Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第417夜

祭りとミカン



「する祭りはもう見せる祭りになったのか」と歌ったのは友川かずき である。
 今回は『日本語学』の特集、「祭りのことば」から。

 まずは、諏訪の御柱祭り
 7 年に一度、と紹介されることが多いが、行われるのは寅年と申年。つまり 6 年に一度。開催した年を既に 1 と数える、ということらしい。
 これは単に柱を引っ張るのではなくて、祭りそのものは数日続き、その前後にも準備と後始末 (事務的な後始末ではなく、儀式としての) がある大事業である。出費と手間が多く、祭りの年には新築・改築や結婚式を避ける傾向があるんだとか。

 徳島の阿波踊り
 それぞれのグループを、今は「連」というが、明治末期からのことで、それ以前は「組」だったそうだ。
「踊る阿呆に見る阿呆」は 19 世紀半ばにすでにあった。
 このフレーズが最も有名だが、ほかにも多数ある。ただ、近年の傾向としては、自分の連の名前を織り込むことが多いそうだ。
 演出関連の名称も多く紹介されている。「差し足」「ため」などの踊り方、「吉野川 (隊列を作って行進すること)」などの型。
 これに「スロー」はいいとして、「ウェストサイド (男女が東西に分かれて左右対称の位置を取って踊る)」「UW (踊り手の配置が‘U’になったり‘W’になったりする)」などの外来語が入っているのはなかなかに興味深い。

 福岡。
 これは祭りではないが、年配の人の間でなまじ東京弁を使おうとすると「行かず東京」「漢言者 (かんごんもん)」などと行って仲間はずれにされることがあるそうだ。後者の表現は面白い。
「どんたく」がオランダ語の日曜日“Zontag”(英語の“Sunday”) から来たものであることは有名かと思うが、「美しい日本語」教信者の皆さんは、これについてはどう思われるだろうか。外来語だよ。定着したのはいい、とか言う? 定着したかどうかって、誰が何を基準に判断するの?

ねぶた」「ねぷた」が、「睡魔」を払う「ねぶり流し」の行事から来たものであることも有名だと思うが、「竿燈」も実は「ねぶり流し」である。秋田県内には「ねぶり流し」と呼ばれる祭りは多いが、そのほとんどが、最後に燈篭などを川に流す。「竿燈」が例外だと考えた方が近い。
 尤も、これは今回まで知らなかったのだが、「竿燈」の先についている御幣を、祭りの翌朝、川に流す、という儀式はあるのだそうだ。オフィシャル サイトにも記述が見当たらない。おそらく、知ってる人はかなり少ないと思われる。

 どの祭りも、ショー化されている。
 竿燈・ねぶた・七夕が一日ずつずらした日程で行われるのも、観光客の便宜を図ったものである。
 阿波踊りの囃子詞 (はやしことば) に連の名前が織り込まれるのもその一つ。尤も、ニュースで、両側に観覧席のある場所を連が通っていくのを見たことがあると思うが、あれなんかはショー以外の何者でもない。
 そもそも「竿燈」という名前自体、明治時代に新しく作られたもの。「阿波踊り」は昭和初期だという。
「竿燈」という単語はやっと 120 年の新しい単語だとも言えるが、見せるための祭りへの変容は 120 年前には既に始まっていた、ということも言える。
 祭りのショー化を嘆くのは、何をいまさら、である。

 活力というのは変化である。
 逆を考えればわかる。活力がなければ変化は起こらない。変化を拒むことは活力を抑え込む、ということである。
 もちろん、維持する努力という形の活力もあると思う。職人気質の人の中には、伝えられたものをあるがままに伝えるのが自分の役目だ、ということを言う人もいる。それは肯定するが、それにはものすごい努力と意志が必要だ。それが実践できる人だから「職人」の域に達することができるのだろう。
 だが、世の中の多くの人はそれを保持できない。変化しない、ということは、どこも変化しない、ということだからだ。
 別の例えをする。たとえば、ミカン箱の中に腐ったミカンがあるかどうかを証明するのは簡単である。腐ったミカンを一つ取り出して見せればいい。たとえ箱の中に 100 個あったとしても、1 個見つかればいい。だが、ないことを証明するには、すべてのミカンを調べなければならない。
 つまり、変化を押さえ込むにはあらゆる変化を否定しなければならない。人を動かしてはならないし、年を取らせてもならない。新しい人を入れるなど言語道断。常に 100 個を検査し続けなければならないのである。変化を拒む人は、その覚悟があるんだろうか。
 人間の営みは本質的に変容する。そこに基盤をおかない限り、方言も祭りも、単に衰退するのだ――という従来の主張を繰り返して終わる。




補足
 いつも感想をくれたり間違いを指摘したりしてくれる DYO 氏 (なぜか今、職場で俺の隣に座っているのだが) から、竿燈は本来、神事ではない、という話を聞いた。
 御幣は、神が宿る場所であるので、それを川に流すのと、ほかの「ねぶり流し」で人形などを流すのとは事情が違うらしい。
 また、御幣流し自体が、昭和になってから行われるようになったものであって、ほかの「ねぶり流し」と並べるべきではない、とのことである。
 その辺は、上米町一丁目竿燈まつりの起源と歴史に詳しい。




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