本の紹介  やっかい老人と付き合う法
彼らは、何を考えているのか



川埼クリニック院長・精神科医

川崎清嗣

(株)光文社

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       目 次

1. まえおき
2. 著者のことば
3. (本の)目次

4.
はじめに
5.
著者紹介

1. まえおき
 私は昨年(1999年)母を亡くしました。家内の両親は健在です。また現在従事しているボランティアの多くは老人が相手です。
 いずれにしろ我々のまわりには多くの老人がいます(そう言う本人も、もう老人の部類でが)。そのような状況でこの本を読み、もっと早く出会えればと思いました。相手のことを理解していなければ、良い看護はできません。私と同じような状況の方には、ぜひとも読んでいただきたいと思います。

2. 著者のことば−老人と付き合う人のメンタルケアを
「老人間題」とは、老人自身の幸せを考える問題であると同時に、家庭や会社を問わず、老人と付き合わなければならない人の、とりわけ精神的なダメージや苦痛をどう癒やすのかが問われている問題でもあるのです。「未熟な老人」の多い今ほど、「ケア・フォア・ケアティカー」すなわち「老人を介護している(老人と付き合っている)人をケアし、癒やす」ことが求められている時代はないと思います。

3. 目 次

はじめに…………………………………………………… 9[次項参照]

一章 「老人問題」は、あなた自身の問題……………… 31
   老人と付き合う人のメンタルケアを
   誰にでもある、もうひとつの「老人問題」
   介護のまえに「解語」あり
   「母のおっぱい」を求める老人たち
   彼らは、本当に「役立たず」なのか
   あなた自身の「老人解語辞典」をつくろう

二章 老人とは、どういう生き物か…………………… 63
  第一節 「老人解語」入門
   「老人とは付き合いにくい」のがあたりまえ
   なぜ、老人はウソをつくのか
   「楽しむこと」が苦手な老人たち
   奇妙な収集癖は、どこからくるのか
   淋しくなければ、最高にいい
   優しくすればいい、というものでもない
  第二節 「老人解語」のための基礎知識
   「ボケ」についてのこれだけの誤解
   老人性うつ病−発病の落とし穴はどこにでもある
   意識障害−夕暮れ症候群
   老人のアルコール依存症と痴呆症との関係
  第三節 痴呆の兆候を「解語」する
   発見しにくい「痴呆の始まり」
   時の旅人が、いまどの時代を生きているのかを「解語」する
   老人が「汚なく」なりだしたら要注意
   徘徊と閉じこもりの心理は共通している

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三章 老人は何を望んでいるのか……………………… 147
   ウロウロと歩き回り、落ち着きがない
   不気味な幻覚や妄想を訴える
   食べ物に対して異常な関心を寄せる
   不眠症が悪化して昼と夜が逆転してしまった
   アルコールのことが頭から離れない
   「色ボケ」からくるセクハラをなんとかしたい
   閉じこもりがちで、生活に刺激がない
   身だしなみに無頓着で、格好がだらしない
   お説教とうまく付き合うには
   作り話をどこまで信じるか

四章 あなたの老人問題を「解語」する………………… 195
   いまこそ、「老人解語」が必要とされている
   相手のため、ではなく、自分のために
   「こうしなければならない」ことはひとつもない
   「いい人」「いい嫁」になんて、ならなくていい
   「姥捨て」と言われても気にすることはない
   話が通じないのがあたりまえ、と思う
   たまには思いきり罵倒してみたら?
   暴力で優しさを取り戻すこともある
   他人に話すことで気づく、本当の自分
   いつか、それには「終わり」がくる

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4.はじめに(抜粋)

「愛の要請」に応える精神科医
 私は、東京でもっとも老人の居住率が高い、台東区上野で精神科のクリニックを開いています。私の外来診療は、朝の十時に始まります。
 始まりが遅いのには理由があります。生来の怠け者であることのほかにもう一つ、患者さんからの「愛の要請」に応えるためには、どうしてもそうしなければならないからです。

 精神科医にとって、患者さんとの一対一のご相談は、さながら「一期一会」の真剣勝負のようなもので、一時たりとも気を抜くことができません。私たちが発するひとことが、時によって刃にもなれば、薬にもなることを長年の経験で身にしみて痛感していますし、現に、たったひとことで患者さんは生きも死にもするからです。
 私は、自分が実感している「病い」と教科書的な「病気」の知識とのギャップにも悩まされていました。たとえば、精神分裂病の症状について、知識のうえでは理解し分類することはできても、その症状がなぜ、目の前にいる患者さんに現われたのか、なにゆえにほかの精神病ではないと言いきれるのか。
 そもそも、こうした病気を得る人間とは何なのか−これらのことがとことんわからなくなり、再三にわたって、精神科医としてのアイデンティティの危機に陥っていました。たぶん私は、こうした仕事には向いていなかったのでしょう。
 これは私が、患者さんの病理を知るには、症状を分類し、機械的に対処法を考えるだけでは十分ではなく、人間そのもの、人格の構造そのものを知識としても臨床経験としても知らなければならない、と考えたために、それだけの遠回りを必要としたのだと思います。

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「老人問題」には、複眼の視点を持とう
 しかし、いくら治療のうえで相手を理解・了解できるようになったといっても、患者さんとの面接の中で、完全に受容・共感する体験−患者さんの訴えに巻き込まれていく過程で、たとえば患者さんの肩が痛ければ、本当に私も痛みを感じるほどに受容・共感し、その結果、内面世界を共有することができるのです−は、正直言って最近までは、ある種の苦痛を感じていました。
 患者さんとの面接現場では、一方的な訴えが延々と続くことがよくあります。意味のまったくとれない話も頻繁に出てきます。そのような話を長時間、油断せずに聞き抜くことは、たいへんな体力・精神力・集中力を必要とします。なにしろ、さきほどお話ししたように、こちらのひとことが相手の生き死にに関係しているのです。
 あるときにハタと実感することがありました。それは、患者さんの訴えに、自分自身を完全にゆだねてみることでした。あたかもお釈迦様の手のひらに大の字で寝そべるような、あるいは自分を捨ててみる気持ちで患者さんの訴えを聞き抜いてみると、たとえようもないほどの心地よい体験となったのです。
 医者としての自意識は捨て去るものの、患者さんと自分自身の関係を見つづける目は持ちつづけること−このことが、精神科医には求められているのだと思います。
 もちろん、精神病の種類によっては、話を聞きすぎてはいけないケースもありますが、時間さえ許せば、私はこうした考えで患者さんと時間を共にしています。そして同時に、私は治療者の目を開きつづけています。
 このことは、言葉ではなかなか説明しにくいのですが、「患者−私」という複合体が、時間の流れに沿って複雑な世界を構成していくのを、「外部の視点」で見つめていくということです。これは、相手の存在にかかわらず、精神科医の中に宿っている「観照する目」と言ってもいいかもしれません。私と患者さんのあいだで、時の流れとともに変化していく行動・感情の動きを、そこからまったく離れた視点で捉えつづけることです。
 この本でお話しするように、「老人問題」を考える際にも必要とされるのが、この「ムシの
目(虫瞰)と「トリの目(鳥瞰)」という複眼の視点なのです。

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それにつけても「愛が欲しい」
 患者さんとの面接の体験から感じることは、相談を受ける千差万別の悩みには、本質的な差異がないということです。なぜなら、それらはすべて、患者さんの内面で、自分と対象との関係性が、どのような像を結んでいるかを訴えていることにほかならないからです。つまり、バリエーションということです。
 もっとはっきり言いましょう。相談にみえる方は、何よりも、ご自身で問題だと考えている、その「症状」を愛しているのです。それも、ほかのすべてを犠牲にしても手放せないほどに、その「症状」を愛しているのです。
 これは、あまりに唐突な言い方だったかもしれません。私は、こう考えています。人間は、「母」という存在を通じて、「愛」と呼ばれるものを一方的に与えられる、絶対的な受け身の体験を持っています。しかし、この「基本的な信頼感」は、その後、他者(母もそうです)の存在を知り、自他の区別から生じる欲望とその肥大化によって、崩れていきます。のちほどお話ししますが、「母のおっぱい」は失われてしまうのです。
 かくして、かつては受け身形の究極として完全に与えられつくした、ある種マゾヒスティックな快楽への回帰欲求−胎内回帰願望は、その代表的なものです−は、さまざまに変形を受けつつも反復して現われてきます。長じてはお金やモノ、社会的地位・肩書・名誉、あるいは人によっては女性の下着や靴への偏愛などといった代理物に姿を変えて、人間は生きているかぎりは永遠に、「母のおっぱい」を求めつづけていくのです。要求−満足−要求・・・・この反復・連鎖構造は、もちろん「母のおっぱい」とはもっとも極北にある存在と思われる老人とて例外ではありません。
 その意味で、「症状」もまた失ったものを必死に求めてやまない代理物の一種なのです。精神病や老人特有の精神障害には、幻覚症状がついてまわりますが、精神医学では、崩壊・喪失しょうとしている自我を守るために、無意識のレベルの働きとして立ち現われるものが幻覚だと考えられているのです。
 精神科医である私の前に現われる千差万別の相談者、相談内容、感情の変化−それらすべてのものが、私にはたったひとつの「モノ」がかたちを変えて現われているように思われます。言葉を換えれば、「失われた楽園」と、その「回復運動」と言ってもいいでしょう。あるいは、完全充足・受け身体験を希求する「愛の要請」とも言えるかもしれません。この点だけは、すべての患者さんの訴えに共通しています。私は、これこそが人間の「業」だと思います。

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どうか、私に恋してください
 そもそも、患者さんにとって治療者は、自分が持たない智慧の所有者として理想化され、憧れの感情は、時として恋愛の感情と同等のものにまで高まります。しかし、それはあくまでもセッティングされた恋愛感情にすぎません。治療が終わったときには、治療者は患者さんに捨てられてしまいます。なぜなら、患者さんが転移していた対象とは、患者さん自身の中にこそ存在すべきものであり、治療者から与えられるものではないからです。
 人間の求めるものは、やはり徹頭徹尾、失われた愛の要請であることが、いみじくも治療の場面でさえも、露呈するのです。いや、むしろ治療という心の本質が出る場面であるからこそ、露呈するのでしょう。
 この「愛の要請」という「業」が、治療者である私の目の前で、毎日、ありとあらゆる姿をとって通過していきます。しかしそれは、いかに強烈に私を巻き込もうとしても、そのもの自体に実体があるとはとても感じられません。個別の症状には共感しても、全体としての「業」には共感しえない、治療者としての「私」がいるからです。
 言うまでもないことですが、治療者は、おのれ一人では自己を確認できません。ここでも他者の承認が必要となります。そして、それにはもう一つ、ありとあらゆる「業」、欲望の渦巻き・奔流に巻き込まれつつも、それにとらわれない、もしくは執着を起こさないための芸、技能を必要とします。
 ここで言う芸とは、ジャグリングを想定してのことです。手先で物を投げあげてはそれをつかむ曲芸のことです。落ちてくる物(者)は力強く捕捉し、瞬時にそれを手放して空中高く投げあげるジャグラー(曲芸師)の姿は、治療者にそっくりです。力強い捕捉は、治療者の受け止める力でもあります。
 しかしそれは、持続されるものではありません。落ちてくる物(者)をキャッチするには、自由な位置の移動や力加減が必要です。一つの形や位置に留まっていては、受け止め損ねて落としてしまいます。執着してはならないのです。
 どこにも留まる底はなく、無限に底なしでありつづける生き方。しかし同時に、デラシネ(根なし)ではなくラシネ(根つき)−この、一見矛盾しているように見える生き方。ありとあらゆるものが目前に生起しつつも、それはすべて、私の中にも他人の中にも、あるいは生命と呼ばれるものすべてにある「愛の要請」の表われであり、その愛そのものは、誰とは知らぬ存在から絶対的にアプリオリに与えられたものではないのか。
 そこで、やっと冒頭にあげた「理由」を明らかにするときがきました。そうです、私は朝の十時以降は、ジャグラー−転じて詐欺師、ペテン師も意味しますが、正直言うと、精神科医となんとなく通じるような気もして、心中複雑なものがあります−でありながら、「愛を与える人」として患者さんの恋愛対象となり、最後には捨て去られる「汚物」でありつづけなければならないのです。ですから、ほんの一時、外来診療のまえには、治療者である私のための時間をお許し願いたいのです。

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あえて天に唾する−書物で「老いと死」を考えるなんて
 私は、いまの地にクリニックを開業したあとに、台東区という地域特性もあって、高齢者の診療にたずさわるようになりました。それまで精神病の臨床を主にしてきた私は、初めて痴呆の世界に知識としてではなく、リアルな存在として触れることになります。
 これまでお話ししたように、精神を患ったさまざまな患者さんの診療は、治療者としての私を力強く形成してくれました。しかし、その反面、理性の極北にある「狂気」の問題を突きつけてきました。
 しかし、その後の私は、精神科医という鎧を身に着けていっただけだったのかもしれません。「狂気」に魅入られることの危険性を「知る」とともに、単なる「症状」の問題へと「狂気」を倭小化していったのでしょう。それは、精神科医としては成長なのかもしれませんが、反面、精神科医であるまえに一己の人間であることを忘れていくプロセスでもありました。そうなったとき、私にとって精神科医という生き方は、実存のありさまであったはずのものが、単なる職業になっていたのかもしれません。
 それを打ち砕いたのが、痴呆老人との出会いでした。
 脅かすつもりはありませんが、あなたにしろ私にしろ、狂気の世界はすぐそばにあると思ってください。大切な人やモノを失うことによって、容易に人は、その世界に足を踏み入れるのです。これは、私の体験からもはっきり言えることです。
 しかしそれは、言ってみれば臨時の事態でしょう。あまねく全員が経験することではありません。
 ところが、老いとその延長にある痴呆症は、けっして特殊な事態ではないのです。それは、誰にでも起こりえますし、何よりも、その先にあるものといえば、「死」という、理解不能、不可知と言っていい事態ではありませんか。
 最近、老いや死について、「より良く老いて、良い死に方を」といった論調の本をたくさん見かけるようになりました。もちろん、こうした本の効用を否定するものではありませんが、どうしても私は、ウソとうさん臭さを感じてなりません。
 なぜかと言えば、それらはすべて、他人の経験に基づいた例でしかないからです。私が勉強不足なのかもしれませんが、立派な老いや死というものが、本を読むくらいで身に付くものなのでしょうか。せいぜい、「あー素晴らしい」と感動するか、「あーうらやましい。でも私にはできないわ」と感嘆するしかないのではないでしょうか。

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「ポア」も悪いものではない
 みなさん、「ポア」という言葉を聞いたことがありますか。そう、あのオウム真理教の教祖が、殺人の意味で使っていた言葉です。でも、原語であるチベット語の意味からすれば、これはまちがっています。もともと「ポア」とは、「意識を転じる」という意味なのです。つまり、人が亡くなるときに、良い世界へと生まれ変わるようにという、仏教思想に基づいた瞑想訓練のことを一般的には指しているのです。
 私はチベットを旅しているときに、お年寄りがこうした訓練をしていることをしばしば耳にしました。そして、私も実際に体験しました。その中身を紹介する余裕はありませんが、中沢新一さん(宗教学者)が書かれた『チベットのモーツァルト』をお読みになれば、概要だけでも理解いただけるかもしれません。
 さて、私がここで言いたかったのは、「ポア」による精神訓練が何を意味するかではなく、チベットの老人にとっては、こうした身体性を伴った死への準備の伝統があるということが、心の救いとなっているという事実です。この訓練により、仏教による世界観を実感し、少なくとも、死に対する恐怖が相らぎます。それは、訓練仲間同士で、共通の体験として共有することができます。 こうした、心も体も一体となって「死」に立ち向かう体験が、はたして、いまの日本の文化伝統の中にどれだけ残されているでしょうか。あとでお話ししますが、日本でも、以前は「あの世」と「この世」の境界は低く、死を内包する文化がありました。しかしそれは、明治以降、近代化という名のもとに迷信や神話として捨て去られてきたのではないでしょうか。少なくとも、その機能は残すべきだったと、精神科医としては思います。 こうした私の見聞が、老いと死に対する不安を掻き立てます。どうやって私たち、いや私は老いて、死んでいけばいいのでしょうか。
 いまの日本の文化は、それを語ろうとしてくれません。科学は、「老いない」「死なない」ためのことばかりを論じています。昨今の脳死云々は、臓器移植という目的のためと思えて仕方ありません。どうして「老いと死」についての合意なしに、脳死が日本の文化の中に根づくというのでしょうか。このような私の根源的不安は、精神科医となったあとも大きくなるばかりでした。そのなかで、突破口を垣間見せてくれたのが、精神病の臨床でしたが、私にはっきりと最後通牒を突きつけたのは、「老人問題」と死の問題でした。私たちは、まちがいなく年をとり、それまで持っていたさまざまなものを失い、やがて必ず死んでいきます。こうして改めて書くこと自体がばかばかしいくらいですが、この事実は動かせません。しかし、こうして書かなければいけないほどに、このあたりまえのことを私たちは忘れてしまっているのではないでしょうか。いや、むしろ忘れようと努力していると言ってもいいかもしれません。なぜでしょうか。 いずれにしても、これといった決め手が見つかりません。だからこそ、さきほどのチベットの例のように、不可知の領域に漸近線ながらも接近する方法が、伝統や文化として保存されてきているわけです。

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「やっかい老人」が教えてくれること
 通過(加入)儀礼という言葉をご存じでしょうか。文化人類字などで用いる言葉ですが、世界中に見られるもので、成人になったり、大人社会に入るための儀礼のことを言います。たとえば、いまはやりの「パンジージャンプ」も、もともとは南太平洋バヌアツ島で行なわれていた、高いところから飛び降りて、死を克服する勇気と痛みを経験することによって、共同体の構成員として認められる儀式だったのです。
 日本にも、元服というものがありましたし、いまでもイスラム教徒やユダヤ教徒をはじめとして、世界各地で行なわれている割礼(ある年代に達した男女の性器の一部を切除・切開する)の儀式もまた、こうした目的を持つとされています。それでは、いまの日本はどうでしょうか。これらの現象は、通過儀礼の欠如、大人と子供の区別の欠如、そして、私たちが構成している共同体そのものの崩壊を現わしています。つまり、もはや共同体としての規範や伝統が消滅し、私たちは個々に分断されて、まるで砂粒のような関係にあるということです。生産性のない者は、居場所すらないのです。こうした砂地の上に、堅牢な文化や伝統、人と人の結びつきという「他者」を介した社会性を期待することは、それこそ文字どおり、「砂上の楼閣」以外のなにものでありましょうか。私たちは、大人となること、他者の存在を認めるなかで自己の承認を受けることから出てくる力強さを見失っています。この強さこそが、人間の持ちうる最大の強さではないでしょうか。少なくとも、自己と同じ程度には他者への思いやりを持つには、強い自我の力が必要です。こうした、健全な強い自我を持たない私たちや老人の跋扈する社会とは何なのでしょうか。
 誤解を恐れずに言えば、精神病院の内と外と、どちらがより「狂気」の印を帯びているというのでしょう。「老害」とは、まさにこのことなのです。老害の本質は、自己のアイデンティティ確保のために求めつづける存在のありさまのことです。それは、あさましくも人間の本質を露呈します。そして、それは私であり、あなたのことなのです。それを否定する必要もありません。生きるとは、まさにこのことなのですから。 こうした観点から「老いと死」を知る機会は、私たち日本人にはほとんど与えられていません。少なくとも、意識しなければ見えないところで、人は「狂い」、「ボケ」、「死んでいく」ように世の中はつくられてしまいました。
 自分の老いと死に先立って、介護の体験をはじめとして、老人たちと付き合う場面が、この実存的問いにヒントを与えてくれるのです。私たちは、このような場面で否応なく、この「老いと死」を体現した老人の持つ「業」に真正面からぶつからざるをえないのです。誰にでも起こりうるという普遍性をもって。
 いま、私たちが「老いと死」を自分自身の問題として考える機会こそ介護体験であり、老人たちと真正面から付き合うことであると主張したいと考え、私はこの本を世に出すことにしました。
 ここに書かれていることは、ごく入り口のヒントでしかないかもしれませんが、老人を「解語」−老人の精神世界や行動様式を知り、彼らの「コトバ」を「翻訳」して理解することです−することを知ることで、この本の最後にあるあなた自身の「解語」に益することを切に願っています。

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5. 著者紹介
川崎清嗣(かわさききよつぐ)
1960年高知県生まれ。高知医科大学卒業後、東京大学医学部精神神経科に研修医として入局。その後、埼玉医科大学医学部神経精神科をはじめ多くの精神病関連施設で臨床現場にたずさわる。'93年、川崎メンタルクリニックを設立。「老人力のキング・オブ・キングス」(著者談)たる重度痴呆老人の治療と介護家族のメンタルケアに取り組んでいる。
本書では、その経験をもとに「未熟な老人との付き合い方」も提唱する。著書に『老人解語』(現代書林)。

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[Last updated 10/31/2001]