを離れ、コース最大の難関となる上り坂に挑んだ。他のウルトラマラソンでは上り坂はそこいらじゅうにあるようなんで、サロマの坂なんて・・・という人は沢山いるんだろうが、私はサロマ以外の100kmマラソンは経験がないんで、これこそが最大の難関だ。坂を見上げると負けてしまいそうなんで、目線を落とし、白線をひたすらみつめて、1歩1歩確実に上る。『どの辺まできたかなぁ、そろそろ上り終えるかなぁ』という気持ちを必死に抑えて白線をじっとみつめて上り続けた。坂の途中にあったエイドでは掛水と給水をしっかりと行なって、再出発。ようやく上り終えたとき、明らかな疲れを感じた。

■きびしー
ダラダラとした40m級の上りを終えると一気に下って、再びサロマ湖に直面する。去年、横に止まった収容バスにあやうく吸い込まれそうになった場所だ。60km地点は、5時間46分55秒で通過していた。この10kmのラップは59分18秒ということで1km6分ペースに落ちたが、トイレ休憩や緑館、それにこの上り坂があった事を思えば悪くは無い。(むしろ良すぎるくらい?)しかし疲労感はかなり濃くなってきた。エイドでの作業を終えてから踏み出す1歩が重たくなってきた。この走り出す1歩が重要で、エイドのテントを離れてすぐに走っているうちは良いのだが、疲れてくると少し歩かないと、走りに移れなくなる。この歩く距離は私の場合、疲労感に比例して長くなるのだ。それからもう1つ気になった事が・・・ シューズの紐がきつく感じ始めたのだ。上り坂で前傾すると脚の甲が締付けられるような感じになり非常に痛む。最初はチップが原因かと思い横にずらしたりしてみたのだが、改善されなかったので、立ち止まって紐を緩めてみた。これで脚の甲の痛みは解消されたが今度は突然激しい尿意に襲われた。この感覚・・・ そうこれは脱水気味(水欠乏)になるとおこる現象で尿濃縮という症状らしい。トイレに行っても量はさほど出ず色の濃い尿が少量排出されるだけ。これですっきりすれば良いのだが、少しするとまた尿意をもよおす。こうなると走っている間の改善は難しく場合によってはレース終了後、半日〜丸1日この症状に悩まされることもある。全身の疲労感、尿濃縮、脚の甲の痛み、胃の不調など60kmを過ぎてから続々と、試練が現れはじめた。コースは国道を離れキムアネップ岬にさしかかっているところだった。トイレから出て歩こうかと迷っているときに再びケソさん登場。『良いペースですよ!』の呼びかけに身体が反応して走り出していた。かなりきびしー状態が近づいていたが、とりあえず65km地点のスペシャルエイドまで行き、そこで立て直そうと決めた。

             キムアネップでトイレから出た直後

65kmのスペシャルにはカロリーメイトポタージュ味を預けていた。小さい缶1本で220kcalという手ごろなエネルギー補給に惹かれて購入。苦しんでいることを予想していた65kmに預けておいたのだった。これを受け取り噛むようにゆっくりと飲んだ。味はまずまず。固形物よりは胃の負担も軽そうなんで結構良いかも。さらにナトリウム欠乏症を防ぐ為に、携帯していた宮古島の雪塩をひと舐め。また梅干も口に放り込んで、掛水とボトル水の補給など全ての作業を確実にこなした。身体は走る行為を拒絶し始めていたが、休んでも回復しないことはこれまでに経験済だったので長居はせずに、軽い屈伸をしてスタート。今大会中ではもっとも長いエイド滞在となったが、無駄な時間は使っていないと思う。65kmのエイドを離れるとコース中唯一とも呼べる木陰の続く道(通称:魔女の住む森)に差し掛かった。みかんを持ったお婆さん(魔女)に引き止められ気がつくと歩いているという伝説?の森だが、今年は走りぬくんだという意思が強かったせいか、魔女は現れなかった。魔女の住む森を抜けると次のお楽しみは白帆のオアシス斉藤商店の私設エイドだ。今年も子供達がよく冷えたお絞りを手渡してくれた。これが目茶目茶気持ちいい。顔の汗を拭い、首の後ろを冷やし、腕、脚をふき取るとさっぱりとする。また胡瓜の塩づけも塩分不足状態のランナーにはありがたい。ここで元気を注入してもらい70kmの関門へと向った。
■そろそろ限界?
70kmの関門は6時間53分48秒で通過。ついに1km6分のペースを超えてしまった。トイレ2回、靴紐の結び直しとスペシャルエイドでの作業に手間取ったのが一番の原因だが、走り自体のスピードも落ちてきた。(この時点ではキロ6分くらいまで落ちていたんじゃないかと・・・)それでもまだ、最後まで走り続けるんだという意思は揺らいでいなかった。70km関門を過ぎると74km付近の鶴雅リゾートお汁粉ステーションが次の目標物になるのだが、この道が1直線でとてつもなく長い。(全長4km以上?の直線)はるか前方をいくランナーは米粒のように見える。相変わらず尿意を頻繁にもよおすし、脚の甲も再び締め付けられるような感覚が再発し始めた。胃は悪化はしていないものの重たい感じは依然と続き、全身の倦怠感は一層濃くなってきた気がする。そろそろ走る続けるのも限界かなぁ・・・ ここまで来れば歩き続けても恐らく完走は出来る。エイドで頭から水を被り、『こだわりは捨てようか?』と思っていた矢先にでんでんむしさんが通り過ぎていった。しかも軽やかな足取で・・・ これを見せられてしまうと歩くわけにも行かず、走り出すことに。ちょっとづつ遠ざかっていくでんでんむしさんの背中を見つめて走っているうちに鶴雅リゾートに到着した。まーずはお汁粉。脚がジンジンしてきたのでたまらず椅子に座り込みお汁粉を味わって食べた。でんでんむしさんはエイドを忙しく動き回り色んなものを食べていたようだが私は胃の不調があったのでお汁粉だけでフィニッシュ。エネルギー補給を終えたでんでんむしさんに『ここまで我慢したけどもう無理(走れない)かも』と弱気な発言をすると『何言ってんですか、これからですよ。ここまで来たんだから』(でんでんむしさん)、『そうだよー』(K枝)と2人にバッサリと打ち消され、『よし!じぁー行くか』ということで出発。その前にトイレに駆け込み用を足して、一緒にスタート。でんでんむしさんはここで食い貯めして残りを一気に走り通す作戦だったようで、胃が落ち着くまで歩き、それからスタートするというので、私は先にゆっくりと走り始めた。しばらくすると、でんでんむしさんが風のように私を追い抜いて行った。そして一人旅がまた始まった。
苦難の道へと走り出す・・・
90kmの関門を越えると、残りの10kmはゴールへと物理的に近づいていく。風はやや強い向かい風だったが不快ではなく、むしろ心地よかった。身体は重たく、切れのある走りはできなかったが、歩こうと言う欲求は消えていた。そんな時、またまたケソさん登場。『いいペースですよ。まだ脚動いてますよー』の声に勇気付けられちょっとだけペースアップ。こんなに気分良くワッカを走れるなんて初めてだ。気がつくとワッカの出口に差し掛かっていた。急な上り坂を歩かずに駆け上がり、もう一度、オホーツク海の青さを目に焼き付けてワッカを立ち去った。

逆方向の80km関門は混雑していた。残り10分弱。かろうじて関門を越えたランナー達が休憩していたからだった。さらにその後も続々とランナーが駆け込んでくる。この関門を通過すれば、次の関門制限時間はゆるくなり、完走の可能性は高くなるので、みんな必死だ。そんな姿に刺激を受け、さらにペースをあげた。ワッカへの引き込み道路を出ると残り2km。ここからはゴールへ向けたビクトリーロードが始まる。それまで”頑張れ”だった声援が”おめでとう”に変わる。この瞬間を待っていた。残り2km、ゴールへと続く直線は至福の時間。声援を贈ってくれる方へ手を振ってこたえ続ける。レース前、このあたりのことを想像すると楽しい気分になっていたが、今はその真っ只中にいる。幸せな気分を噛み締めてゴールへ1歩1歩近づいていった。
(続く)
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ついに座ってしまったぁ・・・
サロマ名物 お汁粉エイドステーション
■ランナーとして・・・
鶴雅リゾートからワッカまでのコースはこれと言って大きな見所はないが、遥か彼方に見えるワッカを走るランナーを見ることができる。あんなに遠くへ行くの・・・と思うと気持ちが折れそうになる。去年までだったら、”5分走ったら3分歩こう”なんて勝手なルールを作っていたと思う。でも今年は最後まで、ランナーとして走り抜こうという大義があったので、走る事にこだわった。エイドでの作業がスムーズにいかず、ロスタイムが増え、ペースは落ち込んできたが、とにかく走ろう!そう決めた。ワッカの入り口となる80kmの関門通過タイムは8時間3分23秒。70km-80kmは1時間9分掛り、ついにサブ10ペースが崩れた。

状態はよくなかった。どこが痛いというのではなく身体全体が重くひとつひとつの動作が億劫になってきた。歩きたい、止まりたい、座りたい、寝転びたい、いろんな欲求が生まれた。走り続けるという意思を貫くことが、困難になってきた。そんな心が揺らぎ始めたとき、目の前に真っ青な、まるで南国の海を思わせるようなあざやかなオホーツク海が目に飛び込んできた。『凄い!』の一言。水色の海面に立つ白波はサーファーがいても不思議じゃないほど、きれいだった。(まるでハワイのノースショアみたい)それに原生花園もオレンジ色のエゾスカシユリが咲き乱れて、ランナーを出迎えてくれた。数日前までは、殆ど咲いていないと言う評判だったのに、大会にあわせて咲き出したかのように誇らしげに咲いていた。
急な下り坂で勢いがつくとそのまま調子にのって走り続けることができた。ちょっとだけ風の中に溶け込めた気がした。ワッカに入ってからは1km毎の距離表示が短く感じられた。トイレの回数が多く、1km6分のペースまでは戻せなかったが、80kmから90kmまでの10kmは1時間4分でカバーできた。折り返しの手前では、でんでんさんとすれ違ってハイタッチをした。(なんか滅茶苦茶元気そうだった。)
ふと気がつくと道端で椅子に座って声援を送ってくれている人がいた。近づいてみると、高石ともやさんだった。差し出してくれた手を握ると『おめでとう、ここから先は君のビクトリーロードだ』と声を掛けてくださった。不覚にも思わず涙がこみあげてきた。身体中が達成感に満たされ、疲れが吹き飛び元気が出てきた。残り1km、時計は10時間5分になろうとしていた。頑張れば10時間10分を切れるかも? こだわる様なタイムでは無かったが、思い切り走ってみたくなった。沿道ではK枝やでんでんむしさんが出迎えてくれたが、その声援を振り切るように走り続けた。自分でもびっくりするほど脚が動いた。道路を右に曲がると目の前にゴールゲートが見えた。前にも後ろにもランナーの姿は見えなかった。会場に響く拍手全てを独り占めにして、ゴールへ向かって走った。2005年サロマ湖100kmウルトラマラソンというドラマは10時間9分49秒で幕を閉じた。
■新たなスタートへ
ゴールして、完走メダルとタオルを掛けてもらい、芝生の上に座り込んでアイシングをしているとK枝とでんでんむしさんがやってきた。足の裏はジンジンとしていたが、他に大きなダメージはなく、100km走ったと言うことが自分でも不思議なくらい元気だった。暫くするとシロさんも登場。初出場完走の夢は叶わなかったようだが、その頑張る姿には脱帽。ランニングを始めて1年足らずで70kmの関門まで走り続けたという根性は尊敬に値する。と思う。でんでんむしさんは、私を抜いた後、更に加速してラクラクのサブ10達成。底力の違いをみせつけられた。その後、応援で駆け回ってくれたケソさんやカープさんも合流し、レース話しに花が咲いた。今年のサロマは晴れやかでちょっと気温が高かった気もするが、爽やかな風が吹きぬけ、第20回という記念大会にふさわしいコンディションになった気がする。そして個人的にも過去最高の結果・内容でようやくウルトラランナーの仲間入りができたような?

          

これで今年のサロマは終わった。1年に1度、北の大地で開かれるお祭りは幕を閉じた。次の大きな目標はホノルルマラソン。ここではサブスリーがひとつの目安になりそうだが、さらにその先を見据えると来年のサロマでは、サブ10というのも視野に入ってきそうな予感・・・ 今年も今思えば、あと少しの勇気と我慢と工夫があれば、届いていたかもしれない。もっともウルトラの場合、距離が長すぎて最初から記録を狙おうなんて気持ちは持たないほうが良いと思うが・・・ 何はともあれ、新たなスタートは切られていた。

■あ゛ー 最高!
午後6時、大会が終了したの機に会場をあとにした。運転はK枝。イマイチ怪しい運転技術だが、100km走った者が運転するよりは確かかな? ブレーキを踏むタイミングで足が攣っても困るしね。渋滞知らずの国道を快調にひた走り、宿には7時頃到着。夕食の時間を8時からにしてもらい、まずは温泉入浴。日焼けの跡がヒリヒリ痛んだが、露天風呂に浸かると、思わず『あ゛ー』という声が漏れてしまうほど気持ちよかった。夕暮れの網走湖を眺めながら、そよ風に吹かれての入浴はたまりません。風呂からあがると夕食。これまた楽チンでよかった。あとは寝るだけの状態でビールをぐいっと一杯飲み干せば、これまた『あ゛ー』というため息。そのあとはボリュームたっぷりの食事に舌鼓をうち、今日の思い出を振り返った。ケソさんたちも同じホテルだったら良かったんだけどなぁ・・・ 部屋に戻るとバタンキューで、10時前には夢の中でした。(時々、脚がピクッとして目が覚めたけど)
夕暮れの網走湖
網走観光ホテルの風呂、露天・サウナも有り