ネオテニー2
ネオテニー2





 その子供が『子供』だということに気づくまでには数日を要した。
 その子供―――八樹にはほとんど自己主張がなく、存在感すら希薄で、同じ部屋で生活しているというのに、半屋はその子供の存在を忘れてしまうことが多かった。
 
 ある日、八樹を連れて買い出しにいったとき、たまたまお菓子を欲しがってむずがる子供を見かけた。そうしてようやく半屋は自分の連れている人間が『子供』だということに気づいたのだ。

 「なんか欲しいもんあるのか」
 半屋が八樹をお菓子売場に連れていっても、八樹はなにも反応しなかった。
 不自然にお菓子から目をそらし、床を見ている。
「欲しいもんがあったらこのカゴんなか入れろ」
 半屋は人に何かを尋ねたりすることが苦手だ。だから自然と命令口調になってしまう。
 八樹はますます下を向いた。
 そうやって自分の望みを抑えることが他人を喜ばせると思いこんでいる、いじめを受ける者に典型的な性格の子供。
「何でもいいから一つ入れろ」
 八樹は顔色をうかがいながら60円のコーラ味のグミをかごに入れた。
(どーしよーもねぇな)
 こういう性格はすぐには直らない。本人がなにかきっかけをつかまないと直らない。
 どうせ一ヶ月のつきあいだ。半屋はそこまでこの子供の責任を負うつもりはない。

 「喰わねーのか」
 買い物から帰ってくると子供は部屋の隅に座り、ただ動かずにじっとしている。
 そういえばこれまでこの子供は何をしていたのだろう。
 一度気づいてしまうと、さすがに気にかかる。
 八樹は半屋の顔を見て、義務でもあるようにそのグミを一つ食べた。
「てめぇのモンなんだから勝手に食べろ」
「……うん」
 半屋はこれまで今まで通り無為に一日を過ごしていたが、その間この子供が何をしていたのか、ほとんど思いつかない。
 外出するときや御飯時にはさすがに声をかけたが、それ以外は八樹がそこにいることさえ気づいていなかった。
 テレビや落書きの材料さえ与えるのを忘れていたから、この子供は今のように隅でじっとしていたに違いなかった。
「テレビ、見たいのがあるか?」
「……ない」
 実際、見たいテレビもなさそうだし、半屋もこれ以上譲歩をするつもりはない。
 落書き帳だけ渡し、半屋はまた八樹の存在を忘れた。

 次の日、半屋は八樹をデパートに連れていくことにした。
 この子供は『子供』なのだ。おもちゃぐらいはないとだめだろう。
 ところがおもちゃ売場でも八樹は何も選ばなかった。
「てめぇの金だろ。好きなもん選べよ」
 梧桐は八樹に一ヶ月分と思われる金を持たせていた。半屋は食費などに遠慮なく使ったが、そうやって使っても少し多い金額だった。たぶん、おもちゃなどの金も含まれているのだろう。
「別に……いい」
「選べ」
 そう言ってから半屋はおもちゃ売場から離れた。この子供は半屋がたまたま見てしまったものを選ぶだろうと思えたからだ。
「これ……」
 八樹が持ってきたのは勘違いした大人が子供のためになると考えて買いそうな知的遊具だった。しかも値段も他のものより安い。
「くだんねーな」
「……まちがえた」
 八樹は歪んだ顔をして売場に戻ろうとした。
「てめぇはそこで休んでろ。俺が選んでくる」
 とは言っても子供のおもちゃなどよくわからない。だいたい半屋は自分が何で遊んだかなんてまるで覚えていない。
 ただ、あの子供は『ごっこ遊び』ができそうには見えなかった。そうすると買えるおもちゃは限られてくる。
 半屋はごく一般的なブロックと、300ピースのジグソーを買った。
「ありがとう」
 義務的な声だった。

 部屋の片隅で八樹がジグソーで遊んでいる。
 半屋はタバコを吸い、ぼーっとしている……はずだった。
「あと五日だよ」
 突然、妙に険の含まれた声で八樹が言ってきた。
「ア?」
「また見てた。……あと五日だ」
 半屋には八樹が何を言ってるのかわからなかった。
「いつも見てる」
「……?」
 どうやらカレンダーのことらしい。
 カレンダーを見ていた半屋を見て、八樹は半屋が彼を追い出す日を待ちかねていると考えたようだ。
 あと五日で出て行くから安心しろと、言外に匂わせている。
「そういうんじゃねーよ。気にすんな」
 ならば何だったのか。だいたいカレンダーを見ていた覚えさえない半屋にはわからない。

 このところ八樹もようやく半屋に馴れてきていた。ただ、相変わらず自分の望みを口にしたり、心から楽しそうにしたりといった子供らしさはない。
 初めて自分から言ってきたのが今の言葉だった。ようやく言えるまでになったのはいいが、それも八樹自身を卑下しながらだ。
 根が深い―――半屋はそう思った。
 しかしあと五日では何もできないし、するつもりもない。
 ここを出て、この子供はどうするのだろうとふと思うが、それも自分とは関係のない話だろう。
 
 他人と暮らすのは確か二度目のはずだ。一度目が誰だったのか、半屋は覚えていない。
 だからこの子供のことも三日も経てばきっと忘れてしまうだろう。

 

NEXT



小説トップへ
ワイヤーフレーム トップページへ