本の紹介 詩歌の森へ



芳賀 徹著

中公新書

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  目 次

1. 本との出会い
2. 本の概要
3. 本の目次
4. 著者紹介
5. 五月のなかへ死にゆく母
6. あとがき
7. 読後感

1. 本との出会い
 「あとがき」にもあるように、この本は日経新聞の日曜版に連載された「詩歌の森へ」を集めたものです。この場所は平日は「交遊抄」の載っているところで、今は高橋順子さんが「うたはめぐる」を連載しています。
 昨秋に中公新書にまとめられたことを知り、早速読み始めました。

2.本の概要
 一篇の詩が、苦境から脱出するきっかけになつたり、人情の奥行きをかいま見せたりすることは、誰しも経験するだろう。そんな、心に働きかけてくる詩を知れば知るほど、人生は豊かになる。本書は、記紀万葉のいにしえから近現代までの、日本語ならではの美しい言葉の数々を紹介するエッセイである。古今東西の文学・藝術に精通した著者が、みずからの体験を回想しつつ、四季折々の詩歌味読のコツを伝授する。

3. 本の目次
T
春の涙 5
花の散ったあと 7
花にまさりし君 9
蕪村のアンニュイ 11
いざくちづけむ君が面 14
波郷のプラタナス 16
夕ぐれの立原道造 18
五月のなかへ死にゆく母 20
ゴッホの糸杉と短歌 22
みじか夜の蕪村 25
うの花のにほふ垣根 27
薄薔薇色の夕べ 29

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野なかの薔薇 31
レモンの木は花さき 34
ひるがへしたる旗は愛 36
山川を越える恋びと 38
雲の峯から月の山へ 41
夏の入り日と海と川 43
白砂青松の歌 45
暗夜に眠る赤とんぼ 47
夜を聴き、夜を視る 49
たわゝの房の青葡萄 51
韓国の空の赤とんぼ 54
詩人神武天皇 56
四畳半の心理学 58
貧しさと月光 60
秋の空は紅に悲しめる 63
夢の上にかかる銀河 65
火の色の海の落日 67
ハイランドの桃源郷 69
岩倉使節のハイランド 71
夕空はれて 73
星の林のさやかなる 75
夜の底からの歌 77
愛する者への挽歌 80
若狭湾幻想曲 83
小雪ちるタベ 86
わが小板橋 88
雪のなかの抱擁 91

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U
さみどりの新春 95
柱をたよりの冬寵り 98
冬寵りの名人 100
夜色楼台雪万家 103
雪のなかの少年 105
一穂青燈万古心 108
父にておはせし人 111
春は名のみの 113
世紀末ウィーンの早春 116
校塔に舞う鳩 119
公方さまの春の夢 121
桃の花咲く谷 123
鶏鳴き犬吠える里 125
「春のうらら」百周年 127
時は春、日は朝 129
野川をこえる蝶 132
ぶらんこに乗る女たち 135
鬼女のスイング 137
うれしき人の息の香 140
夕ぐれの時はよい時 143
才媛美子皇后 145
老いをなげく皇后 147
江戸郊外の桃源郷 149

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「鮭」の画家の今様うた 151
世紀末の人魚の歌 154
神様が草花を染める時 156
木蔭の腰掛け 158
離れてゆく魂のうた 160
夏の夜明けの二人 163
水草清き所 165
夏の日の間適 167
唐もろこしの熟れる頃 170
夕雲赤き夏のうた 173
夏山の騎士(一) 175
夏山の騎士(二) 178
さらば、光の夏よ 181
月光のなかの女 183
お茶の水の夜の秋 185
音読する少年少女 187
藁を打つ唄 189
地水火風にまみれる 191
あかしやの金と赤 193
生命ある色 195
落葉ふむ足音 197
魂のうるほひ  200
水の上に水のひびき 202
互ひに影を水鏡 205
中空になすな恋 207
冬来たる 210
活発なるは飛鳥の如く 223
偉大なるマテリヤリスト 225
歳晩の比較文学 227

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V
月も曇らぬ日の本や 223
少し春ある心地して 225
冬の夜の星と月 227
雪の夜の炭火の色 229
キックキックトントン 232
雪山に入る日 234
白梅の夜明け 237
春もさむき春 239
「うゝ」と飯食う 241
京の蕪村、江戸の源内 244
春は蘭学 246
文明の庫 248
薄紫の海辺の夜明け 250
光のどけきわらべたち 252
花まみれの風流 254
春昼読書の美青年 257
菜の花畠の暮景 259
海を渡る桃 262
雲雀鳴く日の感傷 264
異都憧憬 266
夜のなかの土蔵 268
少年の大きな秘密 271

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女たちの革命の歌 274
まことの心を歌う人 276
一山行盡 278
昔ゆかしき京の舞 282
百で買った馬 283
七日の御槍 285
蛍火の不思議 288
「物のにほひ」の共同体 290
百合の佗のおもかげ 293
鎮魂の名曲 295
高校野球を十倍愉しむ法 297
七夕の夜のあわれ 300
汗まみれの寝たわ髪 302
物干しの効用 305
入江の詩学 307
入江のいざない 309
月光の詞華集 311
うれひは清し君ゆゑに 314
江戸のホームレス 317
昭和詩人の朝鮮哀歌 320
「露の世」の回想 323
瀟湘の詩画史 326
秋のあひびき 329
秋風の色 332

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夕紅葉の歌 334
無情の木枯し 337
山鳩の声する夕暮 339
独坐大雄峯 341
朱の唇に触れよ 344
ヴェネチアの恍惚 346

あとがき 349
引用詩文著訳者索引 362

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4. 著者紹介
芳賀 徹(はが・とおる)
 1931年(昭和6年)、山形市に生まれる。
 東京大学教養学部教養学科(フランス分科)卒業。同大学院比較文学比較文化課程 修了。東京大学教養学部教授、国際日本文 化研究センター教授、大正大学教授を経て、現在、京都造形芸術大学学長。専攻、比較文学・近代日本比較文化史。文学博士。
 著書『大君の使節』(中公新書)
   『渡辺華山』(朝日選書)
   『明治維新と日本人』(講談社学術文庫)
   『平賀源内』(朝日選書)
   『與謝蕪村の小さな世界』(中央公論新社)
   『文化の往還』(福武書店)
   『絵画の領分』(朝日選書)
   『みだれ髪の系譜』(講談社学術文庫)
   『詩の国詩人の国』(筑摩書房)
   『ひびきあう詩心』(TBSブリタニカ)
   『外国人による日本論の名著』(共編・中公新書)他
 訳書 G.サンソム『西欧世界と日本』(共訳・筑摩叢書)
    D.キーン『日本人の西洋発見』(中公叢書)他

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5. 五月のなかへ死にゆく母
 大正2年5月23日、山形県南村山郡金瓶(かなかめ)村の農家で、身内の者と村人たちに見まもられながら、一人の農婦が死んだ。上山温泉に近いこの村のこの家で生まれ、育ち、妻となり母となり、めったに村から出ることもなく58年の一生を農にささげて、土に帰った。守谷いく、斎藤茂吉の実母である。
 茂吉の第一歌集『赤光』(大正2年)の有名な連作挽歌「死にたまふ母」は、この母の死を荘厳し、これをとこしえに美しくも幸福なものとする。5月のいまごろの村山盆地の南隅といえば、一年中で一番美しいとき、そしておそらく日本中で一番美しいところ。そのなかに母は死んでいったのである。
 蔵王連山からさし昇る日を浴びて、庭先には彼女が好きだったおだまきの楚々とした花が群れ咲いていた。家の中にもまわりにも、いつも青い桑の葉のかおりがただよっていた。夜となれば、田植えがすんだばかりの村中のたんぼから蛙の声が天にひびいて、鏡魂のミサ曲となって彼女の床をつつんだ。臨終の真昼には、のどの赤いつがいの燕が、土間上の梁の巣にもどっていて、死にゆく彼女を見送ってくれた。この数日の経過のあいだには、またつぎのような一こまもあった。

  春なればひかり流れてうらがなし今は野(ぬ)のべに蟆子(ぶと)も生(あ)れしか

「ひかり流れて」とは、小盆地に溢れる緑が風に波立ち、降りそそぐ光の航跡を示すさまだろう。大伴家持の「うらうらに照れる春日(はるび)に雲雀あがり情(こころ)悲しも独りしおもへば」の余響もある。山野が美しくなったこんな日にこそ、薮かげの流れのあたりにぶよ(ぶと)は一せいに発生する。少年の日、この山野をくまなく走りまわった茂吉はそのことをよく知つていた。いまそれを思い出し、ぶよに刺された跡を吸ってくれた母の唇の感触をさえ思いおこしたのだろう。
 生まれるぶよと入れ替りのようにいま五月のなかに死んでゆく母。その母の野辺送りの道には楢(なら)の若葉がかがやき、翁草が花咲き、すかんぽの花が散華となって散りこばれたのである。

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6. あとがき
 この本に収めた「詩歌の森へ」全百四十三章は、もと『日本経済新聞』の毎日曜の文化欄に連載したものである。連載は平成11年(1999年)4月4日から同13年(2001年)12月30日まで、2年9ヶ月におよんだ。その間に、このコラムと同じ紙面の連載小説は、辻井喬氏の『風の生涯』から辻原登氏の『発熱』に、そして池宮彰一郎氏の『平家』へと交替していった。
 毎回、二百字詰め原稿用紙に4枚、約八百字の小さなコラムであった。はじめは新聞社の要求どおり、タイトル分をのぞいて七百八十字ほどで収めるべく苦労したが、数回つづけるうちに八百字をさらに十字、二十字、三十字と超過することが多くなってしまった。編集局側もいつのまにかそれを容認してくれていた。新聞社側のその度量のほどをいま思いおこして厚く感謝する。
 とくに一貫して直接の担当者であった『日経』文化部の宮川匡司氏の毎回のゆきとどいた御配慮には、心からの御礼を申さずにはいられない。私が毎週半ばごろの深夜、たいがいは夜明けがたに、京都から、東京から、あるいはシドニーやパリから、手書きの原稿をファックスで送ると、やがて一日後、ときに半日後には、私がどこにいようと、校正刷りをファックスで返送してくれた。ファックスというものの有難味を痛感する毎回だったが、なによりも宮川さんは返送の際に、かならず数行、第一の読者としての批評、こまやかなコメントの類をそこにそえてくれたのである。それが嬉しくて、2年9ヶ月という私自身にとっても意外な長い連載になったとさえいえる。

「詩歌の森へ」は、はじめ私なりの日本詞華選を編めばよいのだと考えて、割合気軽に書きはじめた。自分のこれまでの読書体験や研究生活のなかでめぐりあった詩歌で、とくに好きになって愛誦している作品、あるいは日本詩歌の歴史の上でとくに面白いと思った作品をとりあげて、それに若干の評語や感想をそえればよいのだろう、と考えていた。それも、大岡信さんの『朝日』紙上の「折々のうた」のように毎日の連載で永遠につづくというような途方もないことをするわけではない。せいぜい春夏秋冬を一めぐりか一めぐり半すればよいと予定していた。

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 ところが、いよいよ「森」のなかへと足を踏み入れてみると、足も軽やかな一節の道というわけにはいかない。私自身の読詩体験のストック、あるいは研究上のレパートリーから毎回の作品を繰りだしてくるという方針にはかわりがない。だが、それらの一篇一篇が、手もとに引っぱりだしてみると、昔はじめてそれを読んだころの状況や感動の記憶とわかちがたく絡みあっている。私自身の心身の組織の一部と化しているかとさえ思われるものも多かった。蕪村でも、上田敏でも、陶淵明や佐藤春夫でも、三ヶ島葭子や斎藤茂吉や金素雲、あるいは小学唱歌、女学生唱歌、さらに「海ゆかば」でも、みなそうである。しかも、それらを口ずさみなおしてみると、過去への回想と重なりあって、たちまち現在のさまざまな想念や感情が私のなかに湧きのぼってくる。
 詩歌の働き、その力とはこういうものなのか、これほど強いものなのか、と執筆を通じてまたあらためて感じたのである。それで、その力に従う自然体をとり、それらの記憶や想いの数々を、短い各章のなかでも、無理矢理に抑制することはせずに、ある程度は自由に洩らしてゆくこととした。その結果、「詩歌の森へ」は、よきにつけ悪しきにつけ、きわめて個人的な日本詩歌の愛詞体験記というようなものになってしまった。室生犀星に『わが愛する詩人の伝記』という、白秋や朔太郎、また『四季』派の若い詩人たち(立原道造や津村信夫)との交友を回想する美しいゆたかな一冊があるが、そのような回想録ではもちろんない。といって、数行数語の註釈をつけただけの純然たる詞華集でもない。いわば一比較文学者の日本詩歌鑑賞集となったのである。
 自分の過去の体験のなかから詩歌を選びだしてきたから、どうしても近世・近代、また古代・中世の作品をとりあげることが多くなった。戦後日本の現代詩歌、とくに俳句や短歌や散文には、私が日ごろ愛誦している作者たちも少くはない。だが一歩この方角にさまよいこむと、「詩歌の森」のなかで路を失い、まさに途方に暮れそうな気がする。それで現代詩歌は、数少いいくつかの例をのぞいて、あまり触れることがなくて終ってしまった。『日本経済新聞』という大新聞の読者層を考えあわせると、現代ものは敬遠気味になったという事情も、そこにはあった。
 といって、近代までの日本古典詩歌を体系的に網羅したわけではない。たとえば中原中也や室生犀星は、京都の家でも東京の家でも、机の上に彼らの文庫版の詩集をちゃんと揃えておきながら、ついにその作を引く機を逸してしまった。古いほうでは『源氏物語』からもぜひ歌や散文を、と願いながらも、相手が大きすぎてうまくつかまえることができないでしまった。このようなとりこぼしの例は、古いほうについても新しいほうについても、まだたくさんあって、いささか名残り惜しい。

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 とりあげそこねた理由の一つには、季節とのかかわりの問題もあった。暦がまだ春のうちに「雲の峯幾つ崩れて」を挙げたり、秋になってから「花は散りてその色となく」の歌を引いたりするわけにはいかない。愛誦詩歌をとりあげようと考えていても、月に四、五回の連載分のなかで優先順位を動かしているうちに、つい季節はずれになってしまうことがあったのである。
 イギリスの詩やフランスの詩にも、もちろん、天然の四季をよんだ、とまではいわなくとも、四季とのかかわりをもつ作品は多い。本書に引いたなかでは、たとえばボードレールの「秋の歌」、ヴェルレーヌの「落葉」、ホーフマンスタールの「早春」、ブラウニソグの「時は春」などは、その典型的な例である。
 だが、それらの欧米詩とくらべてみても、日本の詩歌における季節の支配は圧倒的なものであることを、今回またあらためて感じた。俳句や和歌や漢詩はもちろんのこと、しばしば散文のなかにも四季の影と響きはおよんでいる上に、とくに月を追うての連載のなかでは、この四季への対応を重視せざるをえなかった。右に例にあげたヨーロッパ詩の場合でも、それぞれに季節と深くかかわる作だからこそ、上田敏や永井荷風は好んでこれをとりあげ、これに名訳をつけることとなったのであったかもしれない。

 私はこの連載中にもなんどか名をあげた島田謹一教授や富士川英郎教授らによって、敗戦直後のころから、詩歌、とくに日本詩歌のゆたかさと面白さに眼を開かれ、それを比較文学比較文化の観点から読解(エクスプリカシオン・ド・テクスト)することを教えられてきた。駒場時代からすでに半世紀に近く、その比較文学比較文化的な文学や歴史への接近法はいつのまにか私のものともなっていた。だからこの「詩歌の森へ」のなかには、キリシタン時代の神学書『ぎやどぺかどる』の名訳や、鴎外、敏、荷風、大学、春夫、それに金素雲にいたるまでの名詩名訳を意外にたくさんとりあげることとなったし、他の詩歌についても、どこかに比較文学比較文化風の読みや連想を試みていることが多い。
 それが、この一種の詞華選の一つの特色といえばいえよう。また福澤諭吉の文章や、久米邦武の『特命全権大使米欧回覧実記』、あるいは幕末の外交官栗本鋤雲の回想記のような、いわば硬派の文章にも、散文としての美を見いだし、それを日本近代文学の歴史の上で高く評価するというのも、私たち駒場学派の戦略であった。『枕草子』や『徒然草』はいうまでもなく、新井白石、杉田玄白、上田秋成、幸田露伴、夏目漱石などの散文のうちに、詩的夢想の深化と凝縮、あるいは文体の緊張の美を見いだし、そこから詩的なるものを釣り上げてくるというのも、私たち、あるいは私の研究と読解の手法である。この書物が「詩歌の森」を称しながら、いわゆる詩歌の域をこえて散文を選びとることが少くなかったのは、この際、このように「詩歌」の概念を押しひろげてみようとの下心があったからであり、また私がこれらの散文を詩歌と同じようにひさしく愛誦してきたからにほかならない。

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 このたび中公新書の一冊にまとめることになって、全篇を読みなおしてみると、またあらためて日本語の美しさ、それによって綴られた日本詩文の美しさとゆたかさに、感銘を覚えずにはいられなかった。日本の何千年かにわたる造形藝術の千変万化のゆたかさとその壮麗とともに、この日本語・日本詩歌の美しい映像の森とそのさやぎのひろがりのうちにこそ、日本国民、とはいわなくてもこの日本列島の住民の究極のアイデンティティはあり、日本人としての「独立自尊」の根拠はあるのだと、また強く感じた。そして、母国の文化のこの固有の美をいとおしく思い、これを誇りとする点で、私も、比較文学比較文化を専攻する国際派の一学徒でありながら、あるいはそれゆえにいっそう、一個の文化的ナショナリストであることをあらためて自覚したのである。

 本書全百四十三章を見なおしてまとめるにあたり、全章を春夏秋冬によって分類しなおすことも考えた。だが章から章への連奏があり、ときには故意に急な転奏を試みたところもあり、まれには時局への言いがかりもあったりするので、結局はもとの連載の順のままにし、ただこれを年を追ってTVVにわけるだけとした。
 連載中に、新聞社経由で、あるいは直接に私あてに、実に多くの読者の方々から励ましの言葉とともに質問や御教示のお手紙を頂戴した。この新書版でもそれらの質問にみなお答えできたわけではないが、御教示のほうはなるべく生かそうとつとめた。多くは中高年の方々であるらしいあの嬉しいお手紙の主たちに、ここで厚く御礼申しあげる。日本語に対し、日本の詩歌や現在の国語教育、音楽教育に対し、私と同じような愛着と郷愁、また懐疑や批判を抱いているらしい人々が、この列島に実はたくさん黙々として暮しておられることを知るのは、私にとってなによりも嬉しい手ごたえであり、頼もしい支えだったのである。この方々は、最近ベストセラーになったという斎藤孝氏の『声に出して読みたい日本語』(草思社)なども愛読するような人々であったろうか。たしかに「詩歌の森へ」にも、期せずして斎藤氏の著書と共鳴するようなところはあるのだから。
本書に引用の詩歌、散文の典拠については、はじめ巻末の引用詩文著訳者索引の各項に作品の初句とともに一つ一つ挙げてゆくことを考えていた。だが、それはいまになってみると、あまりにも煩瑣な手続きを要する仕事となる。それでここには、いちばん頻繁に参照した詞華選、全集本、文庫本の類の書名のみを列挙して、ささやかな感謝のしるしとする。

(詞華選などは省略)

 このたび本書を中公新書の一冊とするにあたっては、『日経』連載中からすでに新書編集部部長の松室徹氏になにかとお世話になった。私の出身中学の30年の後輩という松室氏は、まことに気の利いた才子で、編集の隅々にまでいろいろな工夫をしてくれた。同じ中公新書で私の最初の著書『大君の使節−幕末日本人の西欧体験』(昭和43年)が出てから、もうすぐ35年。問に佐伯彰一氏との共編の『外国人による日本論の名著』を入れて3冊目の新書が、こうしてさまざまな思いをこめて、後輩の手によって刊行されるというのは、まことに嬉しいことである。
平成14年(2002年)7月、京都上賀茂河畔にて   芳賀 徹

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7. 読後感
 最初、新聞の連載で読んだ時の感激を想い出しました。歌の種類(一部に散文を含む)の拡がり、関連する詩の作られた時代と場所、声に出して読むことの大切さなど、著者の広い知識が随所に見られます。
 例としては斉藤茂吉の詩「五月のなかへ死にゆく母」を選びましたが、たまたま数年前にスキーに行った場所がこの詩を詠んだ彼の疎開先から近かったこと、今年は茂吉没後50年ということで関連する新聞記事をいくつか読んだためです。ほかにも採り上げたい詩が沢山あります。
 万葉集をはじめとして、このところ詩や俳句に接する機会が多いのですが、これは歳をとったためでしょうか。

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[Last updated 2/28/2003]