空手四方山 第3回 History「伝説登場」



伝説の話です。
正確な年は、忘れてしまいました。1990年前後であったと思います。
東京の代々木第二体育館で、拳道会という団体の演舞会が開催されました。
拳道会とは、故大山倍達極真会館総裁と並び賞される達人中村日出男先生率いる団体です。
既に中村先生は、空手界、特にフルコンタクト空手界において有名でいらしたのですが、その伝説とも呼ぶべき技はほとんど誰も見たことがありませんでした。
演舞会ですので、基本、移動、試し割りなどが主な演目と予想されました。通常、試合形式でない場合はあまり観客は入りません。
しかしこの日は違います。何と言っても伝説をこの目で見れるチャンスです。
会場は満員。その多くが空手関係者であったのではないかと想像します。
あちこちに知った顔が見えます。
演舞は、若手の基本、師範代の試し割、若手の約束組手といった具合で進んでゆきます。
全体的に基本は上手だなと感じました。
試し割は、瓦、板、もう何を粉砕したか忘れるくらい、次から次へと進みます。
空手をあまり知らない人が見たら、少し野蛮に感じるかもしれません。
何かしらゴジラが町を破壊しながら前進する様を思い浮かべたのを覚えています。
師範方の試し割には、かなり脅威を感じました。
高弟の方の土管割りにはおお〜っ!というところです。
土管を無造作に叩くとそれこそドカーンという感じで破壊してしまいます。脅威の破壊力です。
10枚以上積んだ瓦に手の平をくっつけた状態で一瞬にして粉砕してしまう「寸けい」が始めて披露されたのもこの時のように記憶します。
ただ、これらは確かにすごい試し割ですが、よく考えると物理的に理解できる範疇ではあります。
さていよいよ中村先生の登場です。
「中村会長で〜す。」というようなアナウンスに答え中村先生登場します。
歓声に両手を挙げてこたえます。
「なんだ、あのじい様結構チャメッケあるじゃない」と思ってみています。(多分、当時先生は60歳を超えておられたと記憶します。)
中村先生の演舞は、伝説の角材切りです。
縦横3cmか4cmで長さ30cmくらいの角材が用意されます。50cmならともかく30cmくらいではなかなかきれいに折れるものではありません。
さてこの角材をセットするのですが、何かでガッチリ固定するわけではありません。
一本の角材をもう一本か二本の角材でたおれないようにバランスをとって斜めに置くだけです。
ガッチリ固定しても30cmのものをおるのは至難の業です。果たして折れるのか?
何組かセットされた角材群の中央で中村先生が構えます。
左右の手をまず右にビッと振り、そして今度は左にビビッと振り、トコトコと角材の方に進みます。
「あの手を振る姿どこかで見覚えがあるぞ!。あれはTVの仮面ライダー2号・一文字隼人が変身するときのポーズではないか!!」
私はいらぬところで感動し、笑いそうになりました。
当然、先生構わず仮面ライダーのまま角材のすぐ近くにゆきます。
その瞬間です。なにげなく、本当に何気なく先生が蹴りをチョコンと出しました。
少し距離があるため、中足で蹴ったのか、背足で蹴ったのかは定かではありません。
ピキーンとかピシッという音がし、置いてあった角材がふたつに割れて宙に舞います。
観客の半分くらいが「オオー!!」です。
私は目が二倍くらいに大きくなってたと思います。まわりにも名の売れた空手選手が何人かいました。
彼らをみましたが、彼らの目も二倍になってます。
中村先生は更に残りの角材の方に、やはり仮面ライダーのまま進みます。
またもピシッ!そして宙に舞う割れた角材。
やはり観客の半分は「オオー」「パチパチ」(拍手)です。
お断りしますが、私や周りの人は空手をやっていた者です。失礼ながら「オオー」や「パチパチ」は取り合えずやりません。
しかし、それらほぼ全員の目が二倍で「何で???」といってます。
来賓席にプロレスラーの前田日明選手が来てました。今度は前田選手が呼ばれます。
前田選手、キチンと靴を脱ぎ、演舞のマットに挙がります。
角材が一本、前田選手に手渡されます。前田選手、その角材を確認し、両手で軽く支えます。
全然力は入ってません。ほんとに支えるだけです。
ああ〜。また先生は仮面ライダーになります。そして前田選手の目の前に来た瞬間、手刀を振り下ろします。
またまたピシッという音が響き、前田選手の両手に二本に割れた角材が残されます。
前田選手、信じられないという顔で手に持った角材を見つめます。
「だいたいなんだ、あのピシッ!てえ〜のは。普通はパキーンとかバキーンだぞ」と心で叫びます。
先生の演舞はここまでです。また「中村会長でした〜」というアナウンスかなにかが流れ「オオー」「パチパチ」の嵐です。
中村先生またも両手で観衆に答えます。まるでアイドル歌手のようです。
くどいようですが、我々もまがりなりに空手をやってい者です。インチキなりなにかがあれば、それなりに胡散臭いものを感じるものです。
この時には、そのようなものを微塵も感じません。仮にもしインチキがあったとすると中村先生は、ミスター・マリックなみの奇術師の腕を持って我々を欺くより他はありません。
演舞の休憩時間であったと思います。
トイレにゆこうと通路にでたのですが、人だかりができています。
見ると演舞で破壊した土管や瓦、その他が通路の隅においてあります。
先生が折った角材もあります。それはあたかも「もしインチキがあったと思うなら存分に確認してください」と言わんばかりです。
私の前の、選手と思しき人が3人で角材をもって見ています。覗き込んで私も確認しました。
角材は、真中からきれいに割れています。割れているというよりむしろ切れていると言った方が正確です。
割れた部分が、全然ギザギザしておらずあたかもノコギリで切ったように滑らかなのです。
しかも一度切断したものをノリや何かの接着剤で接合した後も見えません。
解りません。どうやったらこんなにきれいに切れるのか。

席にもどるとやはり他の席でも切れた角材をもってきて詳細に検分している空手関係者が何人もいます。
皆、同じように「なんだこれは?」という感じです。
前述した土管割りやその他の試し割は、自分ができるか否かは別として感覚的には、どのようにすればできるのかは想像できます。
正道会館の石井館長は試し割を科学的に分析し実践し、かつその論理をオープンにされている事で有名です。
その館長をして「あれだけは、解らん」と言わしめたのがこの角材切りだそうです。

中村先生自身のお言葉を借りると「名人・達人は時速1200kmのスピードがでる。私は700kmか800kmですか。」 との事です。
昔、当時のプロボクシング世界フライ級チャンピオン、具志堅用高選手のパンチのスピードをテレビで測ったところ確か時速30km少々 であったと記憶します。(ちなみにこれは蛇がピュンとおそいかかるスピードと同じだそうです。)従って、700kmや1200kmが 実現可能な数値か否かという事になると少し?というところです。
しかしおそらく先生はそれを概念的、抽象的に表現されているのではないかと思います。
取り合えず数値の信憑性は置いておくとして、ではスピードがあれば切れるのか?という事です。
あるいはどうやればそのスピードに到達できるのかという事です。
もう一点のポイントは、拳道会の鍛錬方式にあるかもしれません。拳道会では部位鍛錬、すなわち 拳、小手、手刀、膝から先の足の各部位を徹底的に鍛錬されるとの事です。砂袋1500本蹴りを毎日やるというような稽古を 課せられるそうです。
「肘から先、膝から先、これを徹底的に鍛えればどんな大きな相手でも恐れることはない」との事です。 各部位をそれこそ凶器のように鍛えるという事であると思います。
ちなみに極真会の松井館長か八巻選手かどちらか忘れましたが、百人組手をやった際、この肘から先、膝から先の大切さ を思い知ったと述べておられたように記憶します。
もしかしたらこの徹底した部位鍛錬とスピード双方があいまって実現できる事かもしれません。
ではでは、と突っ込みます。もし剣道の達人が木刀を持っての一撃を加えれば角材は切れるのかと。
同じように切れれば論理的に説明がつきますが、もし切れない場合はもっと深い謎が残ることとなります。
その場合は、あるいは人間の手足の柔らかさも関係するのか?角度か? う〜ん どちらにしても今は解かりません。
ブルース・リーは、映画の中で「boards don't hit back!」すなわち板は打ち返してこない。試し割などして も実践とは違うものだ。というような事を述べています。
確かにそれは一理あると思います。しかし私は、今回述べたような試し割を実践できる人たちとは、実戦の場での 手合わせは、ご遠慮申し上げたいというのが正直なところです。
さて長くなりました。こうして伝説は我々の前に姿を現し、それ以降拳道会の方々も広く他流派大会に参加されるように なったのです。
今回紹介した演舞会はビデオとしてレンタルされていると思います。私の記憶も曖昧な部分があります。 あるいは誤りもあるかもしれません。見つけた方は、一度確認されるとよいのでは。
最後におまけで中村先生の有名なエピソードです。
私はこれをある道場に通っていた後輩から聞きました。先生の事を記した著書にも書いてあります。
先生は、一時喉頭ガンにかかられたそうです。普通は即入院ですが、先生はそれを拒否し、自ら治療されたそうです。
その治療がすさまじい。
真っ赤に焼いた、鉄の串(火箸)を喉まで通して、その熱で喉の腫瘍を焼く。
焼いた後を焼酎か酒で消毒する。
それを何日間も、何度も繰り返す。
しばらくそれを繰り返すうちに病院で検査したところその腫瘍はきれいに無くなっていたそうです。
その腫瘍がガンであったか否かは問題外です。
恐ろしいのはその治療法です。
「絶対ウソだ!!」という人も必ずいると思います。
しかし私はこの話しを全面的に信じています。
その治療の後しばらく先生は、きちんと声が出ないため、何か説明しても一般の生徒には聞き取れないとのことでした。
それを高弟の師範方が以心伝心で「君は腰の高さが不十分だと先生がおっしゃている」などと通訳されていたそうです。
また先生は、若い頃、その筋の方々と戦いに出向くときには日本酒を一升ほど景気付けに飲んで出かけられたそうです。
日本酒一升は景気付けのレベルじゃないだろ〜。
いやはや恐ろしい。

尚、今回の逸話などは先に記しました中村先生の軌跡を記した著書(確か「拳聖 中村日出男」というような題名)や
極真会館のろう山師範(漢字が出てこん すみません 今度更新します)著「生涯の空手道」に詳しく記されています。
興味のある方は、ご一読まで。



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