Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第1000夜

へば、まず



 さて、今週は『とっさの方言』。2012 年刊でちょっと前の本。
 先週の『みやざきボキャブラ BOOK やっちょっど宮崎人』もそうだったが、どういう趣旨の本だか最後まで読まないと分からない。
 これは複数の書き手が自分の方言について書いた雑誌連載をまとめたもの。「とっさの方言」という表現だけでわかる、という判断だったのかもしれないが、すべての記事が「とっさに口をついて出てくる方言」だけでまとめられているわけではないので、ちょっと不親切、という印象は免れない。ただし、小説家・劇作家など名手によるものなので、どれも読んでて面白い。

 やはり他の地域に行って苦労した話が多い。
 梨屋アリエ (栃木) はで「わたしのニホンゴが通じてない!」と思い、「方言は (日本全国どこに行っても、多少のすれ違いこそあれ) そこそこ通じるもの」だと思っていた大島真寿美 (愛知) は立ちすくみ。
 つい「うるかす」を口にしてしまった穂高明 (宮城) はそれを援護してくれた函館出身の友人への感謝を忘れず、坂井希久子 (和歌山) は「方言は剣呑なもの」と言う。
 九州から岐阜に引っ越した栗田有起 (岐阜) は、疲れたときの「えらい」を耳にし、「疲れてるんじゃなくてえらいんだ」と感じることで溶け込むきっかけをつかんだ。

「方言は剣呑なもの」という表現はなかなか当を得ている。この文章自体は面白おかしく書かれているが、「自分の感覚・感情に近い言葉」だと考えると、標準語に翻訳する場合よりも鋭利なものになる、ということも十分に考えられる。

 一方で、自分が住んでいる場所によそから引っ越してくる人もいる。
 言葉遣いのため溶け込めなかった東京からの転校生に、つい、中学校は楽しかったか、と聞いてしまったが、彼女は標準語で「つまんない」と答えた、という吉田修一 (長崎) のエピソードなどはちょっと胸が痛い。

 自分の方言に自信満々だった人もいる。
「木馬」のイントネーションが自分と違うため、「機動戦士ガンダム」を見て、「シャア、なまってんなぁ」と思った、という辻村深月 (山梨) の話などは豪快である。

 意外だったのは、各地域に言語的な「島」ができるケース。
「言語島」で Wikipedia を見てみると、地理的に隔絶しているとか、大量移住によるものとかがあげられているが、この本に載っていたのはどちらも「移住系」である。ただし、大量というのとは違う。
 一つは、長野のペンション村。壁井ユカコ (長野) による文章。
 ここには、「長野の高原でペンションを経営すること」を夢とし、それを実現するために移住してきた人が集まってくるので、相対的に地元民の割合が低い。その結果、土地の言葉を使う大人はほとんどいないのだそうだ。
 もう一つは学生寮。これも当然ながら、その地域の人はほとんどいない。千松信也 (京都) の話。
 俺も秋田県出身者の寮にいたことがあるが、寮生は県内各地域から集まって来るので、基本的に「秋田弁」ではあるものの、人によって少しずつ違う、というのは確かにあった。

 姫野カオルコ (喜兵衛)による、京都と滋賀の関係も、当人の筆致もあって、なかなか面白い。
 俺が書いたのではないので誤解はしないでほしいのだが、「京都のお妾さん」などという表現もあり、その微妙な関係がうかがわれる。
「京滋 (けいじ)」という言葉は初めて聞いた。奈良まで含めた「京滋奈」という言い方もあるらしい。

 方言に対して否定的な人もやはりいるようで、近藤史恵 (大阪) は読者から、「女性の登場人物に大阪弁を喋らせないでください。魅力が半減します」と言われたことがあるらしい。
 まぁ、その作品や登場人物のキャラにもよるのだろうけど、そんなに嫌わんでも、と方言話者としては思う。

 この本は俚言形よりもエピソードを楽しむべきだと思うのだが、やはり興味深い表現はいくつもあったので、手短に紹介しておく。
・「富良野」は、我々は「ふらの」と発音するが、地元では「らの」らしい。これ、ネットで探すと記事がいくつも見つかる。こういう例は、前に秋田県の地名でも触れたことがあるが、あんまり大々的に取り上げられることはない。富良野はそれだけ関心を集めている地域ってことなんだろう。
・栃木県小山市では、「おじいちゃん」は「祖父」ではなく「よその老人」を指す。「祖父」は「うちのおじちゃん」。
・「いとはん」は商家の長女、「なかんちゃん」が次女、「こいさん」は末っ子。
・和歌山では、限定を示す「しか」を肯定的なニュアンスでも使う。したがって、複数あるものから一つを選び「これが一番。ほかはちょっと」という場合、「そっちしかええ」という言い方ができる。
・千葉・茨城では、「あざ」は、生まれたときからあるもので、転んだりしてできたものは「あおなじみ」と言う。
・岐阜では、ボタンを留めることを「ボタンをかう」と言う。秋田など東北での「鍵を閂う」と発想は同じじゃないだろうか、という気がする。

 国内だけでなく、外国語にも触れている。方言に興味がある人には必読の本ではないだろうか。というより、方言と人の考え方・感じ方に、か。自方言ラブな人には向かないかもしれない。



 今回で、「Shuno の方言千夜一夜」は 1,001 回を迎えた。
 満願成就、ということで連載終了とする。
 方言・言語への興味を失ったわけではないので、「これは書きたい!」というのが出て来たら突発的に顔を出すかもしれないが、出さないかもしれない。
 他愛もない寝言のような文章に、今まで付き合ってくださった方、時々見てくださった方、たまたま来てみたら今日でおしまいだったという方、みなさんに感謝申し上げる。
 へば、まず



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