95年8月の様子

 今年の夏、日本は異常に暑かったと聞き、遠いパナマで「パナマの気持ちがわかったかー!」と一人喜んでいた私ですが、その後、大雨やら土砂崩れやら水不足やらで大変だそうで農作物への影響を心配しています。

 8月はいろいろとショッキングなことがありました。5つほど紹介します。

  ショック1 労働者のデモ

 7月号でも書きましたが、8月4日のデモは、投石・火炎ビンVS催涙弾だけでおさまらず、ピストルの撃ち合いで死者が4名でました。いつも買い物で通る道に撃たれた人が倒れているニュースを見て、「私たちは危険なところにいるのね。」と納得してしまいました。

 刑務所に入れられた人が300 人ということですが、8月7日には、奥さんたちが「夫は無実だ、出してくれー。」とデモを起こし、テレビに向かって泣きながら訴えていました。デモの原因は労働法の改悪だそうで、アメリカ領の返還が近づくにつれまだまだ問題が起こりそうです。

 連日のデモ騒ぎに、「こんな国について来たのは失敗だったワ 。」と一言。

  ショック2 大使館からの外出禁止命令

 デモはその後、小さないざこざが時々起きるくらいで、街は静かになりました。

 そこで、8月12、13日に家族旅行第2弾&結婚記念日(いつもは なにもしないんだけどね)でコロナドとエルバジェ(朝市が有名)へ行くことにしました。前の日から入念に準備し、この日のために買った心理と侑理のラケットも持ちました。「さあ、出かけよう!」とカバンを持ったその時、『ルルルルル‥』と電話のベルがなり、「大使館から外出禁止命令が出たので旅行は取り止めてくれ。」との校長命令。デモの警戒で警察が手薄になっているのに乗じて強盗事件が多発しているからということでした。ただでさえ短い夏休みなのに、23日間のうち12日間は外出禁止。

 ショックで催涙弾より涙が出そうでした。

  ショック3 ケニア・ナイロビ日本人学校 校長殺人事件 

 ナイロビ日本人学校の門のところで学校長が強盗に射殺されたニュースは、パナマでもあっと言う間に広がりました。4WDの自動車目当ての強盗だったそうです。

 パナマ日本人学校は警備員が、ショットガンを持って24時間警備をしていますが、学校のまわりがコンクリートのへいでなく金網になっている、来校者をチェックする門がない、駐車場が道路とつながっているなど、中南米では考えられないほど『平和』悪く言えば『警備が甘い』と言われているそうです。ちょっと心配です。

  ショック4 駐車場であて逃げ事件 

 パナマ日本人学校は私立学校なので授業料を支払わなければなりません。2人分で1ヶ月$440 を東京三菱銀行に納めにいった時のことです。支払いを終えて駐車場に戻ると、心理と侑理が車の中で騒いでいます。指さす所を見てみると、車の左後ろに30センチほどのキズが2本。泥よけがこわれています。そして、今まさにぶつけたワゴン車が道路に出て行こうとしているところでした。私と主人はそのワゴン車をつかまえて駐車場に戻るように言いましたが、「何のことか分からない?」と知らんふりをして行こうとしています。しかし、心理と侑理が2人で「この車、この車!」と指さすし、他の車からもじゃまだと言われ、しぶしぶ駐車場に戻ったのでした。けれど、「こんなにオレの車にくっつけてとめたのが悪い。」とか「一番はじは車をとめる所じゃない。」とか、難くせをつけて自分の罪を認めません。そこで、とうとう警察を呼ぶことにしました。すると、「わかった。$15やるからこれで直してくれ。」と言うではありませんか。頭に来ていた私は、「15ドル?日本だったら 200ドルはかかるよ。」と言うと、びっくりして目玉がこ〜んなにとび出しました。結局、間に警察が入って修理代を全額むこうが払うことになりました。が、パナマでは修理代は$30〜60くらいだそうで、「初めに謝れば許してやったのに。」と思いました。相手のワゴン車はフロントガラスは割れているし、バンパーはブリキで作ったボロ車だったのです。 

 しかし、この話はまだ続きがあって、修理工場で会う約束をしたのに、とうとう1時間待ってもぶつけたヤツは現れません。「くそ〜、あの時$15だけでももらっときゃよかった。」と思ったのでした。やっぱりパナマ人にはかないません。 

  ショック5 子供の万引き目撃 

 パナマにも新潟の「蔦屋書店」のような雑貨をたくさんおいてある店があります。ただ、パナマの場合、本を買う人は全人口の200 万人のうち約1万人、つまり、200 人に一人ほどしかいないことになり、本といってもアメリカ、メキシコ、スペインの週刊、月刊誌の類が少々並べてあるくらいで、書店というものはありません。このお店はもとは薬屋なのですが、文房具、おもちゃ、調理器具、おみやげ、アクセサリー、お菓子まで、実に様々な物を売っています。

 そこへ出かけて行った時のこと、主人と離れてシャンプーを探していると、何やら隣の通路でガサゴソ…のぞいてみると小学4,5年くらいの男の子が4人。パンツの中にヘアトニックやら化粧品やらを次々とつっこんでいるではありませんか。私が見ただけでも1人5〜6本はパンツに入れていたので、4人で20本以上は万引きしたことになります。しかも、私が「あっ」と言ってじ〜っと見ていると、そそくさと逃げだすその素早さにも驚くばかり。私が主人に「どうしよう、店の人に知らせたほうがいい?」と話しているうちに影も形もなくなっていました。しかし、パンツの中にガラスビンを5本も6本も入れて、よくあんなに素早く誰にも見つからずに逃げていくものだと変なところに感心してしまいました。いつもそうやって生活するお金を得ているのかとパナマの将来がちょっと心配になりました。 

 子供たちの姿を見ていると、ビラビラの服を来てメイドにわがままを言っている子もいれば、はだしで道路でお金をもらっている子もいます。パナマは貧富の差が大きすぎる国です。 

  パナマの教育 

 さて、パナマの子供の様子や、文字を読み書きできない人が少なくないという話がでてきたところで、パナマの教育についてお知らせしようと思います。

 パナマでは、小学校(6〜11才)までが義務教育で98%の子供が小学校だけは行っています。スーパーで働いている子は中学生が多いのですが、小学生でも学校が終わってから働いているようです。午前と午後の2部制になっているので、午前中に働く子もいます。

 小学校は公立と私立があり、私立へはお金持ちの子供たちが通い、スペイン語と英語を両方使えるよう、スペイン語で算数の勉強をしたり、英語で理科の勉強をしたり、いろいろと工夫されているようです。驚いたのは、小学校の先生は高校を卒業すれば誰でもなれるとういうことで、パナマ日本人学校と交流のあるエピスコパル校(私立)では、校長、教頭はじめ先生方は全員女性。給料が安いので男は「やってらんないぜ。」ということらしいです。中学校から先生になるには大学卒業の資格が必要になりますが、やはりほとんど男性が先生になることはありません。授業はほとんど教材がなく、「ドラえもん」の先生がやっているように教科書の問題を黒板に書いては「○○君、やってごらん。」という形が普通です。部活動も、会議も、研究会もなく、授業が終われば先生方は他の学校をかけもちしたり、家庭教師のアルバイトに出かけていきます。

 しかし、エピスコパル校のベテランおばさま先生方は非常に教育熱心で日本人学校へ来た時には、「どうして日本の子は算数がよくできるのか?」「日本では分数をどうやって教えるのか?」など、一生懸命に質問していったそうです。主人が日本から持ってきた『分数電卓』を見せると、びっくりしてこ〜んなに目玉がとび出し、「日本の子供はみんなこんな物を持っているのか。」と聞くので、主人はつい「ほとんどの子供が使っている。」と言ってしまったそうです。日本の子供が頭がいいのは電卓のせいと思われたかもしれません。 

  主人について 

 朝から夜遅くまで日本人学校に勤務している主人は、パナマに住む日本人の中で最もパナマから隔離された日本人と言えるでしょう。パナマ人と話す機会もほとんどなく、4ヶ月を過ごしてきましたが、主人なりにパナマについて考えているようです。 

  その1 窓ふきにいさんに対抗するゾ

 信号で止まったとたん、サーッと現れて車のフロントガラスを洗って¢25をうばっていく『窓ふきにいさん』のことは7月号で紹介しましたが、主人はなんとかお金を取られない方法はないかと知恵をしぼりました。しかし、窓ふきにいさんは手ごわい相手です。特に日本人と見るや、絶対の自信を持ってこちらへやってきます。 

1 ズルズルと車を前進させ窓をふけないようにする。

2 ワイパーを動かし、窓をふけないようにする。

3 窓をふいてもらってもお金をやらずに走り去る。
 

1 成功率10% このくらいじゃ窓ふきにいさんは、あきらめません。

2 成功率80% しかし、ワイパーをこわされた人も 多く、危険度も高い。

3 成功率? 危険度90%こわくて絶対できない。

 

 しかし、主人の考えた究極の方法は 

 変質者のまねをして窓ふきにいさんを追っ払う、という方法です。ニタ〜ッと笑えば 完ぺきです。 

 ただ今、変質者の顔の特訓中ですが、「わっ気持ち悪〜い。近づきたくな〜い。」という感じが良く出ていて、成功率はけっこう高いと思います。 

 この話には続きがあって、いざ、窓ふきにいさんが来たので変質者の顔をためそうとしたところ、つい教師という意識が先に立ってしまい、思い切り『コラ〜ッ!』とどなりつけてしまいました。窓ふきにいさんは、あっと言う間に20メートルくらいとんで逃げたそうで、日本語の『コラ〜ッ!』の力もすごいものです。 

  その2 レディーファーストとは 

 スーパーで買い物をした時のことです。スーパーのレジはいつも混んでいて会計するのに30分くらいかかるのがパナマです。これは気の短い日本人には本当に苦痛です。

 ピッ、ピッと光を当てるだけのポスレジなのに遅いのは、同じ物を10こ買っても1こずつピッ、ピッとの〜んびりやっているからです。それに、レジを打ち間違えると主任を呼び、値段がでないと主任を呼び、カードで払う人がいると主任を呼び、小切手で払う人がいると主任を呼び、50$札を出す人がいると主任を呼び、いちいち確認するので、そりゃあもう“イライラ”です。

 あと1人でやっと主人の番という時、中年女性が「私が並んでいたのよ、どきなさいよ。」と割り込んできました。まわりはみんな女性なのでゆずってくれないと思い、主人がたまたま男性だったので目をつけたのでした。主人は「どうしてあんなずうずうしいおばさんにまでレディーファーストしてやらなきゃなんないんだ?」とおこっていますが、私はいつも男性にドアを開けてもらって、とてもいい気分です。

 

NOTICIAS  

8月1(火)〜3日(木)

 家族旅行第1弾、コンタドーラ島に行きました。ゴルフ、テニス、プール、つり、バイクを楽しみました。

8月6日(日)

 主人が3J会のゴルフ大会に出場しました。8月のゴルフ大会は、みんな旅行でいないので主人は日本人学校の代表です。参加者はたった8人で主人はみごとブービー賞。おまけに成績が基準にいかず、$5の罰金。 

8月7日(月)

 日本からの医師団が派遣され、日本人学校の教室は内科、外科、小児科、整形外科などの診療室になりました。医療技術の劣る中南米の国々を夏休みの間にまわって診察(といってもけんさのきかいもないので もんしんだけですが )してくれます。心理の耳は良くなったと思っていたのですが、甘くみないでちゃんと検査をしてもらうよう注意を受けました。あてなはちょっと貧血っぽいということでした。 

 心理と侑理の歯の定期検診でした。先生が突然侑理の歯をけずり始めたので、『パナマの歯医者で永久歯をまちがって抜かれた』という子の話を思い出して、ハラハラしていると、歯並びが悪くならないよう、歯のすき間を大きくしたということでホッとしました。パナマは「歯並びについてはちょっとうるさいよ」という感じで、大人でも矯正している人が少なくありません。みんな歯並びがきれいです。 

8月13日(日)

 パナマ運河はたくさんの水門があり、そこに水を貯めたり、減らしたりして船を通します。一番遠い「ガツン水門」で初めて船が通る様子を見ることができました。通った船は米軍の潜水艦。4そうのマシンガンつきタグボートに守られて水門を通っていきました。ガツン水門へ行く途中、モルフォ蝶が飛び、帰りに近くの川でつりをしようとしたら、イグアナが道路を横切り、つりを始めれば目の前でワニが魚を食べてゆうゆうと泳いでいくという、まさにジャングルを満喫した一日でした。つりの成果はなまず1匹でしたが、日本では見られないものをたくさん見ることができました。  

8月19日(土)

 主人、心理、侑理の3人でタボガ島へ行きました。小さな遊覧船に1時間半も乗るのがいやで、私とあてなは留守番です。おみやげにたくさん魚をつってきましたが、あやしいシマシマがあり、どうも食べられる魚ではなさそうでした。 

8月21日(月)

 始業式でした。まだ日本やいろいろな国へ旅行に行っている子も多く、全員そろいません。日本より2週間も早い始業式に心理も侑理も残念そうでした。(しゅじんも ) もちろん、前日に必死で宿題を仕上げたことはいうまでもありません。 

8月27日(日)

 エルバジェへ行きました。夏休み中に行けなかった朝市にやっと行くことができました。片道 130kmの道のりは遠かったけれど、蘭の花が日本の10分の1ほどの値段で売っていました。高地で涼しいはずのエルバジェは、なぜかこの日はものすごく暑くて、帰りにヤシの実ジュースを飲みました。 

8月29日(火)

 パナマの公立小学校、バルデス校で交流学習がありました。エリート私立のエピスコパル校と違い、日本人学校の子供と一緒の授業をすることが難しいということで、歌や踊りの発表会になりました。こういう時、日本人って恥ずかしがって歌ったり踊ったりできないのがとても残念でした。 


◎ 今月は少し暗い事件が多く、この手紙もシリアスになってしまいました。けれど、 今日この手紙を書きながら『アオスジアゲハ』の大群がアパートのまわりを飛んでい るのを見ていると、「やっぱパナマっていいね〜。」という気分になってしまったの でした。