Side-A:5

 ・・・あれからしばらく周囲を探してみたが、あの女の子はついに見つからなかった。

 あの水飲み場から公園の出口までは結構な距離があり、かと言って反対側はどこかの民家の高い塀があるだけだった。いくら僕でも気が付くハズだ。

 あと考えられるのは故意に隠れるということだなのだが、あの公園に隠れられる場所なんて木の上以外に殆ど無いし、第一あの子にとって何のメリットがあると言うのだろう。

 ・・・急にコワくなった、とか。

 まぁ、理由はどうあれ今はただあの子が無事に自分の家に帰り着いてくれていることを祈るばかりだ。あのままもし行方不明にでもなっていたりしたらものすごく寝覚めが悪いに違いない。














 なんだか、ひどく疲れた一日だった。

 そう言えば、僕って今日は夜勤明けだったんだよなぁ。

 シャワーを浴びて簡単に食事を済ませると、猛烈な眠気が襲ってきた。

 それまではしかしかと痛む左耳の後ろを気にしていたのだが、実際には僕の睡眠を妨げるほどの効力はそれほど無かったようだ。







 僕の意識は、あっという間に深みに沈んでいった。



"And then, there were..."
(#3)


Side-B:5

 開け放った窓から月明かりが差し込む。

 夜行列車の過ぎる音や自動車の騒音が遠くに近くにと聞こえ、独特な夜の気配が部屋に満ちてゆく。

 私は自室のベッドの上で両膝を抱えて座り、・・・なかなか寝付けないでいた。

 あの人の傷痕を見た刹那、私は沈殿した記憶の底になにかとてつもなく大切な事を置き去りにしているような気がした。・・・それは一体何だろう?
 そして今も思い返す度に、私の胸の深い所でチリリと逆立つような何かを感じるのだった。




 これは果たして喪失感なのか、それとも焦燥感に近いのか・・・。



 思えば小さいころの私は、いつも何かを探しているようだったと聞く。

 何を?

 どこに?

 そしてそんな行為を、私は一体いつの頃まで続けていたのだろう?



 しばらく同じ姿勢のままで考えていたが、一向に思い出せるような気配でも無い。



 ・・・無理か。随分と幼い頃の記憶のようだし。



 私は喉の渇きを覚えて立ち上がった。
 台所で何か飲み物でも探そうと、スタスタと部屋を横切ろうとした私の目に、本棚にあるアルバムがふと飛び込んでくる。

(そうだ、子供の頃の写真・・・。)

 もしかしたらそれらをなぞることで、何かを思い出すかも知れない。
 私はくるりときびすを返すと、早速アルバムを何冊か引っ張り出し、年齢を逆に辿るようにして片っ端から見ていった。

 中学の頃、小学校の頃、・・・あの人との集合写真もあった。
 でもこれじゃない、もっともっと昔のはずだ。

 そして一枚の写真に目が止まる。

 それは真夏の強い日差しの中、この近所の公園で白樺の木の枝に登っている五歳前後の私の姿だった。そしてその写真の隣には、すっかり枯れ果てた銀杏の葉が添えられている。












 「何か」が私の中で、急にパチンと音を立てて符合する。

 (あ・・・。)

 私は軽い目眩と共にその場にうずくまる。



 木の上からの視点。

 力強い、それでいて不思議と優しい腕。

 強烈な日差しと、くっきり明暗の分かれた影。

回る世界。

 私のせいで負ったけが。

 泣きじゃくる私と。

 錆の味。

 ほめてもらえた。 







 ・・・そして、許してもらえたこと・・・。














 そうだった。

 私はこんなに、・・・こんなにも大事なことを今の今まで忘れていた。

 でも、・・・ううん。こんな話、きっと誰も信じないに違いない。

 記憶を取り戻した私は、・・・しかし同時に猛烈な恐怖感に襲われた。

 (もしも・・・。)

 今の今まで信じて疑うことの無かった事柄だけに、一度疑い始めるとキリが無い。足元から強固な何かが崩れてゆく様を想像して、私は身震いした。



 (もしもあの人が私を選んでくれなかったら・・・。私はその時、一体どうするのだろう?)

 その時は、また最初から始める事になるのだろうか?














 話は、記憶を取り戻したことで更にややこしくなったと言うのに・・・。

















Side-A:6

 その週末、僕はえみると海へ出かけることになった。
 東京近郊の海水浴場とは明らかに違う海の冷たさに、僕はちょっぴり感動した。

 そして・・・。

 「ダーリン!!」

 ・・・幼児体系気味なえみるの水着姿に違った意味で悩殺され、そのまま危うく脳死状態になりかかった僕は、必死の思いで「こちら側」へと回帰した。
 まだまだ気恥ずかしさが先に立つ僕ら二人は、いわゆる「恋人同士のよくやる例のアレでソレな二人だけの時空間」を形成するまでには至らずに済んだ。
 とは言え、えみるの独特な接尾語が周囲に響き渡るたびに、僕は他の海水浴客からこれまた違った意味で異邦人扱いを受けていた(ような気がする)。

 しかし。

 僕はえみるを見ているうちに自然と頬が緩んでくるのを感じていた。

 (丸っきり子供だよね、あれは。)

 無邪気さ、奔放さ、物言い、仕草、そしてクリクリとよく動く大きな瞳・・・。

 ふと、数日前に出会って消えたあの女の子の姿が今のえみるの姿とダブる。

 ・・・そう言えば、僕は子供の頃の思い出があまり無い。もちろん、青森の妙子の家に厄介になっていた頃のことはよく覚えているが、それ以前の記憶、・・・言い換えれば幼児期の頃のことを、僕は殆ど覚えていないのだ。

 幼児期の記憶があまり無いというのは、よほど僕自身が記憶力が悪いのか、あるいは何かとても辛いことがあったためにその頃の記憶自体を自分で封印してしまっているのかも知れないと、以前友達が言っていたことがある。
 ・・・もっとも、その後の転校に次ぐ転校生活の方が印象が強烈だったため、それ以前が薄れているだけなのかも知れなかったが・・・。

 と、僕がボンヤリしていたその時。

 「いったあーい!!」

 僕は反射的に立ち上がり、今は視界にいないえみるの姿を追い求めた。・・・声のした方角は、こっちか?!
 僕は走り出した。えみるの悲痛な叫びはどうやらあの岩陰から聞こえてくる。そして僕がそこに見たものは!

 「うわっ、ウニが足に刺さってる?!」

 見ればえみるの足の裏に、針の部分だけでも長さ20cmはありそうな黒いウニがくっついている。

 「ふええええーん、痛いよおー。」

 そりゃ痛いだろう。
 僕は急いでえみるに近寄ると、自分の指を傷つけないように注意してそっとウニを取り除いた。うーん、少し血が出てるな・・・。
 一瞬「舌で・・・」とも思ったのだがそれにはえみるの片足を持ち上げねばならず、・・・そうするとえみる自身がアラレモナイカッコウになってしまうのでこの思考はコンマ5秒で打ち切った。
 と、取り敢えずおんぶだよな、この場合。流石に「お姫様だっこ」は恥ずかしくてできそうにないし。

 しかし、それもすぐに違った意味で失敗だったとに気が付く。
 背中に当たる二つの柔らかい感触に、必要以上に意識が集中してしまったからだ。

 (・・・高校を卒業したら、絶対にバイクの免許を取るぞ、うんうん。)

 ・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・・・・・・・アホか。

 えみるも何か思うところがあるのか、やがて僕の背中で妙に言葉少なになっていった。







 海の家で消毒をさせてもらい簡単な処置をした後、僕たちはすっかり夕方になってしまった海からの帰路についた。
 えみるの様子がそれからずっとおかしかったのも、きっとさっきの件が原因なのだろう。僕は特に気にも止めず、その日はそのまま駅で別れた。

<<(BACK) (NEXT)>>



“sentimental graffiti”はNECインターチャネル/マーカス/サイベル/コミックスの著作物です。.