Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第234夜

キシェラック・ヤイラック



 検索エンジン Yahoo! を「ヤッホー」と呼ぶ人が後を絶たないわけだが、ここのプロバイダ Panasonic Hi-ho を「ヒーホ」と呼ぶ同僚がいて扱いに困っている。
 前者はガリバーを読んだことがあれば、後者はディズニー映画を見たことがあれば見当がつくはずなのだが。まぁ、教養の問題である。小人達の歌なんか、映画を見てなくとも、どっかで聞いたことがあるだろうに。
ラピュタ」なんてプロバイダもある。ネットワークの世界はある種のユートピアというか幻想社会を思い起こさせるのか、ガリバーからの借用が少なからず見られるような気がする。一説によれば「からっぽの洞窟」らしいのだが。
 話が逸れた。今回は「ヤッホー」の話。

 間投詞と方言といえば、「おいこら」であろう。
 一応、鹿児島弁ということになっている。
 これは、明治維新にまで遡る話で、政府そのものが薩長だから、警察力の中枢を薩摩関係者が担うのも自然な話。したがって、警察や軍隊で使われる言葉には鹿児島を中心に西日本方言が残っていることが多い、というわけ。
自分は○○であります」というのも西日本の表現である。「〜であります」もそうなのだが、会話の主題となっている人物を「自分」と表現するのは西日本方言の特徴だ。「自分は○○であります」が「会話」かどうか、という問題はあるが。
 となると「貴様は一体、何をやっとるのか!」の「か」の使い方もその中に入るのかな、という気がしてくる。この台詞を小太りの人に言わせると、西郷隆盛を連想できてしまうのは、ステロタイプに毒されているからか。
 ただし、警察言葉が薩摩、というのには異論もあるらしい。証拠の文献を挙げて反論している文章を見た記憶があるが、詳細は忘れてしまった。

「か」で思い出したが、「なんでそういうことをするかなー」というのもすっかり定着した。
 今だに「の」が欠落している、という感じをぬぐえないのだが、これはどこから出てきた表現なんだろう。俺個人はお笑い番組で聞いたのが初めてだと思うのだが。

 岩手の「じゃ」というのも特徴的か。
「そうなんじゃ」の「じゃ」は有名かと思うが、そうではなくて、相手の話に相槌を打つときに「じゃ」というらしい。話に強い共感を覚える場合「じゃ、じゃ」と並んだりするのだそうだ。

 秋田弁で「おう」というのがある。どっちかと言うと「」と書きたいくらいの感じだが。
 全国共通語のレベルでは、「おう」は応答の間投詞である。
 最近、気が付いたのが、秋田ではこれは呼びかけだ。いきなり背後から「おぅ、何やってら」なんて言われたりする。つまり、役割としては「おい」なんである。
「お」だと、驚きの間投詞になってしまうが、この「おぅ」はそうではない。秋田では両立する。シラビーム方言ゆえ、ということになるか。
 何度か、秋田弁では敬語体系が貧弱である、と書いてきた。この「おぅ」も、大して親しくなくても使われる。「おい」と同じ役割とは言いながら、それほど高圧的な言葉ではない (そういう範囲もカバーしている、というのが正しい)。
 が、音が音だから、知らない人が「おぅ」と言われたらと「む」という感じはするだろう。人を指すときも「 (あんた)」だから、よそから来た人がこういう言葉遣いをされたとき、秋田は恐い、とかいう印象をもってしまうのかもしれない。

 前にも書いたような記憶があるが、間投詞の音には必然性が無い。とっさに出てくる言葉だから、複雑な構成にはならない、という傾向があるくらいだ。*1
 だから「じゃ」が別れの挨拶だったり相槌だったり、「おぅ」が応答だったり呼びかけだったりするわけである。
「そろそろ出かけるよ」「おぅ」
「実は、こういう秘密が隠されているんです」「おー」
「おぉ? うまく動かないな」
 みたいに、お役人様が決めたルールに従うと全部「おお」になってしまうような、イントネーションによって全く異なる意味というのもある。これは、その言語に慣れないと使いこなせない。使えないどころか理解できない。
 つまり間投詞というのは、口を突いて出てくるという極めて原始的な言語行動であり、それゆえに却って、すぐれて文化的な言語現象である、というわけ*2。母語以外の言葉でケンカできるようになったら一人前、というのはそういう意味でもある。




*1
“Jesus Christ!”なんて、我々の感覚から言ったらかなり長いと思うのだが。“Oh, my”あたりになると、音そのものはともかく、背景は割と複雑になる。


*2
 ドイツ語の「はい」は“ja(ヤー)”である。難しい交渉事の際に、日本人が提案を拒否しようとして「いやぁ」と言ったら誤解された、なんてことはありそうな気がする。


*3
 タイトルは、小椋佳の歌。20 年以上前の NHK アニメ「マルコ・ポーロの冒険」の挿入歌である。
 歌詞に「秋から冬を羊追い追い キシェラック キシェラック」という一説がある。
 キシェラックは遊牧民の冬のテント基地、ヤイラックは夏。




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