essay 1999
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昨年の創立40周年記念演奏会について振り返る[1999.11.27]
 この演奏会については、自分でもどうとらえてよいか分からなかったことがあり、長く感想を書かないままにしていました。というのは、ブラ2のフィナーレを叩いていて、涙が止まらなくなったのですが、その涙の理由が分からなかったのです。
 一昨年のブラ1の後、ティンパニについてはスランプ気味だったかもしれないと思います。それがこのブラ2を叩いている最中は、自分では何となく「抜けた」感じがしていました。ですが終楽章を叩いている頃、なぜか違和感を感じ始めていました。自分としてはいけてるのに、それがことごとく空振りでもしているような感じでした。そして終楽章も終わりに近づいた頃、急に涙が止まらなくなったのでした。
 そもそもこの演奏会は創立40周年記念でOBが集まったもので、普段の学生オケとは違い、ある意味「楽しんで」演奏しているようなことを感じていたので、変な表現ですが「涙を流すような演奏会じゃないのに」と思っていました。そうしてブラ2が終わっても、涙は全く止まる気配すらなく、アンコールはティンパニのない曲だったこともあり、Roc'n'Socのシートを下げていました。アンコールの曲が始まっても、涙は止まりませんでした。演奏会が終わったときに泣いていたことを悟られるのがいやなので、演奏会が終わって舞台を下りると、すぐさま顔を洗いに行きました。
 ちょうどその日は、チャットで知り合いの人たちが10人も聴きに来てくれていて、ロビーで感想を聞くことができました。その頃には何とか落ち着いていました。その方たちと夜にオフ会をすることになっていたので、楽器の搬出および運搬後、オフ会に直行したこともあり、そういった面では楽しんで一日を終えることができました。
 しばらくして、この演奏会についての議論があったりして、その一方で自分なりに涙の理由を考え始めました。そうしてあの時のことを思い返すうちに、自分は違和感を感じて、その恐怖から涙が出てしまったんじゃないかと思ったのです。
 自分自身は別にあがらないタイプではないと思うのですが、特にオーケストラに入ってからは、本番では「あがっている状態」をさらに越える緊張状態に持っていくようになっているので、あがってしまった記憶がありません。あるいは逆にリラックスした状態で演奏したときも少ないながらあったように思います。ですが、今回は全く経験したことのないパターンだったように思いました。今になって、いい経験をしたのだろうという気がしています。
 こうして一定の整理がついてきたことにより、ようやくこの演奏会について、あらためてこの演奏会について何かを書くことができるようになりました。ということで、本来historyのコーナーに書くべきでしたが、演奏会後すぐのことではないので、こうしてessayとしてまとめることにしました。
 ことブラ2については複雑な思いがあったものの、特にサブは打楽器パート以外の人が打楽器を担当することになったり、ファランドール用にプロヴァンス太鼓を実物により近いスタイルにしたりして、それなりに楽しむことができたのは事実です。そのプロヴァンス太鼓については、あらためてhistoryの方に書くことにします。
劇団赤鬼のおてつだいに行く[1999.11.17]
 Tobita Webを作るに至った経緯もありまして、他の劇団の方ともネット上で知り合いになりました。劇団赤鬼のプロデューサーである高見さんもその一人です。今年8月の公演「努力しないで出世する方法」に行った際、練習を見に行きたいと言っていたのですが、なかなか調整できませんでした。そうしたところ、次回公演のダイレクトメール作業が11/17・18があり、そのおてつだいをHPで募集していたので、それに行くことにしました。
 稽古場の片隅で、DM作業をしながら稽古を見ることができました。団員の宮地さんと話をしつつ作業をしていたのですが、正直なところ、見学のためだけに行っていたとしたら、場の緊張感に負けてしまうだろうな、と思いました。むしろ単純作業をしながらだったので、リラックスして雰囲気をつかむことができました。
 劇団の稽古を見に行くテーマは「演劇の練習の過程からインスピレーションを受ける」ことでした。劇団赤鬼もちょうど公演一ヶ月前なのですが、この時期だったら見られるだろうと思っていた部分を見ることができました。練習後半でのあるシーンをとりあげての練習では、オーケストラでの合奏練習に置き換えながら見ていました。また演出の吉村さんの言葉も、そうして置き換えながら聞いていました。具体的に何が、と言うことはできないのですが、すごく勉強になったような気がしています。
 その一方で、本番を見るときには客観的、分析的な見方にならないようにしたいと思いました。評論家的になってしまわないように、と。

追記
 もし、赤鬼関係者の方がここをご覧になりましたら、concert history(演奏記録)に行って、1999.5.29の近畿大学の分を見ていただけたらと思います。その演奏での表現は、明らかに演劇からのインスピレーションによるものですから。

おてつだい二日目[1999.11.18]

 昨日に引き続き、DM作業のおてつだいに行ってきました。
 今日も稽古を見せていただきながらの作業だったのですが、劇のシーンとしておぼえてしまうと本番で入れなくなるので、打楽器奏者としての自分にフィードバックしながら、稽古の過程を見ていくようにしていました。
 作業の休憩時間に高見さんともう一人のおてつだいの方で話をしました。舞台で表現するという点で通じるところは多いものの、やはり手段というか方法の違いがあるのも再認識できました。本番の舞台を見るときには、演劇の評論家的になってしまわずに、純粋に感じられるようにしたいと思いました。
 今日は舞台監督の方も来られていたのですが、稽古を見ていて直感的に感じたことを、演出や舞台監督の方が同じように言っていたところもあったりしました。稽古の終了後、役者の一人である下村さんに某シーンのだめ出しなどしてしまったのですが、そんなことをしつつ、あくまでも演劇の方法論まで分かったつもりになってしまわないようにと、自分をかえりみたりしていました。
 昨日と今日の二日間で感じたことを、これからの打楽器奏者としての活動に生かしていけたらと思います。またインターネットを通じて、他の表現領域にふれることができていることに感謝していたりします。

追記
 今日、一緒に作業をしていた山口弘美さんが打楽器経験者だったので、ちょっとうれしかったです。
神谷百子さんに初めて会う[1999.10.23]
 神谷百子さんとは、PPN-MLで知り合いになりました。で、先日よりうちで神谷さんのCD紹介をする件について私信のやりとりをしていたところ、10/23の久石譲のコンサートに出演する話を教えてもらいました。数日前のことだったので、神谷さんの方で席を用意していただけることになりました。
 そして今日ホールに行ってみてチケットをもらってびっくり。

チケット

 BOX席Cというのは、ホールのまさに中央でした。ものすごくいい場所だし、隣には、マネージャーらしき方が座ってるしで、ちょっと緊張してしまいました。
 今回、初めて神谷さんの実演を見たのですが、印象に残ったのは、パッセージを叩ききった後に、右手を後方に引く仕草のきれいさでした。アンサンブル(それもサポート)の中で、自分自身をどう見せるか、という点でインスピレーションを受けました。自分の演奏に結びつくインスピレーションを受けることができたという点では、最初に見たのがソロでなく、こういった形でむしろよかったと思いました。
 本番後、フェスティバルホールと同じ建物になるホテルのロビーで待ってみました。共演していた弦楽四重奏団の方々がいるのを見かけたからです。21:45ごろ、神谷さんを見つけることができました。別会場でのミーティングに向かわれるところでしたが、タクシーに乗るまでの時間、お話を聞くことができました。
 その中で、たつみが知的障害児の施設の指導員をしていると知り、神谷さんの方からそういった施設での演奏をしたいと打診がありました。たつみとしては願ってもないことなので、将来的にうちの施設での演奏を実現させたいと思っています。
 デジカメを用意していたのに、記念写真をとる間もなかったのが残念でしたが、写真はいつの日にかうちの施設に来ていただける時の宿題ということにしておこうと思います。

 初めてお会いした日ということで、何とか今日CD紹介をUPしました。
グレニー、そして「M X PIAZZOLLA」を聴いて[1999.7.1]
 エヴェリン・グレニーのコンサートがあるのを数日前に知ったものの、チケットを入手する間がなく、今日になって当日券があるかどうか確認したところ、まだ残って残っているとのことで行ってきました。

7/1(木)19:00〜 いずみホール

クライスラー/プニャーニ/前奏曲とアレグロ**
マッソン/フラム
スティーヴンス/リズミック・カプリス
ウォレス/チーズと虫たち(アジア初演)*
ヴィヴァルディ/協奏曲ハ長調**
ヒース/ダークネス・トゥ・ライト(アジア初演)*
ロサウロ/マリンバ協奏曲**
[ENCOLE]ラヴェル/ボレロ**

*フィリップ・スミス(P)
**ミ・ベモル・サクソフォン・アンサンブル

 過去の来日公演のビデオや、ショルティと共演したLDでは見たことがありますが、実際にホールに行くのは初めてでした。
 まず目を引いたのは、特に弱音を奏するときに、マレットが打面に触れる瞬間、柄から親指と人指し指を離すという奏法です。たつみがティンパニでよく使う、フレンチ・グリップに持ち替えて柔らかい音を出すという奏法と共通するところがあるような気がしました。そして聴いていくにつれて、グレニーさんのスタイルと自分のスタイルとに何か近いものを感じました(レベルは全然ちがうでしょうけど・・・)。そういう意味では、アンコールのボレロに感動させられました。スネアドラムでリズムを刻むというのではなく、スネアドラムで歌っているように感じたのです。それは、自分がオーケストラで演奏するときに心がけていることだからかもしれません。
 そして、帰りの車の中で、ホールに行く前に買ってきた「M x PIAZZOLLA」というCDを聴きました。通崎睦美さんは、7年前の打楽器合宿で一度だけお会いしたことがあり、CDが出ることを知って、さっそく買いに行ったのでした。このCDを聴いて、タイトルの「M」は「睦美」そして「マリンバ」を意味しており、それらと「ピアソラ」という三つが結びついてこそ生まれたものを強く感じました。そして、さっき聴いたグレニーのことだけでなく、自分自身についても思いを巡らせていました。
 この夏のシーズンに4つの演奏会に出ることとなり、そのうちの一つを残した今、7/10の本番は「起承転結」の「結」になりそうです。ちょうど昼にその練習に行ったあとのことなので、さらにそう思いました。
ドラメ解散、TMW結成、そして[1999.6.16]
 一年前に知ることとなったドラメですが、この一年で大きな変化がありました。

バーベキュー

 公演の一週間後の7/30、チャットの知り合いとのバーベキューで、ドラメの方とご一緒することができました。そこで主演女優の藤原章子さんといろいろ話ができたこともあり、多くを得られたと思います。年末には、ここでご一緒した赤星正徳さんと野引妙子さんが参加したユニットMerry Makersの「地球人大襲来」を見に行きました。劇団☆世界一団、劇団赤鬼、劇団満遊戯賊の合同ユニットによるこの公演により、より世界が広がる感じでした。
 しかし年が明けると「ドラメ解散」の知らせが入りました。恋次郎さんを中心としてTHEATER MEN'S WORK(以下TMW)が旗揚げされ、赤星正徳さんが劇団☆世界一団に加入するなど、新しい展開を見せています。4月には「Flying Fish」の公演に行きました。メンバーもほぼかわり、個人的には別の劇団として新しく応援していこうと思ってます。

 なぜ今ごろエッセイにしたかというと、昨日、ある封筒が届いたからです。それは劇団☆世界一団の7月の公演の案内なのですが、「Flying Fish」に客演していた椎原小百合さんからの自筆メモが添えられていました。それがうれしかったので、こうしてエッセイにしてしまったのでした。

椎原メモ

たつみひとし様
 先日は、TMW「Flynng Fish」におこしいただき、ありがとうございました。アンケートもありがとございます。アレは4月のことでしたので、もうすっかり2ヶ月くらいがたってしまったのですね、早いものです。
 次はいよいよ世界一団です。
 食中毒にもメゲず、「スペースラブ」では、最上の客室乗務員として、皆様も宇宙の旅へとごあんないいたします。
 一緒に宇宙へ行きましょう。お待ちしてます。
 HEP発宇宙行 お乗り遅れのなきよう・・・
 劇団☆世界一団 椎原小百合
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