オリンピック シンクロ  2016/08/27

ぎりぎりまで追い込まれての三宅選手の銅、内村選手の逆転金から始まり、逆転続き。
日本選手の活躍でかなり盛り上がったリオ・オリンピック
「地獄の日々、地獄のトレーニング」を経て復活したのが女子シンクロナイズドスイミング。
最後の一ヶ月位は一日11時間以上の稽古をこなしての結果との事。
その稽古内容をテレビで話しているのを聞きましたが、大変なものです。
大切なのはどれほどの事をやらなければ、世界と戦えないのか。TOPに行けないのか と言う事を知っていることかと思います。
その意味では、空手も競技として見てた場合は同じ。その為には指導者がどの位の稽古を積んできたかが大切。
しかし、それ程の地獄といえる稽古を積んでも、ロシアのシンクロにはまだまだ及ばない。
素人が見ても、それ程、ロシアのシンクロは美しく素晴らしい。
クラッシクバレエにしても、フィギュアスケートにしても、芸術的な部分が素晴らしいロシア。
いったいどれほどの稽古・トレーニングを積んでいるのか。
「地獄の日々」といえるような事を、当たり前にこなしているのかもしれません。
だからこそ、ドーピング問題など、おかしな事で味噌をつけて欲しくない。

先人の知恵 財産 準備体操・柔軟体操  2016/03/03

私達が実践しているのは,俗にフルコンタクトと言われる種類の空手となります。
相手に当てるのをフルコンタクト、寸前で技を止めるのを「伝統派」もしくは「寸止め」と呼ぶのが慣わしと言って良いかもしれません。
それぞれに一長一短があります。
それでもって、フルコンタクトの人たちは以前は、昔から存在する型稽古(相手を想定した一連の組み立てを一人で行う)を若干軽視する傾向がありました。
恐らく、この10年位かと記憶しますが、この型がフルコンタクトの人たちにも見直されています。
理由は様々。
伝統派の方々は型が非常に綺麗で上手ですが、フルコンタクトの方々はちょっと落ちてしまう。と言う傾向がありましたが、これも大分変わってきていると思います。
長くなりましたが、ここまでが前置き。
要は、先人が培ったものは、簡単に切ってしまっては良くないと実感しています。
そのひとつが稽古開始前や終了時の準備体操や整理体操
空手はかなり過酷な稽古を行います。見た目以上に、関節部や、筋肉に負荷や衝撃を与えます。
結果、思わぬ怪我もしてしまいます。
その予防として、準備体操や整理体操が存在するのですが、これが結構甘くなっている。
甘くなくとも、個人個人の判断で、不要と思ったものや嫌いなものは外してしまう。
ストレッチ、ストレッチが大切とは良く聞く言葉。しかし、今で言うストレッチの多くは、昔からある柔軟体操に結構含まれます。
これらをその場の判断だけで除外してしまうと、その場はともかく、後々、思わぬしっぺ返しがやってきます。
膝、腰、手首、指、肩、首 細かいところまで丁寧に行う空手の準備体操・柔軟体操。これらのいずれかを怠ると、長い期間(数年ではありません。)の積み重ねで、思わぬ故障が起こる事があると思います。実感です。
(稽古量によっては避けがたい部分も当然ありますが)
実践では準備体操などやってる時間はない と言う事もありますが、それは別の話。
いつもの稽古ではきちんきちんと準備体操から整理体操を先人の教えを忘れずに行わなければならない。
多くの先人の経験や知恵を謙虚に、まずは踏襲すべきところは踏襲する。
大事な事ではないかと最近強く感じています。

とは言え、稽古に遅れて地味な基本や移動稽古の間、丁寧に丁寧に長く「オス!準備体操は大切なので」と言うのは勘弁。


電車の親子  2015/08/11

たわいの無い話です。
今日、電車に乗っていると、お母さんと小学生位の娘さんが途中駅で乗車してきました。
娘さんは大きな多分バイオリンを抱え、その他にも、バッグやら大荷物。
お母さんの方も荷物を持っていますが、1メートル位の袋に入った物も片手に持っています。
どうも、剣道の竹刀に見えます。
竹刀とバイオリン?? どうもしっくりきません。
一体、どこで何をしてきたのか?
荷物も大きいので回りに迷惑がかからないようにされていました。

それでふと思い出しました。
何年前か忘れましたが、山手線で道場に向かう途中、お母さんとやはり小学生位の男の子が乗車してきました。
席がひとつだけ空いており、お母さんが座りなさい、と男の子に勧めます。
男の子、空いた席の前まで来たのですが、ピタッと立ち止まり動きません。
目は乗車口(扉)の方をじっと見ています。
そちらを見ると、かなりお年を召された方が乗車されてきました。
その方は、右、左と見回して、空いた席を探しているようでした。
男の子はじっとその様子を見ています。
お年を召された方は、男の子がいる反対方向に空いた席を見つけそちらに座られました。
それを確認した男の子、ようやく席に座ったのです。
文字にすると長いですが10秒前後ではないかと。
座った男の子にお母さんは「どうしたの?」と問いかけます。
男の子は「おじいさんがいたから」と言うような答えをしていたように記憶します。
お母さんを座らせればもっとよかったのですが、思わず
「キミは偉い!!」と言いたくなりました。

確か、 「思ったけど やるのが遅れた」 は未熟
「思ったけど やらなかった」は論外
自分も反省する事があります。
追悼 2015/04/19

20年ぶりにPoint & KO 全日本空手道選手権を観戦してきました。
記念すべき第30回大会。
参加選手、小学生から一般までで400名。
場所はずっと変わらずに代々木第二体育館。

しかし残念な事に、この大会を盛り上げ続けた第六代チャンピオン 森猛さんの姿は会場には無い。もう二度とお会いするもできません。
「飛び後ろ廻し蹴りの森」として名をはせ、 花火のように華やかで、煌びやかな空手。
体育館の天井まで届きそうなほど高く投げ上げたリンゴを苦も無く飛び後ろ廻しで蹴り割り、 どのような強豪もその技で迎え撃った。
この30年を通して、最高の後ろ廻しの使い手と信じてやまない超一流の空手家。
天賦の才あふれる空手家。
明るく、対戦相手にも全力を尽くしながら、気を使うやさしさ。
このようなすばらしい方と戦う事ができた事を幸せと思いますが、残念で、悔しい。

空手を志す人たちには、森猛というすばらしい空手家がいたことを知っておいて欲しい。

1% 未満 2015/02/01

私の尊敬するシステムエンジニアの方は次のように語っていました。
「とにかく、1%のミスを起こさないようにしなくてはいけません。」
(後年、この数値は0.1%にレベルアップされます)
この方、そのため、本当に寸暇を惜しみ、寝る間も惜しみ、勉強・トレーニングをしていました。
(きちんと息を抜くところは息を抜く)
プロとは、かくあるべきの、まさにお手本といえます。
商品に関する問い合わせを受けた際、、
自分が質問を受けた場合、調べなければわからない確率は1%未満にしなければならない
と言うサービス業がある と聞いたように記憶します。
いづれも要するにミスや不勉強は少なくとも100分の1未満になるように努力すべし。と言う事でしょう。
色々な技術が高度化し便利になれば、それだけ危険も多くなる。
ミスは絶対に許さない の姿勢がプロとしての、当たり前ではあるが難しいあるべき姿かと。

二十年位前ですが、空手の後輩から次のような話を聞きました。
いづれも蹴りの名手としてうたわれた方の話をしていたときの事です。
「○○先輩は百本蹴ったら一本ミスがあるかもしれない。
 ××師範は百本蹴っても一本のミスもない。
 と言う感じだそうです。」
空手の世界ではやはり1%未満 と言うのが技術のプロとしての目標値であるのかもしれません。

尚、当コラムはトップページに更新のお知らせなく、追加してゆく事もあります。
お時間があればたまに、ちらりと開いてみていただけると幸いです。


内村航平選手再び と「何だ!!!」 2012/04/14

相変わらず内村航平選手がすばらしい。

今度は全日本五連覇。
完璧な演技、淡々とした態度。本当に尊敬です。

同じニュースで流れていた子供達(多分小学生)のサッカー全国大会の模様。
なんと試合に負けたチームの選手達が、その場にひざまずき、あるいは仰向けに倒れこんで天を仰ぐ。
「何だ!! 星飛雄馬か??(ちょっと古過ぎるが)」
おそらく、ワールドカップやその予選などを見て、意識しないで真似をしているのだろうとは思います。
要は指導者の問題。
「チンタラ主人公を気取ってないで、さっさと帰って来い!」と言うべきではないかと。
まあサッカーと空手は違いますし、人の事をとやかく言うのもなんですが、個人的には嫌いです。
そのような事をきちんと指導しない指導者が増えると思うとちょっと心配です。
内村選手を見た後で、なお更強く感じてしまいました。


内村航平選手 2011/10/16

内村航平選手がすばらしい。

世界選手権3連覇と言うのがもちろんその理由ですが。
各種目とも一位ばかり。微動だにしない着地。素人目にも完璧です。
その着地に思わず「すばらしい!!」と独り言を発していました。
しかし、それ以上に感銘を受けたのは団体での鉄棒。
内村選手は途中、大技で失敗し落下。
ところが再開後に挑んだのは、その落下した大技。
見事成功。
なんたる精神力。なんたる闘志。
技術がなければどんなに精神だけでがんばろうとしても駄目で、 また逆に技術があっても精神力がなければ駄目なのは当たり前ではあります。
その双方を、どれだけの訓練を持って養う事ができるのか。
ひとつのすばらしい見本が目の前にありました。
なんというすばらしい選手か。

個人的には、このようなすばらしい選手(他にも女子レスリングの吉田選手など)にも、その内国民栄誉賞があっても良いのではと思っています。


一年は短くなる 2011/01/04

又聞きのまた又聞きです。

歳をとると一年が早く感じると良く聞きます。
自分でもそう感じます。

これはある意味当然で
それまで自分が生きてきた年月に対して一年が
どの位の割合を占めているか
と言うところで感じるものでもあるそうです。

10歳の人なら10分の1
20歳の人なら20分の1
50歳なら50分の1にしかならない。
どの位生きたかというのが分母になって来るので
長く生きればそれだけ感覚的に短く感じる
と言う事らしいです。

確かに一理と言うかその何倍かは信憑性があります。

こう言うのを目から鱗というのかもしれません。

年は明けて2011年
益々一年が短くなってゆきます。
稽古でもやるべき事、試すべき事が沢山あります。
躊躇なくやってゆく事も必要になってきます


道場 2008/03/22

先日たまたまある人のブログを目にして感じた事。

道場には色々な人達が稽古にやってきます。
私の所は結構社会人が多い。というより7割位が社会人。
色んな職種の人達が集まります。
幸か不幸か、稽古生の中には私より年上は今のところいません。
まあ年上なのをいい事に多少偉そうな事もいえます。
が、それぞれその道でがんばっている人達。
例えば私が、稽古生と同じ職種に従事する事があるとすれば、 逆に色々と注意をされたり、場合によっては叱られる立場になります。
たまたま空手に関しては私が経験が長く、稽古生より強くて巧いだけです。
要するにあまり偉そうにできない という事。

とは言え、稽古生は一応私や私の道場を信頼して通ってくれる訳です。
社会人に限らず、小学生・中学生など学生も一応信じて通ってくれるとうぬぼれています。
従ってそれを裏切る事はできない。
裏切るということは、私の感覚では
「自ら汗を流し、技術的には常に稽古生よりずっと上のレベルにいる事」を放棄する事。
そして「空手が好きであると言う気持ちを失う」事です。
幸いまだまだ技術・体力の向上意欲も空手が好きという気持ちも揺らぎません。
それぞれがんばっている稽古生に負けず汗を流さないとなりません。


テレビを見ていて 2007/01/08

年末年始にテレビを見ていて思った事

★フィギュアスケート
なんとなく昨年はスケートに始まり(トリノ)、スケートに終わった(全日本選手権)感があります。
新年早々もスケートショー。大会が異常に多く、選手の疲労いかばかりかと心配してしまう。
荒川静香選手の金メダル、浅田真央選手や安藤美姫選手というスターの登場。
まだしばらくはブームも続きそうです。
(影の貢献者村主選手の扱いが小さすぎるぞとたまに怒りたくなるが)
少なくとも世間一般を聴衆とすると、やはり勝ってこその競技。人気を出すためには やはり勝たないと駄目という事でしょう。プラス実力あるスター。

尚、我々素人にももう少しわかりやすく判定基準を説明して欲しいと思います。
なぜ転んでも高得点なのか?どこがポイントとして加算されるのかその都度教えて欲しい。
(印象と結果が異なりすぎるときがある。)

蛇足ながら新年早々のスケートショーでは浅田選手がサプライズゲストと競演!などと言うから 誰と滑るかと楽しみにしていたら愛犬のエアロと競演。う〜ん。
(しかしやはり浅田選手みたいのを天才と言うのだろうな。)

★歌手
どんなに歌が上手いと言われても、天才的であっても やはり常日頃歌いこんでいないと力が落ちるものと実感。
空手もまさにそうで、過去にどんな実績があろうとも稽古から離れてしまうと ただの人。やはり不断の稽古が必要という事です。

★筋肉番付
様々な競技のアスリートが集まって共通の競技でその能力を競う合う番組です。
そろそろ厭きてきた感もあるのですが、 多くの参加者が面子をかけて真剣に参加していて、 各スポーツ種目で得意不得意が出て面白い。
(順位を決定する種目がややスピード系に偏っている気もしますが。)
アメフト、ラグビーの運動能力の高さを改めて認識。
気になったのは「腹筋」の競技のところ。
起き上がって顎を何かにぶつける事で一回やったことになるのですが、 ぶつけた後にあお向けにならずに45度程度まで体を倒して次の 一回に移る競技者が多かった。これは有力選手ほど見られた傾向です。
顎をしっかりぶつければ一回だから反則ではないが、あれではきっちり一回 こなした事にならないのでは?
むしろタレントから参加した永井大などが正当にきっちり体も倒して一回づつ こなしていました。(ちょっと見直した)
きっちり倒すのとそうでないのと、どちらがきついかは別問題として 短時間で回数をこなすのでは後者の方が断然有利。
ルールがあればその中で最大限の工夫をして有利になろうとするのが競技の宿命かと思われるため 一言でズルイともいいずらい。
とすれば、やはり誰が見ても公平と思えるようルールを見直す必要があるのでは。

★コマーシャル
小学生に金融の授業をやろうとしているらしい。
本当に実現しているのか知らないが、個人的には断然反対。
株取引の授業などがあるというのも以前見たことがあるが、 小賢しい子供ばかり生み出しそうで気持ちが悪い。
そこには夢のかけらも感じられない。
お金のやり取りなどの勉強(遊び)はせいぜい「人生ゲーム」までで充分ではないだろうか。

★野球
WBC、夏の甲子園決勝戦の死闘などでやはり野球は面白いと思った人も多いのでは。
個人的に日本人には間(ま)がしっかり存在し、一体一の局面があるスポーツの方が 受けるのではないかと思っていました。野球ならピッチャがボールを受け取り投げるまでの 間。その投げて以降を動とすれば投げるまでの静寂の時が静。動と静の切り替えが大切では ないかと。
剣道、相撲、などにもその間があります。 サッカーなどにもそれはあるのでしょうが、それ程明確ではない。
しかし、蓋を開ければサッカーに押され気味。ちょっと考えが間違っていたかと。
それでも昨年は野球ががんばった。
私の自宅隣の高校ではWBC以前は部員が10人ちょっと。試合参加も危ぶまれる状態だったが WBC以降は紅白戦ができそうな位に増えている。がんばれ!!
ところが松坂選手や井川選手は大リーグ行き。
これは紛れもないピンチ! もはやこれからの一流選手にとっての活躍の場は国内だけではない。
「日本の野球の為に国内でがんばって欲しい」と言う関係者の声も 良く聞きますが、もはや一度開かれたものは閉じることができず、 それを前提とした運営なり何かを考えてゆかないといけないのではと偉そうに思ってしまいます。
年棒の問題ではなく、本場で力を試して見たいというのであれば、サッカーのレンタル契約見たいに 何年間かはアメリカでやらせて 結果を出して帰ってきてもらうとか。駄目かな!
逆にサッカーなどは、トップクラスの選手がどんどん海外に行っても それ程人気が落ちていないように見える。その辺りにもヒントがあるのでしょうか。
地道な経営(普及)努力はどこでも同じか。

★空手
昔は結構良い時間帯で全日本選手権や世界大会を放映していましたが、 同じ格闘技という視点のみでみるとK1やらPRIDEやらに圧倒的におされ気味。 というか勝負にならない。
かたやビジネスとセットとなっている世界なので比較するのもおかしな話ですが 少し寂しい気もします。
まして強さに対する評価までテレビから下されているようなところがあると。
まあ、20年以上前の10年間位は劇画の影響などで空手自身結構良い思いをさせてもらって いるのですから時代の流れで、お相子と言うところでしょうか。
空手も地道にという事では。(剣道が良い見本なのかな〜)


ゆずる 2006/10/09

最近感じる事のひとつが、「ゆずる」という事が少なくなった。という点です。
道を歩いていて、向こうから二人で並んで来る。こちらが少し体を斜めにして 通りやすいようにしても、相手の二人は全然避けるそぶりも見せない。
後ろから自転車で来て、まるで「どけどけ」と言わんばかりに大きな音で チリンチリンと鳴らし、横をスピードを出して、ぶつかりそうに追い越してゆく。
横断歩道を渡っていると、近づいて来る車が全然スピードを緩めない。
「その車のボンネット。蹴りで思いっきりへこましてましてやろうか!」などと人間のできていない私などは 思ってしまいます。
自分自身がそれ程できた人間でないので偉そうな事はいえませんが 何ともなさけない。
大人にしてからがそれですから、子供などが無意識の内に真似をして 「自分だけが」となるのも当たり前と感じてしまいます。
その逆に礼儀正しい人を見るとうれしくなってしまいます。
先日は、タレントの嶋大輔(だっけ)の昔のようにリーゼントとかいう頭をした ちょっとガラが悪そうに見える20代半ばの男性とトイレですれ違いそうになりました。
私が壁際によけて待っていると、私の前を通り過ぎる際に、腰を沈めて深く頭を 下げて挨拶をきちんとするではないですか。
そういえば以前、電車でやはりガラの悪い生意気そうなやはり20代半ばの男性が 携帯電話を座席に忘れて行きそうになったさい、「忘れてますよ!」と携帯を 渡すとこれまた深々と頭を下げてお礼を言ってくれたものです。
「ゆずる」という話とは違いますが、そのような行為は気持ちがよくなります。
空手であまり精神性とか礼儀とか言い過ぎると間違った方向に進む気がしますが やはり、人が見て気持ちが良い礼儀なり、所作は身に付けたいものです。
常日頃の稽古の中でなぜ「ありがとうございました!」「お願いします!」 というのか、きちんと、しかしさり気なく浸透させてゆかないとならないのかもしれません。


真剣 2005/02/06

故大山倍達先生が「0.01秒の世界に達した4人の剣士」の一人と呼ぶ 剣聖・上泉伊勢守信綱(カミイズミまたはコウイズミ イセノカミ)の半生 を描いた力作です。
新陰流という流派をおこし、剣豪と呼ばれる多くの剣士に影響を 与えた人であるようです。
印象としては極めて優等生的で人格者という感じであり、その為か 小説やドラマの題材としては扱いにくいというところでしょうか。
剣術の稽古、技術を体系化し現在でいう竹刀の原型を広めたのも この人のようです。
もともと木刀や刃引きした刀で稽古していたようですが、怪我が多く 型稽古などに終始せざるを得ないところに竹刀を使う事により 思い切り打ち合う稽古ができるようになったとの事です。 無論、竹刀の打ち合いなど実践とは違うと言う事でその稽古を 嫌った剣豪も多くいたようです。
空手の稽古体系の違いに通じ面白いものがあります。
竹刀稽古の良し悪しはわかりませんが、上泉伊勢守の弟子に当たる 疋田文五朗(ヒキタブンゴロウ)という人は相手が真剣であろうが 木刀であろうが常に竹刀で相手をし、不覚を取ることは無かったとの事です。
これは剣術に対して素人であってもその凄さはなんとなく伝わります。

さてこの「真剣」。 剣の道を極めようとする求道者の姿を描いたと言ってよいと思います。
しかしそれが道徳臭く無くすんなりと入ってきます。
クライマックスには槍の宝蔵院・胤栄(インエイ)との対決を用意し そこに向かって物語りが展開されてゆきます。
対決の相手は物語として強敵でなくてはならず、当然胤栄に関しても 充分ページを費やしています。
胤栄の盟友と言えるのが有名な柳生石舟斎(ヤギュウセキシュウサイ)
通常有名なのは伊勢守(もしくは疋田文五朗)と石舟斎の立会い。
(この立会いで自信満々の天狗の鼻をへし折られた石舟斎は伊勢守の弟子となり 剣の奥義に向かって邁進したという話)

しかしこの物語はその有名な話をもってこないで胤栄を相手としています。
そこが秀逸かもしれません。
そして迎える伊勢守と胤栄の対決。

澄み切った空気、抜けるような初夏の空を背景に、静かにしかし すさまじい戦いが展開します。
見守るは石舟斎と伊勢守の弟子・疋田文五朗と神後伊豆の3人のみ
その戦いの最後は何とも言えない思いが湧きあがってきます。
「真剣勝負」とかよく耳にします。
小説でありながらこの勝負はまさに「真剣」。
二人の対決の最後には「真剣勝負」などと軽々しい事は言えないなと思ってしまいます。
二人を見守った3人の描き方もすばらしい。
ここを話したいが、話すと読んでない方に対してある意味ルール違反になりますので 我慢!

ともあれ私の未熟な文筆力では10分の1も語れないので 空手をやる方は一読を。
ちなみに私はこの小説の宣伝担当ではありません。
あしからず。

ここしばらく空手の話よりかっての剣豪、剣聖の話に興味があります。
一刀斎、その弟子善鬼(ゼンキ)と神子上典膳(ミコガミテンゼン)。
幕末の剣豪にして最後の剣豪と呼ばれる榊原健吉など。
一刀斎、善鬼、神子上典膳は小説にも良く出てきます。
しかしやはり謎の多い3人です。
榊原健吉は幕末の剣聖・男谷精一郎の弟子にして、あの新撰組沖田総司が すれ違って何もできず、やはり新鮮組局長近藤勇をして「剣の格が違いすぎる」 と言わしめたとか。


アテネ その2 2004/10/11

ちょっと時期はずれになってしまいました。取りあえずアテネの続きを。
オリンピックのいいところのひとつは「これまであまり見たことの無い競技を知る。」
という事であるように思います。
前回シドニーで発見したのが女子棒高跳び。
当時の女王ドラギラと新鋭フェオファノアのいつ果てるともない死闘はすばらしいものでした。
(個人的にこの戦いをキングギドラ対モスラと命名)
今回はドラギラが力を落としたかわりにイシンバエワという新たな怪物が登場し、 フェオファノワとの対決が注目でした(モスラ対ゴジラ、もしくはモスラ対ラドン)。大会前から楽しみにしていました。
ところがこれが何時の間にか終わってるじゃないですか。
ず〜と見逃すまいとアンテナ張ってたのに。
新聞に結果が出たときはがっかりです。「やったのか!」という感じです。
やはり死闘のようでした。見たかった。
水泳もそうでしたが強豪が競い合うというのもオリンピックの醍醐味。
今回は日本選手の活躍が目立ったのか、日本人が出場しない競技の放映は少なかったようです。
その中で発見したのが高飛び込み。
ほんの一秒か二秒の一瞬の勝負。
高く宙に舞い、最高地点で一瞬止まりそこからまっすぐ美しいフォームで水面に 吸い込まれてゆく。
次々と選手がリズミカルに登場するのも疲れません。
かって確かルガキスという天才選手がいてアメリカやカナダでは人気が高いと聞いた記憶がありますが 確かにおもしろいし美しい。
世界が見ている。だから各競技オリンピック種目になろうと色々努力するのだと思います。
クローズアップされると競技人口が増え、レベルも上がる。

体操日本男子復活は大々的に報道されました。 これも深夜のため死闘の末のメダル獲得をリアルで見れなかったのは残念。
後にテレビで見たのですが、体操日本復活を賭けて何をやったかというと 「基本に返る。基本を徹底して見直す。」と言う事であったそうです。
その見本としたのはロシア。
基本とは例えば「柔軟のやり方。足の先まで神経を使いまっすぐ伸ばす」という事だそうです。
無論それが今日明日に結果が出るわけではありません。 長い時間がかかったようです。
しかしその見直しは間違いなく実を結んだ。
予断ですがオリンピック期間中、アディダスか何かの宣伝で、現在の体操選手と約30年前の名選手 「白い妖精」ナディア・コマネチの競技の映像をだぶらせて写すというおもしろいものがありました。
そのコマネチの演技、今見ても美しく、なんら見劣りしない。
10点満点を連続した完璧な基本の組み合わせ。やはり未だにコマネチを超える選手はいないように思います。


確か前々回の大会において水泳の千葉すず選手であったと思います。
負けた後に色んな意味をこめて「でも楽しめたので」と 言っていました。これは本当にくやしさの裏返しであり、無責任に期待するマスコミやファン あるいは関係者に対する反発であったのではないかと思ってます。
しかしそれ以降、馬鹿なマスコミや識者は、 「楽しんで欲しいですよね。」などといかにも選手の気持ちを知ったような顔をして 繰り返しのたまうようになりました。
結果として「楽しめた」というのはあるかもしれません。
どこの世界に楽しむために必死にトレーニングやって アテネやシドニーくんだりまでする人間がいるか!
誰が「楽しみ」に行ってる選手を応援するか!
今回もやはりどこかのレポータが卓球の福原愛選手が敗れた後 「楽しめましたか」と馬鹿な質問をやりましたが、その答えが 「楽しむために来た訳ではありません。」
よくぞ言ってくれました。
スポーツや武道以外の一般社会においても必死に生きている人は 沢山いると思います。それ以上の苦しみを味わっている人も沢山いるはずです。
きっとそのような人ならばそういった軽い発言はないのではと思っているのですが。

オリンピックはやはり多くの感動を与えてくれます。
それを見た子供の何人かは自分もやってみようと考える。
空手からみると厳しいが華やかなその世界はうらやましいものです。
ただ同時にちょっと違う世界かなとも感じています。

複雑な心境です。
何やらまとまらない感想でしたがここまでという事で。
近々やはりオリンピックからみで 「競技、ルール、技、審判、空手」について述べてみたいと思います。

そうだ最後に女子新体操。
団体のリボン。あんなので回りから集団で襲われたら逃げれないな。
解説の確か山崎浩子氏。
「この選手は体が柔らかいです。」って皆桁違いに柔らかいわい!


アテネ その1 2004/09/23

今回のオリンピック、時間帯の関係で前半は柔道ばかりみていたような気がします。
そのせいもあり、冒頭ページで最も印象に残った選手として女子柔道サボン選手を挙げました。

52kg級の優勝候補として臨み、かって谷亮子のライバルとされていたサボン選手。
細身で長身、淡々した試合態度。
女王の風格があります。
準決勝で日本の横沢選手に残り1秒、よもやの逆転負け。
倒れてしばし顔を覆ったように記憶しますが、すぐに立ち上がり淡々として試合場を降りてゆきます。
つづく3位決定戦、落胆するそぶりも見せずやはり淡々として見事3位を獲得します。
しかし試合場を降りた瞬間、コーチの方に飛びつくように身をよせ涙を流し始めました。
大会前に紙面で女子バレーの吉原選手が次のように語っていました。
「昔は3位になったら悔しくて泣いた。今回はうれしくて泣くでしょう。」
サボン選手のそれはまぎれもなく前者のそれ。
ここまでどれだけの時間を費やし、どれだけの物を後に捨ててのぞんできたのか。
しかし敗れてなお、むしろ女王の風格です。
男子柔道90kg3位となったオランダ・ハイジンハ選手。
優勝候補最有力の一人でしたが、強豪との戦いに僅差で敗れ、結局3位。
しかしその態度も堂々、淡々としており最後まで自分の力を信じて、全力を尽くしたという雰囲気でした。
日本のある競技の選手が準優勝した折に、表彰式での態度がどうもという意見を聞きました。
武道だからとかそんな事は関係なく、どのように最後を締めるか。
どのように負けを受け止めるか。

レスリングにおいて、日本選手がメダル獲得を決めた瞬間です。
コーチの方が二人ほど試合場に上り選手に飛びついていました。
かって東京オリンピック柔道無差別決勝においてオランダのヘーシンクは神永選手を破り優勝します。
その瞬間ヘーシンクの知り合いかコーチがやはり喜びの余り試合場に駆け上がろうとしました。
ヘーシンクは、しかしその人に対して両手を差し出して、あたかも「挙がっては駄目だ!」と言うように押し留めたのです。 (テレビで以前やっていた。)
ヘーシンクに敗れた神永選手はその光景をみて「すばらしい選手だと思った」と語ったように記憶します。
空手道佐藤塾・佐藤勝昭塾長もそのような意味のことを著書で述べておられたように思います。
単に礼儀だからとかだけでなく「ここは神永と私が死力を尽くして戦った場所。そこを汚すことは許さない!」 という気持ちもあったのではないでしょうか。

日本から柔道を学び、逆に日本人を技量・力量のみならず精神面でも凌駕する外人が増えてゆく。
空手も同じでしょうか。
その内「日本からは精神的にも技術的にも学ぶ事はない」 などと言われる事がないようにしなくてはなりません。

オリンピック関連の話もう少し延長しますが、今回はここまで。


昨今の空手の人達 2004/04/25

一月程前に東都選手権を観戦してきました。
選手としての参加者約400名。
新人の部、シニアの部、一般の部、女子の部。
コートを四面使い朝から晩まで。本当にスタッフ・関係者の方お疲れ様という感じです。
主審を務める方など「なんでだよ〜」とかいうクレームを受けながらです。
本当に大変です。
このような大会は、少なくとも年4,5回は開催されます。
少し遠くまで足を延ばせば年何度もチャンスがあるわけです。
野球やサッカーのように自分の力を試せる場が増えています。
幸せな事です。
20年程前までは大会と言えばいきなり全日本クラスの大会。 フルコンタクトルールでは極真の全日本位しかなく新人戦などは ほとんど皆無ではなかったかと記憶します。
本当に変わりました。
変わったのはしかし大会の数だけではありません。
一番驚くのは試合の合間に出場している選手が空手着を着たまま タバコを吸っている事でした。
  これはこの数年の傾向です。
私も趣向としてタバコを多少吸うので偉そうな事は言えませんが、 空手着を着たままタバコというのはちょっと考えられません。
またタバコを吸ったり、酒を飲んだらその分を取り替えそうとより多くの稽古を するようにしています。
(「タバコのせいでスタミナがなくなったよ」などと言う戯言を言うつもりは毛頭ない。)
無論さすがに黒帯を締めたまま吸っている人はみかけませんでした。
以前でしたら先輩や師範にどやされて蹴上げ千本とかやらされるところです。
今はむしろ師範まで一緒になってロビーでタバコを吸っています。
人の道場なのでまあ関係ないけど。
しかしここで一歩踏み込んで考えるとちょっと違う考え方もあるのかと思えてきます。
「空手着といっても別に神聖なものではない。単に試合用のユニフォームだから」
とすれば別におかしな事でないかもしれません。
ビジネスマンのユニフォームが背広とすれば、背広を着てタバコを吸っても 「ふざけるな!」と言う人はほとんどいません。
いつの頃からか武道は、その存在そのものを神聖化する傾向にあるように思います。
神聖化、神秘化することでその特異な地位を維持してきた部分もあるかもしれません。
本来、いかに厳しく正しい稽古を行って力を付けたかが大切な世界であるべきものが 必要以上に礼儀とかに力を置いているようにも見えます。
とは言っても別に空手着を着てタバコを吸うことを肯定している訳ではなく、 礼儀などの重要性を否定している訳ではありません。
きちんと礼儀をわきまえ、稽古後は積極的に掃除をし、自分の使う道具もきちんと 整える。という事は基本であると思います。
(少なくとも私の周りでは空手着を着たままタバコを吸うとか自分が使ったサポータなどを ポンと放り出すという事を許す気はない)
ただ因習にとらわれ、狭い見方しかできないのも問題があるかもしれないと言う事です。
守るべき境界線はしっかり譲らず、柔軟になるべきところは柔軟に対処する という事も必要かと、
空手の世界ではまだ若く未熟な身でありながら、 より若い昨今の空手の人達を見て感じた次第でした。


バレーボール 2003/12/07

サッカーのワールドカップがあると見て。
バレーボールがあるとバレーをみる。
どうも我ながらミーハーです。
しかし見るとやはり力が入ります。女子の日本VSキューバなどは 結構感動しました。
男子の、確かフランス戦であったと思います。
試合が終わるとネットを間に両チームの選手が互いに総当り(?)で握手を します。
日本の選手が負けて何か力なく握手をしている中で、キャプテンの加藤選手 一人は、しっかりと相手の目を見て、簡単ですが一言づつ力強く言葉を掛けていた姿が 印象に残りました。
最初こそ3連勝したものの、連敗。フランスには確かストレート負けで 何か格の違いさえ感じさせる内容でした。
さぞ悔しく、自身で情けなかったのかもしれません。
しかしその握手するときの表情には、何か強い意志のようなものを感じました。 勝手な想像かもしれません。
加藤選手にすれば迷惑な話かもしれません。
イタリアに乗り込んでまでバレーをやっている人が持つ力、 精神があるように見えたのです。

ちょっとそれます。
筋肉番付という番組があります。その確か第一回大会だったと思います。 男子の試合の解説をやっていた中垣内(中垣一?)選手が参加していました。
サッカーの中山選手など当時の各スポーツ界一流選手が結構沢山参加してました。
「モンスターボックス」と称される跳び箱競技のときです。
中垣内選手もがんばり、かなりの高さを何とかクリアーしたのですが、 次の高さで多くが失敗するのを見て、また高さを見て恐怖したのかもしれません。 その高さを前に「いや、もういいです。」という感じで棄権しました。 一種のプロとして怪我などを考えると当然のことかもしれません。ある意味潔いとも とれます。
しばらく他の選手が跳んだり失敗しているのを見ていた中垣内選手突然、 「すみません。やっぱりやっていいですか。」 「やってみます。」と棄権宣言を撤回し果敢に挑戦したのです。
結果は残念ながら失敗で中垣内選手も「やっぱり駄目か」という感じでしたが、 その行動は記憶に残りました。
「飛べるかもしれないからやってみる」という感じではなく、逃げたくない。 という印象を受けました。
加藤選手を見ていてふと思い出しました。

最後のブラジル戦でテレビのアナウンサーが何度も 「**は足首を痛めてもがんばってます。」とか 「怪我をおして」とか言ってました。
かえって選手の真価を落とすから止めてくれと思ったのは 私だけでしょうか。
そのブラジル選手。背筋の発達している事。
「あれじゃスパイクもすごいはずだわ」と思わずにいられません。
あの背筋で突きをもらったらたまりせんよ〜。きっと。

最後に、伊東美咲!「日本選手の女神になるようがんばります!!」と言ってた。 自分で言うなよ「女神」って。カワイイから許すけど。
ワールドカップサッカーの時も白石美帆がやはり「女神としてがんばる」とか なんとか言ってたけど。

テレビ局も日本戦だけでなく、他の試合も少し見せろよ。
「力のブラジル」対「技のフランス」とか。
「ブラジル」対「モンテネグロ」とか。


イメージ力 2003/10/13

最近はビデオの普及により、好きなドラマ、映画なども録画して何度も いつでも見れるようになってます。
レンタルもできるので大変便利です。
先日知り合いと話をしたのですが、その知り合いは たまにゴルフのレッスンを受けているとの事です。
そこではフォームをビデオに撮影し、きっちり確認させてチェック してくれるそうです。
自分のフォームが良くわかり修正すべき点も一目だそうです。
確かに便利ですし合理的です。
しかし持論ですが、これらは確かに良いですが頼りすぎると イメージ力(そんな言葉があるか知らないですが)が落ちてゆくのでは ないかと思います。
空手で基本や移動の稽古を行います。多分どこの道場でもそうだと思いますが 十人十色、多かれ少なかれ癖があります。
多少の癖はともかく、著しく形がずれている事も間々見受けられます。
まじめに、定期的に稽古をしている人でさえです。
無論、指導する側がきっちり教える必要はありますが やはりそこにはイメージというものの存在を抜きにできません。
自分は今、どのようなフォームなのか、どのように違うのか。
それをどれだけイメージできるかです。
強くなったり上手くなるにはイメージ力だけでは駄目ですが やはり意識しないといけないと思います。
自分の突きや蹴りがどのような軌道で走っているか。
足の開きはどの程度になっているのか。
頭ばかり使っても駄目ですが、この当たりをきっちりイメージしなくては いいフォームも身につきません。
ビデオに代表される第三者の目は大切ですが、 イメージで補正してゆく練習はしなくてはなりません。
あるいはすぐに何がいけないのか、どう蹴るのかなど質問する人もいます。
それはそれで熱心でいいのですが、まず見てしっかりイメージを焼き付けろ と言うのが持論です。
指導員なり先生なりが前に立って基本をやるのは、当然自分の稽古の為でも ありますが、やはり真似をさせる為です。
移動稽古でも型でもスパーリングでも、せっかく先輩なりが動いているのですから しっかりその動きを頭に焼き付けて、自分との差異を意識すべきです。
となると当然、先を進む黒帯も上級者も漫然とやってはなりません。
自分の動きが真似をされるという前提で、おかしな癖などは直しておかねば なりません。
率先して動かなくてはなりません。
そこに指導する者なり、先輩なりの責任があると思います。
ビデオが悪いとか聞くのが悪いと言うのではないです。
イメージする力を上げる。
その為に見本を見せる、見本の真似をする。
ちょっと古い考えなのかもしれませんが、第一の基本はそこにあるように 感じます。


英雄がすごい 2003/10/13

世間一般で言う「英雄」の事ではありません。
映画の「英雄(ヒーロー)です。
一ヶ月程前ですが、 久しぶりに映画館で見ました。最近はビデオばかりで映画館に足を運びません。
しかしこればかりは絶対映画館で見ようと決めてました。
入場料1800円。これは決して高くない。内容からすると。
(ちなみに私は配給会社の宣伝マンではありません。)

出演がすごい。
ジェット・リー、トニー・レオン、マギー・チャン、チャン・ツィイー、ドニー・イェン。
大よそ今の中国を代表するスターの競演です。
これで「アリー・マイ・ラブ」のルーシー・リューでも出てればとも思いますが、まあそれはさておき

ちょっと懲り過ぎじゃないか?と思う所もありますが。しかし良かったです。
これはおもしろいとか、悲しいとか、泣かせるとかではない映画です。
決闘場面もなかなかいいのでアクションとも言えますが、それはあくまで オカズ。
黒澤明の「羅生門」にも似ている(まあ皆言ってますね、これは)。
語り部と言える無名(これ人の名前です。ジェット・リーね)と秦始皇帝(チャン・ダミオン) の二人の会話を中心に物語は過去に遡り二転三転します。
しかしアクションシーンも「羅生門」的作りもやはりオカズ。
とにかく終わった後のなんとも言えない気持ちが。表現できんです。
ホールから出てくる他の大勢の人達の雰囲気もそうです。
笑っているのでも、泣いているのでも無い。
何か重いけれどグットくるという雰囲気です。
主な出演はわずかに6人。しかしこの6人いいです。
まあ素人の私がグダグダ言ってもしょうがないです。
空手人はみるべし。そうでない人にも 損はありません。

圧巻は1万本の矢!
だからビデオでは駄目。

ちなみに監督はチャン・イーモーと言う人で、今や中国を代表する人。
「初恋の来た道」では、この「英雄」にも出ていて「グリーン・デスティニー」 で世界的なスターの仲間入りをしたチャン・ツィイーを見出した人。
(「初恋の来た道」のチャン・ツィイーのあまりの田舎臭いカワイサにはびっくり。)
目が離せない監督です。
(私の後ろに座ってた男の人は「何、監督ってチャン・芋(いも)」とまじめに彼女に 訊ねていたのは大笑い。)

ちなみに、マギー・チャンがこんなに存在感があるとは思わなかったです。
映画館を出てから有楽町から汐留あたりを歩い駅まで行ったのですが、 おしゃれなお姉様方が沢山いました。しかしさすがにマギー・チャンの後では。
(映画スターと比較されたのでは女も男もたまりませんわ)

とりとめも無い話になりましたが、「中国映画恐るべし」。これにて


0.01秒の世界 2003/07/17

剣豪や剣聖といわれる人たちのことをうたった書物は沢山あるようです。
いくつか読んでみると、やはり強いのは
上泉伊勢守(カミイズミイセノカミ)、塚原ト伝(ツカハラボクデン)、伊藤一刀斎(イトウイットウサイ) の3人プラス宮本武蔵のようです。
(何人かは「バカボンド」という漫画に登場しているようですから 今は知っている人も多いかと思います。ちなみにプラス武蔵と いうのは武蔵の強さ、実績に関してはいろんな意見があるため)
この4人に極めて近い達人として男谷精一郎という江戸時代幕末の 剣豪を挙げる人もいるようです。
最もそれぞれが生きた時代は少しずつづれているため単純な比較はできません のでおそらく感覚的なものになってしまうでしょう。
(年齢順だとト伝、伊勢守、一刀斎、武蔵とか。大体20歳づつくらいはずれている ようです。☆一刀斎は、伊勢守より若く武蔵より年長という程度の位置付けらしい)

故極真会館総裁大山倍達先生は、その著書の中で確か上記4名を指 して以下のような説明をされています。
随分昔の話なので、数値などを始め曖昧な点がありますがご了承ください。
「彼らは0.01秒である。通常の強いといわれる者で0.1秒と思われる。
一刀斎の弟子の御子神典膳(ミコガミテンゼン)あたりで0.03くらいか。
だから全てが見えてしまうのである。
問題にならないのである。
無論0.01などというのは感覚的なものを指すのだが。」
要するに住んでいる世界が、次元が違うという事です。
史上剣豪、剣聖と呼ばれる人は何人かいますが、やはりこの4名は 傑出しているというのがどうも大方の見方のようです。
(またその中でも伊勢守ナンバー1説が多い)
その差を感覚的ではあるが具体的な数値として表現した場合に 大山先生のようになるという事でしょう。
単純に剣のスピードとかだけでなく、何か全体として違う。 野球で調子がいいとピッチャーの投げたボールが止まってみえた などという逸話が残ってますが、そのような境地かもしれません。
あるいは読みの世界なのかもしれません。
よく分かりませんが、大山先生のご説明はまさに そのポイントを一言でついているような気がします。
「そりゃ勝てませんわ!!」と一発で思ってしまいます。
どのような修練、場を得てそのような境地に達する事が可能なのか。
そしてその境地はどんなに歳を取っても枯れる事のないものなのか。
興味はつきません。

自分の事で自慢めいてしまって恐縮ですが、 2度ほどおもしろい経験があります。
どちらも試合の中です。
一度は、戦っているうちに相手の顔が何か大きく見えました。 1秒程度のものです。そこで後ろ回しを出したところきれいに決まりました。
もう一度は、私より20kg以上大きな人との試合です。
今度はほんの一瞬ですが相手の左足が光って見えたような気がしました。
そこで何気なく少し踏み込んで自分の右足をローキック的に振ってみたところ、 相手がちょうど蹴りを出した瞬間で一本足になっていたため、 きれいに足払いの形になり背中からひっくりかえりました。
何の重みも感じませんでした。
このときは相手が何を出すとか先読みしたのではありません。
何か足が蹴ってくれと言っているようなので技を出してみたら 勝手にひっくり返ってくれた。という感じです。
20年以上空手をやっていてそのような経験はわずか2回だけです。

おそらく上記4人や、達人と呼ばれる人は 常にそのようなものが見える世界にいるのではないでしょうか。
これはもう「ゴメンナサイ」しかありません。
ある達人はピストルで狙われたときその弾道が先に見えたので 避けたら助かったとおっしゃってたそうです。
また、物陰から刀で襲われたのだが、先に光るものが目の前を 通ったのでよけたらやはり助かったという方の話もあります。
逸話の域を出ませんので信憑性は??というものもあります。
しかしやはりそのような世界、0.01秒の世界があるのかもしれないです。

話は変わりますが「上記4人が史上最も優れているようである」と いうのは、大山先生を別にすると どちらかというと物書きの方々の見方。
実際に剣道をなさっている方々のご意見も一度聞いて見たいものです。

強いという事以外で4人に共通するのは 結局は権力とか地位とかを捨て、人里はなれ静かに剣の道に生きた事という点です。
また勝つ事のみを究極の目的では無いと 修羅場の結果到達したであろうと言う点です。(多くの人を倒した結果だから重たい)
(これは先の男谷精一郎も同様のようです)
本当に強い人たちは、生き方においても魅力があります。

伊勢守、ト伝、武蔵は、正確さは別としてその出生から死までが比較的明らかに されているのに対し、一刀斎は、出生、経歴、行方も不明との事で、 ある一時期の記録しか残ってないようです。
一説では鐘巻自斎(かねまきじさい)という人の弟子であったそうですが、 弟弟子にあたるのが武蔵と戦い敗れた佐々木小次郎との事。
小次郎もその出生、経歴(死に関してまで)、など謎の部分が多く、 自斎の名だたる弟子は揃って強いが、経歴不肖という事になります。
(漫画のバカボンドでは一刀斎と小次郎が共に旅しているようですが 史実としては残ってないようです。
しかし在り得ない話ではない。もし本当であればこれは恐るべきコンビ。 大山先生とキックや格闘術で有名な黒崎先生(キックの小比類巻の先生)、 あるいはK1ならばホーストとバンナやアーツ、 空手ならフィリオ選手と数見選手が一緒に原宿や新宿に買い物に ゆくようなもので、こりゃ怖いものなしです。)

どちらかと言うと伊勢守、ト伝は陽の当たる場所を歩み、 一刀斎と武蔵は陰を歩んだような印象があります。
それは弟子の数でも同様のようです。一刀斎も武蔵も少ない。 (但しト伝の弟子は悲運の者が多い)
しかし逆にその謎や孤高ゆえ、一刀斎という剣士がより一層魅力的に見えてきます。


目に見えない変化 2003/03/21

もう春です。日が長くなってきました。
10年以上前の事です。仕事上の上司に
「いつも同じ時間に家を出るんですが、気がついたらいつの間にか 太陽の位置が随分変わっているんですよね。」
と話したところ
「それは、あんた、毎日ちょっとづつ変わっているんだけど 気がつかないだけだよ。」
と笑われました。

アメリカとかに住むようになると6ヶ月とかで、いきなりテレビで しゃべっている英語が理解できるようになるという話はよく聞きます。
しかし多分これもいきなりではないと思います。
ある境を越えると理解できるようになるのではないでしょうか。

空手でもそうゆう部分があるように思います。
昔流行った漫画では強さ(戦闘力)を数値で表していました。
仮に戦闘力50の人がいるとします。
週に何回かこの人と稽古をします。
一ヶ月、二ヶ月たってもこの人が強くなったように感じません。
三ヶ月、四ヶ月たっても同じです。
ところが、五、六ヶ月たったころ 「なんだ、いきなり強くなったな〜」と感じます。
戦闘力が60くらいにアップしたように感じます。
当然、一日にして10もアップしたわけではありません。
多分、数日でゼロポイントいくつかで強くなっているのだと思います。
そしてそのゼロポイントいくつとか、1とかいう数値の変化は目で捕らえることができません。
また戦闘力が59位までアップしていても、それを感知する事ができません。
それは道を歩いたり、階段を上るのと同じかもしれません。
一歩一歩は、その変化を感じる事ができないのですが、 気がつけば遠くにきている、高くまで上ってきている。

同じ量、質の稽古をやっていて、以前はすごく苦しかった稽古が 何時の間にか楽になっている。
毎日、少しづつ楽になると感じるのではありません。
ある日気がついたら楽になっているのです。
人間の感覚は、敏感のようで鈍感なのかもしれません。
小さな変化は捉えることができない。同時に ある一定のラインを越えないと変化の蓄積を知覚する事ができないのかもしれません。
しかしそれは間違いなく一歩一歩の積み上げや変化であるはずです。

もうひとつつっこんで考えてみます。
野球で昨年まで大リーグにいて今年阪神に戻って来た伊良部投手の話だったと思います。
伊良部投手は日本歴代最速158kmか159kmの速球を投げた投手です。
おおよそ以下の通りです。
「150kmがでれば154までは 比較的すぐにゆく。しかし155がなかなかでない。
155がでれば159まではゆくが160はでない」
またプロレスのアントニオ猪木は、自身とカールゴッチという「神様」と呼ばれたレスラーの差について次のように語っていたように思います。
(もしかしたら、他のレスラー同士の比較や一般論だったかも)
「その差は紙一重なんです。 もう少しで超えれるところなんですが、その紙一重をなかなか超える事ができない。 ものすごく厚い紙一重なんです。」

戦闘力59までは比較的すんなり伸びているのかもしれません。
そして50から59への変化は、その伸びを感知できるレベルではない。
59から60へのわずか1ポイントがなかなか超えられない。
ようやくその1ポイントを超えると違う次元に入り、 自分も周りもそれを感知できるのかもしれません。
次元と言うとちょっと大げさですが、まあ次のレベルと置き換えていただいて結構です。
一歩一歩次に進むのですが、最後の一歩がなかなか超える事ができない。次のレベルに入れない。
当然、止めてしまえば後退する。
この1ポイントという壁は、いったい何回やってくるのでしょうか。
終わりがないのか、年齢や肉体の限界によってストップがかかってしまうのか?
よくわかりません。
せいぜい毎日、楽しく稽古するしかないです。


鉄兵ちゃん 2003/02/06

先日本屋で「おれは鉄兵」という漫画を見つけました。
「あしたのジョー」で有名なちばてつや氏の作品です。
かなり昔の漫画ですが、なつかしく久しぶりによんでみました。
主人公が「上杉鉄兵」といいます。
ちばてつや氏がよく描く、俗に言う破天荒な主人公です。
この鉄兵ちゃんは剣道をやります。
この剣道の戦いぶりがおもいしろいのです。
確か設定だと鉄兵ちゃんは中学生です。高校生相手に 戦います。
自力では高校生が上なのですが、鉄兵ちゃんは相手のクセ(長所、短所)を 見抜く目がずば抜けています。 しかも運動能力は抜群。
ひとくせもふたくせもある強豪を次々と下してゆきます。
運動能力と目のよさ頭のよさでガンガン攻めるのですが、 おかしな手もよくつかいます。
相手の目を回す。
試合中にベロを出し、白目をむいてびっくりさせる。
袴(はかま)の下でパンツを脱いでそれをちらつかせて相手の注意をそらす
など
正攻法的に相手の弱点をつくということもありますが、 基本は「どんな手を使っても勝つ」です。
試合中もよくしゃべります。
相手選手にその場でアドバイスすることもあります。
年上にむかって 「あんたね。それ悪いクセ」とか
そういう鉄兵ちゃんに対して複数の大物選手は
「剣道とは勝つこと以外にももっと大切なことがあるんじゃないか?」 とか
「しょせん奇襲戦法とはその場しのぎで正攻法の上級者には通じない」 などとアドバイスします。
しかし鉄兵ちゃん、意に介する事無く とにかく勝つ為にひたむきに戦います。
無論そのための稽古は裏でしっかりやってます。
試合を見学している剣道関係以外の学生はいつのまにか鉄兵ちゃんの ファンとなり「わっしょい、わっしょい」などといって応援します。
(ちばてつや氏の漫画には良く出てくるような気がする。)
確かに勝つための手段として卑怯ぎりぎりのものも多いのですが、 そこに不快感を与えません。
ぎりぎり卑怯でなく、むしろひっかかる相手(大物に限る)が悪い という印象を与えます。
そこには小が大にかみつくという構図があるからかもしれません。
おそらく同レベルの者にそのような手を用いても共感は得られないでしょう。
正々堂々という言葉や武道における礼節にも疑問符を投げかけているようにも 見えます。
「正々堂々とは」
「武道の本質はまず勝つために努力することではないか」
もう一歩踏み込むと 「武道は礼が大切というがそれのみを前面に押し出していいのか」
とも取れます。
剣道でも空手でも柔道でも一般に武道といわれるものが勝つという 研究や努力を二次的なものとし正々堂々とか 礼節とかのみをセールストークのようにし子供を集める というような事へ疑問符とも取れない事もない。
礼は武道に限らず、野球でも、レスリングでも他のスポーツに共通のはずです。
その部分のみを強調して武道といっても、私には説得力に欠けます。
(誤解しないでいただきたいのは礼節や正々堂々が不要といっているのではないです。)
空手の大会でも、道場一体となって勝つために色々とやるのを見かけます。
イヤーマイク(?)をつけて次の相手選手の状況を知らせると言うのまで見た事が あります。
山のようにセコンドがついて、プレッシャをかけたり、審判にけちをつけたり
「勝つ為に必死」というのは同じですが何か違うように見えます。
無論、現実の世界と漫画の世界のギャップを差し引いての話です。
大きな違いは、鉄兵ちゃんはあくまで自分一人で倒す研究をする点です。
同時にあくまで自分より上の強豪に対してのみです。
(しかも研究した内容は、自分で抱え込まずに敵にも周りにどんどん教えてゆくのです。)
先に述べたように「小」が「大」にひたむきにかみつく。しかも個人で。
というのが基本です。
鉄兵ちゃんの戦いを果し合いとか試合とするならば、集団でのそれは戦(いくさ)、合戦(戦争) の違いと言えるかもしれません。

私自身、道場の組手、スパーリングで生徒がおかしな技で攻撃すると 何か姑息に感じて注意します。
しかしそれはあくまで感覚的に姑息だと感じるだけで、かっこたる理由はありません。
もしかしたらこれは間違っているかもしれません。

宮本武蔵が決闘の時刻に遅れるとか一般に卑怯ととられる作戦を用いたと される部分はテレビなどでご存知の方も多いと思います。
武蔵以前の剣聖「塚原朴伝」も、事前に敵の特徴をスパイさせたとか。

手放しで肯定するわけではないですが、 鉄兵ちゃんの戦いぶりには本質が隠れているようです。

こう書くといかにも難しい顔をして読んでいたように見えますが、 実際は鉄兵ちゃんを応援しながら楽しく読んでました。
読後爽快感は文句無し。


モティベーション 2003/01/11

それにしてもテレビの正月番組がおもしろくなくなりました。
これが見たいというのがないですよ。
という中で正月2、3日で行われた学生駅伝は見入ってしまいました。
ここ数年ややはまっています。
沿道の応援の人たちも年々増えているような気がします。
なぜ人気があるのかいろんな理由があるのでしょう。
まあ理由に関しては専門家におまかせします。

見ていて面白いのは、トップ争いとシード権を賭けた10位入賞争い。
更に今年ちょっと興味があったのは、学校としては選にもれてしまったところから 優秀な選手を集めた学連選抜がどこまでやるかというところでした。
シード権を逃すと予選の過酷なレースを免除されるため皆必死です。
その関係でふと目が離せなくなったのは、10位入賞があり得ないと決まった選手達の走りです。
既に来年のシード権が無い選手は目標が無くなった状態で、どのような気持ちで走っているの のでしょうか。
「ひとつでも上に行く気持ちでやるのだから」とか 「全力を尽くしてこそ価値がある」と傍から見て言うのは簡単です。
20km前後の長丁場、目標が消えた状態で強い意志を保つのは それほど簡単では無いと想像します。
それでも必死に走る理由(モティベーション)はなんだろか。と思わず柄にも無く真面目に 考えてしまったのです。
走っている最中は「もしかしたら入賞」などという一縷の希望(1%の可能性)に かけて走るのでしょうか。
空手の競技においてはあまりそのような状況は発生しません。
ほとんどがトーナメントですから負けた時点で終わりです。
似たような状況がひとつだけあります。
3位決定戦です。
準決勝で敗れた2名が3位を賭けて戦うあれです。
私自身、一度だけ3位決定戦を経験しました。
そのときの私自身を振り返ると恥ずかしい限りです。
何の闘志も、殺気もない。
ただメニューをしかたなくこなすという感じです。
執念が足りないのです。
観客としも、3位決定戦では何か熱が入らない。
しかし戦う本人がそれではいけないのでしょう。
多分、駅伝の選手も走りながら「もういいや」くらいの気持ちが 沸いてくることがあると思います。
それを押さえ込み全力を出させるモティベーションは?
くそ〜という本能と意地で走っているのかもしれません。
但しそれは、根性論だけではできないことです。
常日頃の練習をしっかりやっていなくては不可能であると信じます。


学生選抜の選手の人たちにもこの話は当てはまるかもしれません。
順位は関係ない。
その中でどのような気持ちで走ったのでしょうか。

何か言葉に表現しずらい感覚を味わったレースでした。


サッカー_臥薪嘗胆 2002/07/02

やはりすごい大会でした。
21世紀に入り、新旧交代というか勢力図の異変というか、そう言うことが始まりそうです。
今回の主役は前半ベッカム、後半ロナウドとカーンというところでしょうか。
ベッカム、ロナウドに関しては4年前の雪辱を果たすというテーマがある訳です。
2人共、母国において「お前のせいで負けた」というような事を散々言われ、 その雪辱を期すため4年間、まさに臥薪嘗胆(日本人好み?)で今回に望んだのでは ないでしょうか。
まず神は、ベッカムに対してその雪辱のチャンスを与えます。
対アルゼンチン戦。
予選リーグにおいて同じブロックでなければ、もしかしたら対戦できなかったかもしれない両チームです。
復讐戦と言うと少し言葉が悪いかもしれませんが、そのチャンスが巡ってくるのは意外と少ないものです。
ある時は、自分が途中でずっこけ、あるいは相手がずっこける。
おそらくベッカムはリーグ戦の組合せを見た瞬間、神に感謝したのではないでしょうか。
「こんなに早くチャンスをくれてありがとう」と。
やはり実力のみならず強運の持つ主
取り合えずは、自らフリーキックを決め勝利に貢献する事で雪辱を果たしたのですが、 ブラジルに負けた事でもうひとつ超えねばならない課題を4年後に残すことになります。

ベッカム人気に隠れて目立たなかったロナウドは終盤俄然脚光をあびます。
そして迎える決勝。
神は、ここでもカーンという最も相応しいであろう敵を用意してくれました。
ゴリラのような容貌、冷静沈着な対応、リーダシップ、 まさに倒すに足る相手をロナウドの為に用意してくれたようです。
どん底から這い上がった男が、強敵を相手に4年間のくやしさを晴らす事ができるのか。
(きっとカーンの側から見てもドラマがあったと思いますが)
まあ本当に漫画のような展開です。
技術的なことはよくわかりませんが、空手的に見ると次のように見えました。
ドイツはカーンが脚光を浴びすぎてその固いディフェンスが影に隠れたようですが、 やはりロナウドに繋ぐリバウドとロナウジーニョの2人を完璧に近い形で抑えていた ようです。
空手で言うと前で捌く(さばく)という奴です。
ロナウドの時点でブロックすると「後ろで捌く」、そのロナウドに旨く回らないように するのが「前で捌く」という奴です。
ところが最初の1点はその逆。一瞬の隙から「繋がれるロナウド」から「繋ぐリバウド」にボールが回る。 しかもこの2人には、「繋ぐこと」も「繋がれること」も十分こなせる高い能力が備わっているのです。
そして最後にもう一度「繋ぐリバウド」と「繋がれるロナウド」に戻る。
さすがのカーンもこの2人の連続攻撃の前についに失点を許してしまいます。
逆に言えば、最高峰の2人がかりでようやくまず1点というところでしょうか。
2点目はおまけのような気がします。
この1点目に関しては、ドイツのディフェンスのミス、カーンのミスが取り沙汰されているようです。
以前「この空手家を・・・」のページで「勝つためにはチャンスを如何にのがさないか」というような事を 書きましたが、この場合がまさにそのケースでしょう。
逆に言えば如何に隙を作らないかです。ドイツ側にこぼれたボールの処理に戸惑ったその瞬間(隙)に それを見逃さなかったロナウドとリバウドは流石と言うべきか。
(ドイツのディフェンダーは、ボールを奪ってパスしようとしたその線上に審判がいて 戸惑ったように見えたのですが。もしそうであるとするとこれも運)
鉄壁のカーンとその前衛でのディフェンダとのコンビネーション。それが一瞬みだれた瞬間 に勝負は決してしまったのです。
90分の中のほんの一瞬です。厳しいです。
カーン自身言っています。「今大会で、ただ一度だけ犯したミス。そのミスが負けに繋がった」と。
想像ですが、カーンは自分の手からボールがこぼれ、ロナウドによってそのボールが ゴールに押し込まれる場面をこれから何度も繰り返し見るのではないでしょうか。
試合終了後、カーンは身じろぎもせずじっと 遠くをみつめていましたが、その先には何が写っていたのでしょうか。
既にカーンは33歳とか。臥薪嘗胆し4年後に雪辱を果たすことができるのでしょうか。
しかしこのカーンに対してドイツのマスコミは「カーンのミスで負けた」との評であるとか。
残酷なものです。
まあ、たとえマスコミに評価されたとしても、やはり本人には地獄でしょうが。

余談ながら、この試合後テレビの画面は、ほとんど勝利したブラジル選手を映し出していました。
私は、「ドイツの選手も見せてくれよ!!」と思っていたのですが、そのテレビのゲストを 務めていた全日本の宮本選手は「今のドイツの選手を見てみたいです。」というような事を言って くれてました。
野次馬根性で見たいのではないのです。負けた人たちがどのような態度をとっているのか。
それを同じ選手としての視点で見てみたいという事ではないでしょうか。
あるいは言葉にするのが難しい、哀れみとか同情とは少し違う、複雑な感情からではないでしょうか。
宮本選手のプロとしての心とやさしさを見たような気がしました。

同じように地獄を見た人たちがやはりたくさんいます。

フランスのジダン。
優勝という高い山に上り詰めそこから一機に谷底へ。
「山高ければ、谷深し」とは極真空手初代世界チャンピオン・佐藤勝昭先生の経験からのお言葉。
まさにその通りの屈辱に浸っているのでしょうか。

私の贔屓(ひいき)の一人スペインのラウル
「スペインの至宝」「天才ストライカー」と言われ優勝の期待を担ったにも関わらず、怪我で アイルランド戦途中離脱。
準々決勝「対韓国戦」も最初からリタイア。
「情けない」という意味の意見も聞きました。
スペイン国民がどう言うかはわかりませんが少なくとも「至宝」の価値は多少下がっているはず。
他にもアルゼンチン、ポルトガルなど同様の屈辱に浸っているのではないでしょうか。

もしマスコミや世間がどんなに認めてくれても、感動したと言ってくれても 一時の慰めにこそなれ、屈辱は消えるものではありません。
自らの力で雪辱するまでは、いつまでも付きまといます。

谷底に突き落とされた人達が次回どのような活躍をするのか。
雪辱のチャンスは自ら作るのが原則でしょうが、そのチャンスが運で巡ってこない人も必ずいる はずです。
先に述べたようにカーンは既に33歳。自らブラジルを倒す、あるいは優勝に貢献するという チャンスはもう巡ってこないかもしれません。
そのような場合、どうやってその屈辱を消化するのか。そこにも価値があるのかもしれません。
逆にブラジルも次回は再度谷底に落とされる可能性があるわけです。
勝者は常に一人。だから面白く厳しい。

最後に審判問題。
韓国戦を中心に色々言われてました。
韓国の選手そのものには罪は無いように思います。むしろ彼らも気の毒です。
きちんとした判定の元で戦っていても勝ったかもしれないのです。
(スペインがもぎ取られた1点の件も、もしあそこで1点取られても、 確率は低いですが、更に取り返したかもしれないのです。)
前回のオリンピック柔道の決勝、冬季オリンピック・フィギュアやスピードスケートの判定 などもあります。
おかしな判定は勝った方にも、負けた方にも傷を残します。
レベルこそ違え、空手でも似たような事はよくあります。
ただ、基本的には一度くだされた判定はどうしても翻らない。
(冬季のフィギュアのように後から他にも金メダルを与えるという事自体が異例すぎる)
「敗者は黙して語らず」が美しいように思えます。


ワールドカップ絡み 2002/06/11

プロレスの鉄人「ルー・テーズ」がなくなったり、
サッカー・ワールドカップが始まったり、暑くなったり。
色々書きたいことがあったのですが、予定より遅くなりました。

取りあえず、世間の騒ぎに乗るのもちょっとという気もしますが、 ワールドカップ絡みで。

やはり世界の一流同士の戦いはおもしろいです。
死のFグループに限らず、他のグループもどこが来るのか解からない。
現時点で決勝トーナメント進出がほぼ確実なのはブラジルとスペインのみ。
やはり大変な大会です。

4チームで1グループの総当りリーグ形式。
一試合毎にグループ内の優劣がコロリコロリと変わってしまう。
多くの組合せが見れると共に、予想ができない面白さというのが このリーグ形式にはあるようです。
「引き分け」というのも曲者のような気がします。
「引き分け」によって有利になるチーム、不利になるチーム。
どこと引き分けならいいのか。
どのタイミングで引き分けならいいのか。
予選3試合を戦う上の戦略を立てる場合のポイントのような気がします。
最初から引き分け狙いというのは非常に危険な気がしますが。
(しかしこのリーグ戦、おもしろさとか、参加国が増えたからというより興行収入を増やす為の手段の ような気がするな。
なにしろ最初からトーナメントでやるより倍近い試合数だもんな。
ちなみにテレビの放映権料も200億でフランス大会の20倍から30倍とか。 日本も舐められましたね。こりゃ)

空手には、団体戦以外「引き分け制度」は多分皆無だと思います。
リーグ形式も現在では、ほとんど行なわれていないはずです。
(昔、硬式空手の大会で採用されたはずです。)
空手も予選にリーグ戦を取り入れると面白いかもしれないです。
ただし、参加人数100名以上というような大会でこれをやると 優勝するために8試合以上を必要とします。
もし1日や2日でこれをやられたら出場選手は、これは大変です。
決勝近くになるとかなりダメージがひどいでしょう。
しかし逆にダメージを受けない戦術が発達するかもしれません。
良い方にゆけば、相手の攻撃を綺麗にさばき、決してダメージを残さない。自分の技は、的確に当てる。
ただし、これも捌くことのみに神経がゆき、基礎体力をおろそかにしたり、本来の切れのある技で倒すという意識が薄れる恐れもあります。
ひどいケースとしては、ダメージを受けないため、肉をクッション代わりに 身長170cmくらいしかないのに体重110kg に増やしたなんて選手がたくさん出てくる可能性もあります。
日本人なのにベスト8以上は皆120kgなんてのは、これは怖い。
ここは相撲の会場か?となってしまったらちょっと問題です。
ルールや運営方式が変われば間違いなく戦術は変わってきます。
40人前後の参加者が適正というところでしょうか。
最低でも2、3試合経験できるという点でも不完全燃焼の度合いが減るように思います。
逆にサッカーも30分ハーフになるとまた違う戦い方になるような気がします。
オフサイドなど典型的でしょう。(しかし「オフサイド・トラップ」というカッコいい ネーミングの作戦がなくなってしまう。)

トラップといえば、個々人の技量・力量とその集積のチームの力量は当たり前に重要として、 空手はもちろんバレーボールや野球に比べても 戦術(作戦)というものが極めて重要な競技であるように見えます。
個々の試合に対してどのような布陣をしくのか。
そこに対して誰をどこで投入するのか。
どのように流して得点に繋げるのか逆に守り抜くのか
そうなると選手だけでなく指揮官、その他の役割も重要となります。
何か天下取り合戦のシミュレーションのようにも見えます。
戦国時代の武将が如何にして合戦に勝利するかというのに似ているのです。
その当たりもかっての大国(イギリス・フランス・ドイツなどなど)にも流行る訳なのでしょうか。

さてロシアの第一戦(チュニジア戦)のときです。
解説者の方(確か金田さん)が
「ロシアというのは、体操もスケートも芸術点がすごく高い。
そういう意識が強いんですね。
今のパスなんか見ても美しいですね。」
というような意味の事をおっしゃってました。
おもしろい意見だと感じました。
「身体的能力の違いとは別に国民性というのは間違い無くあるな」とは空手をやっていても感じる事ではあります。

空手の世界でもロシアの台頭は目覚しいものがあります。
厳密に言うとロシアおよびその周辺というところですが。
ロシアの選手は力強く、突きを主体にガンガン来るというイメージがあります。
しかし最近話題のオシボフという選手などは電光石火と言われる上段回し蹴り を必殺パターンに組み込んでいるようです。
残念ながらオシボフの試合は見た事がありませんが、
想像するにひとつひとつの動きが滑らかでかつきびきびしており、
スパーッと蹴りを出す。やはり芸術性が高いものかもしれません。
以前格闘技団体リングスにも参加していた極真のビターゼ・タリエル選手、 空手ではないですが、やはりリングスに出ていたコマンド・サンボのボルグ・ハン選手なども しっかりした技の中に確かに美しさがあったように思います。
「芸術的でなければならない。」と意識してやっている訳ではないでしょう。
ひとつひとつの技をしっかり稽古・研究して その結果として美しい動きになっているのではないかと想像します。

ロシア以外はどうかというと 平均的にみると
アメリカ勢は、荒々しくガンガン来ます。力強いです。直線的です。
ただし他の国や地域に比べると戦い方の個人差が大きいように感じます。

ヨーロッパ勢は比較的緻密で、洗練されています。
出入りの瞬間に気をつけなくてはなりません。
同じヨーロッパでもオランダはやや直線的で後ろに下がらない。
個々の技とその繋ぎは早くて正確ですが、体全体の動きが特別早いわけではない。
イギリスは左右の動きも多くスピード感があります。
かと言えば直線の速さもあり、立体的なイメージもあります。
攻守ところを変えての逆転技もよく見られます。

南米(空手ではほぼブラジル)勢はなんとなく柔らかい、
粘っこい技(精神的にではなくあくまで技が粘っこい)のイメージです。
イギリスとは違った立体的動きもします。
イギリス程前後左右に大きくスペースを使うというわけではなく
もう少し狭い範囲で前後左右を使い立体的に動きます。

イランなどはアメリカ以上に直線的な気がします。感情が拳にもろに 込められるという感じです。
同じ中東でもイラクになるともっと立体的です。変則も多い。

根っこにあるもの(風土や国民性、思想や何かそんなもの)が大きく影響する。
無論、個人差がありますから 最大公約数的にみるとそうだというところです。
そしてそれらの平均的な国民性と指導者との思想がマッチすると ひとつの形が現れてくるのではないか。

サッカーでもこのような傾向が当てはまるのでしょうか。
注意して見たいものです。

しかしパスひとつを見て「芸術的」とはさすがはプロの目です。

空手と比べるという意味でゆくとファールで倒れたときの反応や ルールがおもしろい。
反則されたとアピールしたり、ときに大袈裟に倒れるというのも 何か最近の空手に似ています。
カットされて倒れて「痛いよ!これはたまりませんよ!審判見てます?反則だよ反則」てな 感じで苦しんでいるのが、反則をとらない判定をすると 「あっそう。やっぱりだめなのね」というようにすぐ立ち上がって走りだすなどは ご愛嬌です。
サッカーの場合はシミュレーションというようですが、 演技ととられると逆に反則を取られるというところがおもしろい。
しかし、ダイジェストでしか見てませんが、アルゼンチンvsナイジェリアでは 倒れるのも時間の無駄とばかりすぐに立ち上がり走り出す選手が何人かいたようです。
また両チームの選手がライン際で倒れて横になりながらも互いにボールを奪い合うという姿もあり その執念には「すごいな」と感心してしまいました。

それに比べると最近は空手の試合をみてても、興奮したり感心する試合が少なくなったような。
ちょっと寂しいです。あるいは私が老けてしまったのか。

極真会館の故大山倍達先生は、以前
「日本では野球の人気がありすぎて他のスポーツを やればもっと素質がある人も野球に走ってしまう。」
と言うようなことをおっしゃってました。
世界レベルでいえば、サッカーに走る子供や青年が どれ程多いことか。
今サッカーをやっていて一流になれなくても他の競技を やればもっと伸びる人が一杯いるはずです。
その中にはきっと空手向きの人もいるでしょう。
体格はあきらかに日本人より勝り、運動能力も高い人達が 真剣に空手をやったらそれこそ世界大会無差別で日本人が 王座を守ることは困難でしょう。
「サッカーやってくれてありがとう」
と言うべきか、逸材を奪われて残念がるべきか。

それにしても世界を見据えるとやはり日本人も 技のみでなく、いかにパワーやジャンプ力が必要となるか。
弱い部分を補って、得意な部分(小さい分小回りが利く、スタミナがある等) でより差をつけるよりありません。
その意味では、40年以上前から「パワーとジャンプ力が大切だ」
という事で稽古にそのような内容を取り入れた大山先生の先見性は さすがと言うべきでしょうか。

ワールドカップに出ている人で空手をやったらおもしろいなと 思った人達を遊びで選んでみました。
やはりスターばかりですがご容赦を。

アルゼンチン・バティストゥータ選手
硬軟併せ持った選手。
得意技はジャンプしての前後左右からの変幻自在の頭突きおよび飛び膝蹴り、飛び前蹴り。
ここ!というタイミングを逃さない嗅覚が抜群の試合運び。
タイミングにより緩急おりまぜた攻撃をしそうです。

スペイン・ラウル選手
典型的技巧派。ただし個々の技の切れが抜群。
魔術的なテクニックで相手を翻弄し、 訳の分からない内にノックアウトしてしまう。
得意技は関節蹴りからのコンピネーション。

ドイツ・クローゼ選手
バティストゥータ選手同様空中戦を得意とする。
やはり頭突きと飛び膝蹴りにプラスし前方宙返りしながらの蹴り
(いわゆる胴回し回転蹴りのもっとスゴイ奴)で相手をなぎ倒す。
ラウル選手が柔ならば剛の代表
ただし直線的過ぎる為裏を取られる恐れがある。
かって第2回世界選手権で日本勢をおびやかしたハンス・ラングレン
(ロッキー4でロシア人ボクサーを演じた俳優)
のような大型選手になる可能性大。

イングランド・ベッカム選手
アルゼンチン戦では、偶然と思いますがもつれ合ったところで しっかり相手に肘打ちをかまして鼻血を出させてました。
技術戦、金的・顔面込みの乱打戦、場外乱闘 「なんでも来い」のオールラウンドプレイヤーになるかも。
得意技は一応なんでも一定以上のレベルでできるが、回転しての肘うち。高度なテクニックです。
毎試合ボルテージの高い試合を提供するプロ向きの選手。

同じくイングランド・オーエン選手
前後左右のすさまじい動きで相手をかく乱し、スピーディな技で 攻めまくる。
ラウル選手が静の技術とするとこちらは動の技術
普通は、団体戦をやれば間違いなく先鋒の切り込み隊長

もしこの5人で団体戦に出場すると順番はどうなるか。
普通はオーエン⇒ラウル⇒クローゼ⇒ベッカム⇒バティストゥータ
のようですが、ベッカムとオーエンを入れ替えるのも面白い。
それとも勢いを買ってオーエンとクローゼを入れ替えるか?

いや〜本当くだらん想像をしてしまいました。
しかし競技としては、こんな選手が出てきて欲しいものです。

はてさて、冒頭にも述べたようにいったいどこが上がってくるか混沌としてます。
空手の大会でも、優勝候補、ベスト8候補など10人前後の候補が挙がりますが、 それらの人がすべて上位に入賞することは意外と希です。
毎年のようにその内何人かが、1〜3回戦で敗れベスト16にも残れないとう状況が起こります。
そしてダークホースとして突如上位に食い込んでくる人が出てきます。
今回もフランスはもちろん、優勝候補最右翼と謳われたアルゼンチン、あるいはイタリア あたりでさえ危ないです。
いったいどこが上がって来るのか。落ちるのか。
前回大会のクロアチアのようにダークホース的に上がってくるところがあるのか。
日本はどこまで行けるのか
楽しみなところです。


伝説登場 2002/04/14

正確な年は、忘れてしまいました。1990年前後であったと思います。
東京の代々木第二体育館で、拳道会という団体の演舞会が開催されました。
拳道会とは、故大山倍達極真会館総裁と並び賞される達人中村日出男先生率いる団体です。
既に中村先生は、空手界、特にフルコンタクト空手界において有名でいらしたのですが、その伝説とも呼ぶべき技はほとんど誰も見たことがありませんでした。
演舞会ですので、基本、移動、試し割りなどが主な演目と予想されました。通常、試合形式でない場合はあまり観客は入りません。
しかしこの日は違います。何と言っても伝説をこの目で見れるチャンスです。
会場は満員。その多くが空手関係者であったのではないかと想像します。
あちこちに知った顔が見えます。
演舞は、若手の基本、師範代の試し割、若手の約束組手といった具合で進んでゆきます。
全体的に基本は上手だなと感じました。
試し割は、瓦、板、もう何を粉砕したか忘れるくらい、次から次へと進みます。
空手をあまり知らない人が見たら、少し野蛮に感じるかもしれません。
何かしらゴジラが町を破壊しながら前進する様を思い浮かべたのを覚えています。
師範方の試し割には、かなり脅威を感じました。
高弟の方の土管割りにはおお〜っ!というところです。
土管を無造作に叩くとそれこそドカーンという感じで破壊してしまいます。脅威の破壊力です。
10枚以上積んだ瓦に手の平をくっつけた状態で一瞬にして粉砕してしまう「寸けい」が始めて披露されたのもこの時のように記憶します。
ただ、これらは確かにすごい試し割ですが、よく考えると物理的に理解できる範疇ではあります。
さていよいよ中村先生の登場です。
「中村会長で〜す。」というようなアナウンスに答え中村先生登場します。
歓声に両手を挙げてこたえます。
「なんだ、あのじい様結構チャメッケあるじゃない」と思ってみています。(多分、当時先生は60歳を超えておられたと記憶します。)
中村先生の演舞は、伝説の角材切りです。
縦横3cmか4cmで長さ30cmくらいの角材が用意されます。50cmならともかく30cmくらいではなかなかきれいに折れるものではありません。
さてこの角材をセットするのですが、何かでガッチリ固定するわけではありません。
一本の角材をもう一本か二本の角材でたおれないようにバランスをとって斜めに置くだけです。
ガッチリ固定しても30cmのものをおるのは至難の業です。果たして折れるのか?
何組かセットされた角材群の中央で中村先生が構えます。
左右の手をまず右にビッと振り、そして今度は左にビビッと振り、トコトコと角材の方に進みます。
「あの手を振る姿どこかで見覚えがあるぞ!。あれはTVの仮面ライダー2号・一文字隼人が変身するときのポーズではないか!!」
私はいらぬところで感動し、笑いそうになりました。
当然、先生構わず仮面ライダーのまま角材のすぐ近くにゆきます。
その瞬間です。なにげなく、本当に何気なく先生が蹴りをチョコンと出しました。
少し距離があるため、中足で蹴ったのか、背足で蹴ったのかは定かではありません。
ピキーンとかピシッという音がし、置いてあった角材がふたつに割れて宙に舞います。
観客の半分くらいが「オオー!!」です。
私は目が二倍くらいに大きくなってたと思います。まわりにも名の売れた空手選手が何人かいました。
彼らをみましたが、彼らの目も二倍になってます。
中村先生は更に残りの角材の方に、やはり仮面ライダーのまま進みます。
またもピシッ!そして宙に舞う割れた角材。
やはり観客の半分は「オオー」「パチパチ」(拍手)です。
お断りしますが、私や周りの人は空手をやっていた者です。失礼ながら「オオー」や「パチパチ」は取り合えずやりません。
しかし、それらほぼ全員の目が二倍で「何で???」といってます。
来賓席にプロレスラーの前田日明選手が来てました。今度は前田選手が呼ばれます。
前田選手、キチンと靴を脱ぎ、演舞のマットに挙がります。
角材が一本、前田選手に手渡されます。前田選手、その角材を確認し、両手で軽く支えます。
全然力は入ってません。ほんとに支えるだけです。
ああ〜。また先生は仮面ライダーになります。そして前田選手の目の前に来た瞬間、手刀を振り下ろします。
またまたピシッという音が響き、前田選手の両手に二本に割れた角材が残されます。
前田選手、信じられないという顔で手に持った角材を見つめます。
「だいたいなんだ、あのピシッ!てえ〜のは。普通はパキーンとかバキーンだぞ」と心で叫びます。
先生の演舞はここまでです。また「中村会長でした〜」というアナウンスかなにかが流れ「オオー」「パチパチ」の嵐です。
中村先生またも両手で観衆に答えます。まるでアイドル歌手のようです。
くどいようですが、我々もまがりなりに空手をやってい者です。インチキなりなにかがあれば、それなりに胡散臭いものを感じるものです。
この時には、そのようなものを微塵も感じません。仮にもしインチキがあったとすると中村先生は、ミスター・マリックなみの奇術師の腕を持って我々を欺くより他はありません。
演舞の休憩時間であったと思います。
トイレにゆこうと通路にでたのですが、人だかりができています。
見ると演舞で破壊した土管や瓦、その他が通路の隅においてあります。
先生が折った角材もあります。それはあたかも「もしインチキがあったと思うなら存分に確認してください」と言わんばかりです。
私の前の、選手と思しき人が3人で角材をもって見ています。覗き込んで私も確認しました。
角材は、真中からきれいに割れています。割れているというよりむしろ切れていると言った方が正確です。
割れた部分が、全然ギザギザしておらずあたかもノコギリで切ったように滑らかなのです。
しかも一度切断したものをノリや何かの接着剤で接合した後も見えません。
解りません。どうやったらこんなにきれいに切れるのか。

席にもどるとやはり他の席でも切れた角材をもってきて詳細に検分している空手関係者が何人もいます。
皆、同じように「なんだこれは?」という感じです。
前述した土管割りやその他の試し割は、自分ができるか否かは別として感覚的には、どのようにすればできるのかは想像できます。
正道会館の石井館長は試し割を科学的に分析し実践し、かつその論理をオープンにされている事で有名です。
その館長をして「あれだけは、解らん」と言わしめたのがこの角材切りだそうです。

中村先生自身のお言葉を借りると「名人・達人は時速1200kmのスピードがでる。私は700kmか800kmですか。」 との事です。
昔、当時のプロボクシング世界フライ級チャンピオン、具志堅用高選手のパンチのスピードをテレビで測ったところ確か時速30km少々 であったと記憶します。(ちなみにこれは蛇がピュンとおそいかかるスピードと同じだそうです。)従って、700kmや1200kmが 実現可能な数値か否かという事になると少し?というところです。
しかしおそらく先生はそれを概念的、抽象的に表現されているのではないかと思います。
取り合えず数値の信憑性は置いておくとして、ではスピードがあれば切れるのか?という事です。
あるいはどうやればそのスピードに到達できるのかという事です。
もう一点のポイントは、拳道会の鍛錬方式にあるかもしれません。拳道会では部位鍛錬、すなわち 拳、小手、手刀、膝から先の足の各部位を徹底的に鍛錬されるとの事です。砂袋1500本蹴りを毎日やるというような稽古を 課せられるそうです。
「肘から先、膝から先、これを徹底的に鍛えればどんな大きな相手でも恐れることはない」との事です。 各部位をそれこそ凶器のように鍛えるという事であると思います。
ちなみに極真会の松井館長か八巻選手かどちらか忘れましたが、百人組手をやった際、この肘から先、膝から先の大切さ を思い知ったと述べておられたように記憶します。
もしかしたらこの徹底した部位鍛錬とスピード双方があいまって実現できる事かもしれません。
ではでは、と突っ込みます。もし剣道の達人が木刀を持っての一撃を加えれば角材は切れるのかと。
同じように切れれば論理的に説明がつきますが、もし切れない場合はもっと深い謎が残ることとなります。
その場合は、あるいは人間の手足の柔らかさも関係するのか?角度か? う〜ん どちらにしても今は解かりません。
ブルース・リーは、映画の中で「boards don't hit back!」すなわち板は打ち返してこない。試し割などして も実践とは違うものだ。というような事を述べています。
確かにそれは一理あると思います。しかし私は、今回述べたような試し割を実践できる人たちとは、実戦の場での 手合わせは、ご遠慮申し上げたいというのが正直なところです。
さて長くなりました。こうして伝説は我々の前に姿を現し、それ以降拳道会の方々も広く他流派大会に参加されるように なったのです。
今回紹介した演舞会はビデオとしてレンタルされていると思います。私の記憶も曖昧な部分があります。 あるいは誤りもあるかもしれません。見つけた方は、一度確認されるとよいのでは。
最後におまけで中村先生の有名なエピソードです。
私はこれをある道場に通っていた後輩から聞きました。先生の事を記した著書にも書いてあります。
先生は、一時喉頭ガンにかかられたそうです。普通は即入院ですが、先生はそれを拒否し、自ら治療されたそうです。
その治療がすさまじい。
真っ赤に焼いた、鉄の串(火箸)を喉まで通して、その熱で喉の腫瘍を焼く。
焼いた後を焼酎か酒で消毒する。
それを何日間も、何度も繰り返す。
しばらくそれを繰り返すうちに病院で検査したところその腫瘍はきれいに無くなっていたそうです。
その腫瘍がガンであったか否かは問題外です。
恐ろしいのはその治療法です。
「絶対ウソだ!!」という人も必ずいると思います。
しかし私はこの話しを全面的に信じています。
その治療の後しばらく先生は、きちんと声が出ないため、何か説明しても一般の生徒には聞き取れないとのことでした。
それを高弟の師範方が以心伝心で「君は腰の高さが不十分だと先生がおっしゃている」などと通訳されていたそうです。
また先生は、若い頃、その筋の方々と戦いに出向くときには日本酒を一升ほど景気付けに飲んで出かけられたそうです。
日本酒一升は景気付けのレベルじゃないだろ〜。
いやはや恐ろしい。

尚、今回の逸話などは先に記しました中村先生の軌跡を記した著書(確か「拳聖 中村日出男」というような題名)や
極真会館のろう山師範(漢字が出てこん すみません 今度更新します)著「生涯の空手道」に詳しく記されています。
興味のある方は、ご一読まで。


オリンピック_その2 2002/03/09

さて前回少し脱線ぎみでしたのでちょっと時期を逸した感もありますが、再度オリンピックの話題を。
技術的な事はよく解りませんので感想です。

女子フィギュアのミッシェル・クアン選手。長野ではタラ・リビンスキー、そして今回はサラ・ヒューズ。
2大会連続で14、5歳の小娘に逆転負け。さぞ悔しい事でしょう。
しかもタラ選手は既に金メダルを手土産にプロ入り。オリンピック連覇という事は夢や課題ではないようです。
クアン選手の場合は運というか実力というか、まあある部分、自分の責任だからしょうがない。
ショートトラックの韓国の選手のように反則だとかで金メダルを毟り取られたんではたまりません。本当。
しかもあの選手は前のレースでも中国の選手に膝を抑えられてズッコケテいる。救済もなし。今回もっとも不運だった人のひとり。
実力がありながらオリンピックではなかなか勝てない人っているんですね。しかも、この人たちにとってはやはりオリンピックが、最高の舞台。
そう言えばモスクワオリンピックでは、ソビエトのアフガン侵攻に対する抗議としてアメリカを中心としてボイコット運動が興りましたね。
柔道の山下選手始め皆泣きながら「なぜ自分たちが参加できないのか?」と訴えてました。
あの時、世間にも「モスクワなんか行かんでよか!!」と言う人も確かにいたのです。
しかし選手にしてみればね。1年に1回ならまだしも、4年に1回だと一度逃すと致命的にもなりかねません。
最高の舞台そのものを毟り取られたというところです。行くのかボイコットするのか選手自身に判断させるのも良かったのでは。
(柔道の山下選手、レスリングの大田選手などは参加出来なかった事により次のオリンピックを目指すという執念もみせている。)
なぜかモスクワオリンピックを思い出す今回の大会でした。

ペアのフィギュア、確かにミスはしたけどロシアのペアの演技の方が、カナダペアよりずっと美しかったと思いますぞ〜。
引き込まれるような演技であったと思います。服も滑りに併せて軽くなびいて効果的でした。

話しは飛びます。
オリンピックと言えば印象深いのはモントリオールでの体操選手「白い妖精 ナディア・コマネチ」。
もう25年位前なので、その演技を生で見て覚えているのは30歳以上くらいですか。
とにかくパーフェクトに感じました。足先から指先までの動き、個々の技術、そして容貌も妖精という感じでまさにモントリオールの花。
なにせ「コマネチのテーマ」というレコードまで販売になったのです。(すぐ買いに行きましたよ)
コマネチ選手が7回だか何回か10点満点を出してしまったせいか、それ以降のオリンピックでも10点が乱発されるようになった気がします。
コマネチ選手程パーフェクトではなかったように思いますが。功罪相半ばするということでしょうか。
コマネチ選手と対照的だったのがそのずっと後にでてきたメアリー・ルー・レットン選手。コマネチ選手に比べると丸い。
しかしバネがすごくて、まさに跳ねるゴムマリ。アクロバッティクな演技とはじけるような明るさでは数段コマネチ選手を上回りますが美しさには欠けると感じました。
この人「裸の銃を持つ男」(何作目か忘れました)というギャグ映画でもビュンビュン飛び跳ねてます。
コマネチ選手が出てきたとき、往年の名選手ベラ・チャフラフスカと比べて「優雅さに欠ける。技術はすごい進歩」と評していました。
時代の流れという事でしょうか。
コマネチ選手の自伝でおもしろかっと記憶する箇所を2点ほど。
体育館で女子選手は軽くランニングをしてアップをするのですが、その傍らでは男子選手がやはりアップの為にサッカーか何かをやっている。
男子はアップなのにまるで国の命運を賭けるがごとく真剣に勝負しており、ものすごいスピードでボールがびゅんびゅんと顔の近くをとおりすぎる。もう怖くてランニングどころではないとの事でした。

また有名になったコマネチ選手に雑誌やテレビなどのインタビューが良く行われたそうです。
そのインタビューでは決まって「普段は何をやってるか」というような意味の事が尋ねられたそうです。
要するにインタビューする側の意図は「普段は普通の女の子、ぬいぐるみを好きなどこにでもいる女の子なのに」と言う事を強調したい様だったとか。
これに対するコマネチ選手の述懐の一言は大よそ以下のような意味でした。
「どだいオリンピックで金メダルを取ろうとか世界選手権で優勝しようとかいう人が、どこにでもいる普通の熊のぬいぐるみを抱いた女の子である訳がない」

モントリオールオリンピックでコマネチ選手をテレビのアナウンサーが「毎日6時間の稽古をしているそうです。」と紹介してました。
私と一緒にテレビを見ていた友達は「6時間も稽古したら金メダルとれるよ。誰でも」と一言。
「だから、普通は6時間も稽古できないんじゃって!!そしてコマネチはその6時間やってる人達の中でトップに立ったんだって!!」
話しはそれますが似たような話です。「かっての柔道の王者木村正彦は6時間から10時間稽古したそうだ」と格闘技素人の友達と話をしていたらその友達曰く
「いや昭和20年とかそんなときだろう、戦後とかだろう、他にやることねえんだから。今なら無理だよ。」と
「だから、やること他になくても6時間10時間はできないんだって!!」
まあ話した私が馬鹿だった。

今回は、夏のオリンピックのように負けた後とか始まる前に「でも楽しめました」とか「楽しみます」などという人はあまりいなかったように思います。
外人さんが言うのとは少し違う気がするんですよね。「プレッシャや大舞台での競技を心から楽しみとして感じる」ではなく何か「世間からの期待やプレッシャ」を楽しみに無理して挿げ替えて、あるいは殊更「他人の期待のためではなく自分の為に」と言っているみたいで。
よくわからんが、何か嫌いですねあの「楽しむ」ってやつは。本人が一番感じてるはずですよね。「負けても楽しかったから良い」なんてめったに無いってことは。
逆にイタイタシイです。
柔道の田村亮子選手のように「最高でも金、最低でも金」とか言い切る方が個人的には好きですね。
あっ、そう言えば連鎖でもうひとつ思い出しました。
水泳のイアン・ソープ選手。レースの合間のアップでビート板使ってバタ足してたけど、バタ足しながら栄養食食べてました。
よく食べれるな〜。まねしてみたけど口に水が入ってまともに食べれませんよ。

今回は、何か話がはちゃめちゃで支離滅裂です。


オリンピック

第一回のテーマは、やはりこの時期ですから当然オリンピックです。

という訳でまずは縦蹴りの話から(???)
「この空手家を覚えておこう(第一回)」の中で余談として述べてますが、質問も受けましたのであらためて補足という事で。
まず「縦蹴りが駄目」という訳ではないです。
軸足から腰、膝、足先までの回転運動が一連ではなく、バラバラに膝下のみを前蹴りか、三日月蹴りのような膝の位置からチョコンと足先だけ反転させる。これを縦蹴りだと思って満足している事が嫌なのです。
あるいは試合において回し蹴りというとこのような感じの蹴りしかできない(体重を乗せた蹴りができない)というのが不満なのです。
この蹴りでも繋ぎや、フェイント、コンビネーションの一環と理解して使うのであればいいが、これを倒す技だと考えているとするとちょっとお粗末かなと。
体重差があればともかく、似たような体格であれば当たっても余程タイミングやポイントがよくなくては一発で倒れるという事は考えにくい。
ブラジル人などのように、膝下の長さが極めて長く、膝下のみで日本人の足7割くらいの長さではないか?と言うような場合は、遠心力がついてくるので効き目が違うでしょうが、私みたいに膝下が小学校で使う30cm物差しみたいなのだと絶対駄目ですね。これは効きません。
最近はスタイルがよくなったとは言え、通常の足の長さの日本人であるならば、大きく膝を持ち上げ、体の回転と一致して足先がダイナミックに走るような回しや縦蹴りが倒すためには必須となってくると思います。
大きな正しいフォームを稽古してできるだけ使えるようにし、そうでない縦蹴りは、応用・変則として運良く倒せるもの、繋ぎという意識を持って使用して欲しいという事です。
(この場合大きなフォームだと金蹴りをもらうというのは別次元の話。また応用・変則でも徹底的に磨けば倒せるものになる場合もありますが)
縦蹴りの本家的存在の極真グラウベ・フェイトーザも大きな回し蹴りと変則とを使ってると思います。稽古の映像でも縦蹴りの際、全身をうまくつかって大きく膝を持ち上げ、その頂点からたたきおろすように振ってたはずです。

それでもってようやくオリンピックの話です。
上記の話は、あながち無関係ではありません。
スピードスケートにおいてはコンマ数秒の記録を伸ばす為に、スタート時の体の高さを数センチ、数ミリで調整できるようにトレーニングするそうです。
フィギュアスケートにおいても、微妙な手、指先の動き、ジャンプのタイミング、細かなところまで徹底的に意識して稽古するとの事です。
(その為に別途バレーのレッスンを受ける人もいる)
オリンピックレベルだからと一言で終わらせる事もできますが、我々空手を実践する者は、そこまで厳しく稽古してるだろうかと。
先の縦蹴りはその例であると言えます。正拳突きの引き手の位置、突くポイント、本当に意識してやってるのか?
前蹴上げでの膝はまがってないか等。
武道、武道と唱える人もそこまでやってるだろうか?
オリンピック選手のトレーニング風景がよくテレビで紹介されますが、あれを見ていると自分たちのやっている事は本当に「厳しい稽古」と言えるのだろうか?
空手でいう「猛稽古」なんてあの人たちのレベルからするとお子様ランチに見えないか?

精神論だけでなく、まず自分たちの稽古が本当にレベルの高いものであるか、もう一度謙虚に見直し正してゆかなくてはならないのではないか。
などという偉そうなことを考えてしまいます。

ちなみに、私自身、これからも気をつけなくてはならないですが、空手でも、少林寺拳法、日本拳法でも「武道、武道」とか「すごい稽古した」といっている人で本当にすごい稽古をしてる人ってめったにお目にかからないですね。ほんと。
2、3年少し練習して、黒帯絞めてるけど、腕立て50回もろくにできず、スタミナも千本(いや五百本か?)に満たない蹴りの本数でヒイヒイ言うようなのが後輩にむかって「空手だから、空手てぇ〜のは、武道だから」などとよく寝言をのたもうているのであります。
そんなのに限ってすぐ喧嘩して中途半端な怪我をさせる(させられる?)。(たま〜に、そんなのじゃなくても喧嘩する人いるけど:まっこの場合しっかりした理由があると思うです。)





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