自然とは何かを問い続けた巨人

書評:『今西錦司 そのパイオニア・ワークにせまる』

京都大学総合博物館 編
梅棹忠夫 斎藤清明 著 紀伊国屋書店

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『今西錦司 そのパイオニア・ワークにせまる』


 今西錦司生誕百周年記念事業の一つとして、2001年10月に「今西錦司生誕100年記念シンポジウム」が京都で開催されたことは、以前ご紹介させていただいたと思います。また、その一環として、京都大学総合博物館において、「今西錦司生誕100年記念企画展 今西錦司の世界」が開催され、こちらについても僭越ながらご紹介させていただきました。


 特に、総合博物館における今西錦司博士の足跡をたどる企画展では、始めて公開される写真や所蔵品などが数多く展示され、大変興味深い思いを持って見学したのを覚えております。

 その時に、ぜひ記念にと思って展示品を写真に収めようとしたのでが、残念ながら撮影は禁止と言う規則の壁に阻まれ、涙を飲んであきらめたことを昨日のことのように思い出します。

 しかしながらその後、企画展示のプロデュースを手がけられた京都新聞社の齋藤清明氏から、「この展示内容を納めたカタログ集のようなものを年内に出版する予定にしているので、ぜひそちらを楽しみに待っておいて欲しい。」とのご返事をいただきました。その答えとして記念出版されたものが、今回ご紹介する「フォトドキュメント今西錦司ーそのパイオニアワークにせまる」です。

 タイトルにもあるように、自然学者を自認する今西錦司博士の生涯が、その生い立ちから晩年に至るまで、これまで公開されていなかった秘蔵の写真などを元にして丁寧に紹介されており、今西ファンにとっては何物にも代え難い貴重な一冊となっていると思います。

 私は、偶然この本を出張帰りに大阪市内の本屋で見つけたのですが、「おお〜、遂に出たのか!!」と、感動しながら手に取ったのを覚えています。と言うのも、この本が出版されたのは、2002年もあと数週間で終わるという暮れも押し迫った時期だったからです。

 それはともかく、この本に接することによって、今西錦司と言う一人の人間が、如何にして自然を理解しようと試みたのかが、改めてよく理解できたように思います。昆虫学に始まり、登山、探検、サルの研究を経て独自の進化論を構築するものの、最終的には自然科学と決別して自然学と言う名の思想、あるいは哲学を築き上げて行く課程は、「自然を客観的に扱うことではなく、自然に対して自己のうちに、自然の見方を確立することでなければならない。」(著書:自然学の展開より引用)と言う博士本人の言葉を具現化したものと言えるのではないでしょうか。

 自然環境の保護が声高に叫ばれている現代、果たしてどれだけの人が本当に自然を理解しているのでしょう。それは単に、残された自然環境を隔離することではなく、まさに生物全体社会の一員として自己の存在を認識することから始まるのだと思っています。

 悲しいことに人間社会において、21世紀は今西博士の共存原理よりダーウィンの競争原理が復古し、争いの世紀になろうとしています。人の遺伝子情報には、本来そうした闘争本能が埋め込まれているのではないかと考えたりすることもありますが、実際のところそうではなくて、平和的に共存共栄して行けると言う、本来生き物が生まれながらにして獲得している本能が、人間だけ壊れてしまった結果なのではないかと考えたりしています。重ね重ね残念ですが、それが現実ではないでしょうか。

 最も、そのことを誰もが少しでも理解していれば、今よりもっと平和な時代が築けるようになる気もします。しかし、それができないのも人間が持つ性なのかもしれません。

 話が横道にそれてしまいましたが、実際この本を読むだけでは今西錦司の全体像をつかむことは容易でないかも知れません。それほど、この偉大な人物が残した足跡はあまりにも大き過ぎるのです。ご興味を持たれた方がおられましたら、ぜひとも「今西錦司全集」をご一読されるよう、お勧め致します。

 最後になりましたが、『終章・今西の遺した地図の美学』の中で、「今西錦司生誕100年記念企画展」でも展示してあった、あの芸術的な赤線の入った登山地図をぜひとも掲載していただきたかったと思います。国土地理院発行の地図なので、著作権等の問題があったのかも知れません。今となっては、それだけが唯一の心残りです。

 ぜひまた、あの地図が見られる日が来るのを心待ちにしながら、ご紹介を終わりたいと思います。

 


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