空手四方山 「やはりサッカー_臥薪嘗胆」



やはりすごい大会でした。
21世紀に入り、新旧交代というか勢力図の異変というか、そう言うことが始まりそうです。
今回の主役は前半ベッカム、後半ロナウドとカーンというところでしょうか。
ベッカム、ロナウドに関しては4年前の雪辱を果たすというテーマがある訳です。
2人共、母国において「お前のせいで負けた」というような事を散々言われ、 その雪辱を期すため4年間、まさに臥薪嘗胆(日本人好み?)で今回に望んだのでは ないでしょうか。
まず神は、ベッカムに対してその雪辱のチャンスを与えます。
対アルゼンチン戦。
予選リーグにおいて同じブロックでなければ、もしかしたら対戦できなかったかもしれない両チームです。
復讐戦と言うと少し言葉が悪いかもしれませんが、そのチャンスが巡ってくるのは意外と少ないものです。
ある時は、自分が途中でずっこけ、あるいは相手がずっこける。
おそらくベッカムはリーグ戦の組合せを見た瞬間、神に感謝したのではないでしょうか。
「こんなに早くチャンスをくれてありがとう」と。
やはり実力のみならず強運の持つ主
取り合えずは、自らフリーキックを決め勝利に貢献する事で雪辱を果たしたのですが、 ブラジルに負けた事でもうひとつ超えねばならない課題を4年後に残すことになります。

ベッカム人気に隠れて目立たなかったロナウドは終盤俄然脚光をあびます。
そして迎える決勝。
神は、ここでもカーンという最も相応しいであろう敵を用意してくれました。
ゴリラのような容貌、冷静沈着な対応、リーダシップ、 まさに倒すに足る相手をロナウドの為に用意してくれたようです。
どん底から這い上がった男が、強敵を相手に4年間のくやしさを晴らす事ができるのか。
(きっとカーンの側から見てもドラマがあったと思いますが)
まあ本当に漫画のような展開です。
技術的なことはよくわかりませんが、空手的に見ると次のように見えました。
ドイツはカーンが脚光を浴びすぎてその固いディフェンスが影に隠れたようですが、 やはりロナウドに繋ぐリバウドとロナウジーニョの2人を完璧に近い形で抑えていた ようです。
空手で言うと前で捌く(さばく)という奴です。
ロナウドの時点でブロックすると「後ろで捌く」、そのロナウドに旨く回らないように するのが「前で捌く」という奴です。
ところが最初の1点はその逆。一瞬の隙から「繋がれるロナウド」から「繋ぐリバウド」にボールが回る。 しかもこの2人には、「繋ぐこと」も「繋がれること」も十分こなせる高い能力が備わっているのです。
そして最後にもう一度「繋ぐリバウド」と「繋がれるロナウド」に戻る。
さすがのカーンもこの2人の連続攻撃の前についに失点を許してしまいます。
逆に言えば、最高峰の2人がかりでようやくまず1点というところでしょうか。
2点目はおまけのような気がします。
この1点目に関しては、ドイツのディフェンスのミス、カーンのミスが取り沙汰されているようです。
以前「この空手家を・・・」のページで「勝つためにはチャンスを如何にのがさないか」というような事を 書きましたが、この場合がまさにそのケースでしょう。
逆に言えば如何に隙を作らないかです。ドイツ側にこぼれたボールの処理に戸惑ったその瞬間(隙)に それを見逃さなかったロナウドとリバウドは流石と言うべきか。
(ドイツのディフェンダーは、ボールを奪ってパスしようとしたその線上に審判がいて 戸惑ったように見えたのですが。もしそうであるとするとこれも運)
鉄壁のカーンとその前衛でのディフェンダとのコンビネーション。それが一瞬みだれた瞬間 に勝負は決してしまったのです。
90分の中のほんの一瞬です。厳しいです。
カーン自身言っています。「今大会で、ただ一度だけ犯したミス。そのミスが負けに繋がった」と。
想像ですが、カーンは自分の手からボールがこぼれ、ロナウドによってそのボールが ゴールに押し込まれる場面をこれから何度も繰り返し見るのではないでしょうか。
試合終了後、カーンは身じろぎもせずじっと 遠くをみつめていましたが、その先には何が写っていたのでしょうか。
既にカーンは33歳とか。臥薪嘗胆し4年後に雪辱を果たすことができるのでしょうか。
しかしこのカーンに対してドイツのマスコミは「カーンのミスで負けた」との評であるとか。
残酷なものです。
まあ、たとえマスコミに評価されたとしても、やはり本人には地獄でしょうが。

余談ながら、この試合後テレビの画面は、ほとんど勝利したブラジル選手を映し出していました。
私は、「ドイツの選手も見せてくれよ!!」と思っていたのですが、そのテレビのゲストを 務めていた全日本の宮本選手は「今のドイツの選手を見てみたいです。」というような事を言って くれてました。
野次馬根性で見たいのではないのです。負けた人たちがどのような態度をとっているのか。
それを同じ選手としての視点で見てみたいという事ではないでしょうか。
あるいは言葉にするのが難しい、哀れみとか同情とは少し違う、複雑な感情からではないでしょうか。
宮本選手のプロとしての心とやさしさを見たような気がしました。

同じように地獄を見た人たちがやはりたくさんいます。

フランスのジダン。
優勝という高い山に上り詰めそこから一機に谷底へ。
「山高ければ、谷深し」とは極真空手初代世界チャンピオン・佐藤勝昭先生の経験からのお言葉。
まさにその通りの屈辱に浸っているのでしょうか。

私の贔屓(ひいき)の一人スペインのラウル
「スペインの至宝」「天才ストライカー」と言われ優勝の期待を担ったにも関わらず、怪我で アイルランド戦途中離脱。
準々決勝「対韓国戦」も最初からリタイア。
「情けない」という意味の意見も聞きました。
スペイン国民がどう言うかはわかりませんが少なくとも「至宝」の価値は多少下がっているはず。
他にもアルゼンチン、ポルトガルなど同様の屈辱に浸っているのではないでしょうか。

もしマスコミや世間がどんなに認めてくれても、感動したと言ってくれても 一時の慰めにこそなれ、屈辱は消えるものではありません。
自らの力で雪辱するまでは、いつまでも付きまといます。

谷底に突き落とされた人達が次回どのような活躍をするのか。
雪辱のチャンスは自ら作るのが原則でしょうが、そのチャンスが運で巡ってこない人も必ずいる はずです。
先に述べたようにカーンは既に33歳。自らブラジルを倒す、あるいは優勝に貢献するという チャンスはもう巡ってこないかもしれません。
そのような場合、どうやってその屈辱を消化するのか。そこにも価値があるのかもしれません。
逆にブラジルも次回は再度谷底に落とされる可能性があるわけです。
勝者は常に一人。だから面白く厳しい。

最後に審判問題。
韓国戦を中心に色々言われてました。
韓国の選手そのものには罪は無いように思います。むしろ彼らも気の毒です。
きちんとした判定の元で戦っていても勝ったかもしれないのです。
(スペインがもぎ取られた1点の件も、もしあそこで1点取られても、 確率は低いですが、更に取り返したかもしれないのです。)
前回のオリンピック柔道の決勝、冬季オリンピック・フィギュアやスピードスケートの判定 などもあります。
おかしな判定は勝った方にも、負けた方にも傷を残します。
レベルこそ違え、空手でも似たような事はよくあります。
ただ、基本的には一度くだされた判定はどうしても翻らない。
(冬季のフィギュアのように後から他にも金メダルを与えるという事自体が異例すぎる)
「敗者は黙して語らず」が美しいように思えます。





不遜な言い方になってしまいますが、空手を実践する者として勉強するところが多い大会でした。
もっとたくさん書きたいのですが、長くなるのでいづれどこかで。

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