Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第685夜

正月と酒と話し言葉



 医者に通って制酸剤を飲むようになっておよそ一年半、おかげで時々チクチクするくらいで特に大きな問題はない状態が続いている。
 ただ、酒を飲むと翌日、胃が重かったりすることはある。10 月に風邪を引いて、なんだかんだで三週間、酒を飲まなかったことがあるのだが、そのときは好調だったから、やっぱり酒はよくないんだろうね。
 そんな状態だから、正月とかお盆とかは鬼門である。人に心配されない程度に量を抑えてやりすごす感じ。ウィスキーや焼酎なんかを飲む場合も、ストレートやロックは避けるようにしている。これは量が少なくとも胃に来るから。お湯割りにすると割と穏やかな様である。

 さて、その焼酎だが。
 芋焼酎で「一刻者」というのがある。これは「いっこもん」と読むのだが、鹿児島・熊本のあたりで「頑固者」という意味だそうである。何が頑固かと言うと、通常、芋焼酎であっても麹そのものは米で作るものらしいのだが、これは麹も薯で作っている。つまり、芋しか使ってないのだそうだ。
 それはいいとして、宝酒造のオフィシャル サイトに行くと、こう書いてある:
   “一刻者(いっこもん)”とは、南九州の話し言葉で“頑固者”のこと。
 日本語にクォーテーション マークを使うのはどうかと思っているのだが、問題はそこではなく、なぜ「方言」ではなく「話し言葉」なのか、ということ。
 昨今、すでに「方言」はさほど色がついた言葉ではないはずで、ここで「南九州の方言」と言ったところでさして問題はないと思うのだが。何か理由があって「話し言葉」にしたのではないか、という気がする。
 同じ宝酒造の「知心剣」に行くと:
   「しらしんけん」とは大分の方言で「一生懸命」のこと。
 とある。一貫性がない、と言ってしまえばそれまでだが、一刻者の「話し言葉」にはどういう理由があったのだろう。

 ここ数年、ずっと発泡酒である。
 一時、DraftOne にはまっていた。すっきりしていて好きなのだが、そろそろ別のも飲もうかな、と思っていたところにコクの時間金麦が登場して、いささかの後ろめたさを感じながらも、乗り換えてしまった。
 地ビールは飲んでいない。高いんだもん。贅沢してみようかな、と思うとヱビスにしちゃうしなぁ。
 ところが最近は焼酎も混じってくるようになった。理由は一つで、寒くなったから。梅割りにするので、安いのを飲んでいる。高い焼酎は、味や香りに主張があって梅割りにはむかない。
 それにしても特に今年の冬が厳しいわけではないのに。年とったかねぇ。

 飲酒運転は、一応は減っているようだが、なくならない。俺には、なんでそんなことができるのか理解できない。自分にそこまでの自信が持てるという点については、ある意味、うらやましい。俺なんか、素面でも十分に不安だ。
 暮に JA 共済ネイガーを使って反飲酒運転キャンペーンをしていて、新聞に広告マンガが載っていた。
 だじゃく組合が、宴会の後、車を運転して帰ろうとするのをネイガーが豪石する、という話。車を運転しようとするのがカマドキャシであるのが実にはまっている。
かまどきゃし」というのは、既に何度も紹介している通り、破産して家をつぶしてしまうことで、自動車事故を扱うにはぴったりの配役。
 そんなこと言うならお前の車で送れ、とカマドキャシが逆ギレすると、ネイガーが「オラも飲んでしまった!」と答えてオチる。ネイガーの横ではジオンが瓢箪酒をあおっている。
 キャンペーンとしては、マイが「ハンドルキーパー (飲まないで仲間を送り届ける身近なヒーロー)」だった、というところで閉じる。

 正月の寄席中継で、小朝が「親子酒」をやっていた。
 これは、揃って飲兵衛の親子が一念発起して断酒するのだが、やっぱり飲んでしまって、という噺。
 ほじねぇ人はどこまでもほじねぇってことなのかもしれない。
 尤も、俺はどうやらアルコール分解に支障のない体質のようだから、胃が弱くなかったらそんな状態になってたかもしれない、とは思うのだが。




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