山行報告“剣岳”(1958年7月20〜26日)

部報「山靴」No.65より 長谷川氏記

日本で一番アルペン的な姿をみせてくれる“剣岳”、山へ行く以上一度は行って見たい、一度はその感触をこの身体に直接味わって見たいと長年想っていた事が、良き同行の志を得て今年実現した。パーティーは岡崎氏、高橋、朝倉、藤田、岡田の4君と私、天気には恵まれなかったが、剣と云う山を知るには貴重な体験であったと思う。

7月20日
富山7:00→美女平8:20→弥陀ヶ原9:25〜10:00→天狗平12:00〜13:10→雷鳥荘14:40
相変わらず皆大きなザック、雷を交えた夕立に2,3名遅れたが無事に急行「北陸」に乗車することが出来た。早速四等寝台を利用し寝る。周りのの学生が遅くまでうるさい。目が覚めると、汽車はもう日本海岸を走っていた。どんよりした曇り空、海が鉛色に沈んでいた。魚津を過ぎる頃より、下車準備をしながら目を山の空に向ける。天気はどうもはっきりしない。
富山着。早速地鉄に乗り換え、車中で食事をする。この電車の中より初めて剣にお目にかかる。ケーブル・バスと乗物の連続、山に来てこんなに乗物に乗ったことはかってない。バスの途中「称名の大滝」が見える。なるほど日本一の高さだわいと感じた。この頃より雨が降って来た。第1日目と云うのについていない。雨の中を出発、重荷に喘ぎながら一路剣沢を目指して。
なかなか人通りが激しく、細い道なのであっちへ避けたり、こっちを通して貰ったり、天狗平小屋に着く少し前に雨は土砂降りとなり、全員濡れ鼠になって小屋に飛び込む。大休止兼昼食を摂り小降りを見計らって出発、やがて沢沿いに雪を見る様になった。地獄谷の硫黄臭いところを抜けると雷鳥沢だった。雨がまた激しくなったので、急いで小屋に逃げ込む。ちょっと止みそうにない。乾いているテントを濡らす事はないと衆議一決し、少し早かったが小屋に素泊まりすることにした。

7月21日
雷鳥荘10:05→別山乗越11:50〜12:20→剣沢小屋12:50〜13:00→真砂平14:15
衣類も乾かし、快適な気分で小屋を出発。天気はそんなに悪そうではない。雷鳥沢の登りはなかなか手強い。しかし、南アを考えればどうと云うことはない。天気が好転してゆく様なので、皆の顔も明るくなって来た。
別山乗越に出ると、風と共に剣岳本峯が姿を現してた。ガスの中に入ったり出たりしながらも、八峰,源次郎尾根と我々は憧れの山の姿に、しばし釘付けになって見入っていた。昼食後、一路真砂沢の出合まで下る。源次郎一峯フェイスのスケールの大きさに感嘆の声を上げながら、平蔵谷出合・長次郎谷出合と過ぎて、目指す真砂沢幕営地に到着。テント村は満員であったが、なんとかBCを設営した。

7月22日
真砂平6:40→源次郎尾根末端7:10→スラブ9:10→尾根取付き9:25→一峯10:30→二峯11:00→昼食12:00〜12:25→剣岳頂上12:40〜13:00→平蔵谷下り口13:30→平蔵谷出合14:20→真砂平14:50
今日も曇り。しかし雨は降りそうもないので出発。源次郎尾根は取付きのチムニー状の滝が一番悪かった。スラブ状のルンゼをつめ尾根に出てしまうと、どうと云うことはない。しかし尾根から眺めた八ツ峰は非常にダイナミックな感じである。何処かのパーティーが六峰フェイスに取付いていて、時々掛け声が聞こえる。T君と「来年また来てあのフェイスをやろう」と、早くも来年の事を考えていた。二峯の下りは懸垂下降で25m位一息で降る。そこからガレ場を剣岳頂上を目指すが消耗させられる。頂上に着く頃、ガスが出て来て残念ながら池ノ谷側は見えなかった。下降路は急な平蔵谷を下降、剣本峰バットレスを偵察したが、ガスのため不明瞭。嫌になる程、グリセードをしてテントに戻った。

7月23日 雨で停滞
今日は雨で停滞。出掛けた慶大パーティがずぶ濡れで戻って来る。台風が近付いて来る様で、もう天気は駄目かなと思う。終日食い寝かつ駄弁った。今日は八峰上半を登る予定だったのに残念である。F君の恋愛論はなかなか好評であった。

7月24日
真砂平7:20→二股7:55〜8:10→チムニー取付き10:50〜11:30→中央バンド12:35→Aバンド取付き12:50→Bクラック→剣岳頂上13:40〜15:00→五・六峰キレット17:20→真砂平18:00
朝、ちょぴり青空がのぞく。昨日の憂さをはらすべく、それっとばかり飛出す。しかし残念ながらO氏は不調で、テントキーパー。ザイルオーダーを決め三ノ窓へと向う。二股にて準備体操をやり三ノ窓谷を登った。奥の方にチンネがニードルと並んで聳え立っている。左側の八ツ峰三ノ窓側は、はい松とツルツルのスラブが組合さっている。呑み込まれそうなスケールの大きさである。後立山の山脈が見え始める。あれが白馬だ、鹿島槍はあれだとなかなか賑やかである。最後の急な雪渓を慎重に登り、いよいよチンネに取付く。中央チムニーの入口でアンザイレン、後から他のパーティが続々と来る。皆、雨に降り込められ僅かな好天を利用して、飛出して来たに違いない。
ザイルオーダーは、高橋・岡田で一つ、朝倉・藤田・私で一つ。まず高橋組が取付く。ワンピッチおいて我々のパーティが後続する。チムニーに入らずリッペを登ると、足元から下の雪渓までストンと落ちている。振向くと後立山連峰が一望のもとに見える。思わず顔がニヤリとする。快適なペースで進む。
しかし、中央バンドへ着く頃からガスが出始め、間もなく雨まじりの強い風が吹いて来た。いやな天気になったと思い、先を急ぐことにする。高橋組はとうに上部フェイスに取付いてしまったらしいが、我々三人組は能率が悪い。Aバンドをトラバース中、突如落石があり、運悪く藤田の頭に当る。しかし思った程でなく、なおも登高を続ける。
上部は草付き混じりの浮石の多いフェイスとなり、やがて頂上に抜け出る事が出来た。高橋組と一緒になり全員握手を交して昼食にする。
下降の際、左に寄り過ぎたため、そのまま八ッ峰上半を下降する結果となった。この辺の地形はやや複雑なので、ガスが出たなら充分ルートを注意する必要がある。五・六峰のキレットより長次郎谷に降り真砂沢のBCに帰る。

7月25日
真砂平15:00→剣沢小屋17:20
朝から土砂降りの雨、台風が本土に近づいたとの予報に、帰りの予定コースである針の木越えを諦め、往路を引き返すことにして、午後の晴れ間を見て、行ける所まで行くことにする。テントをたたみ、もう少しで剣沢小屋と云う所で、又も土砂降りの雨に会い小屋にもぐり込む。この状態ではどうすることも出来ず、小屋に泊ることにする。やはり真砂沢より高度があるだけに、風雨は激しく一晩中荒れていた。

7月26日
剣沢小屋9:35→別山乗越10:30→雷鳥荘11:30〜12:10→天狗平13:10〜13:25→弥陀ヶ原14:30
今日は高山まで下ってしまう予定で出発。相変わらず天気は良くなく、“今日は濡れるぞ”と話しながら小屋を出る。別山乗越にてガスの中の剣岳に別れを告げ、雷鳥沢を下った。雷鳥荘の前の沢は、来る時には何でもなく渡ったのに、雪解けと降雨による増水の為、膝までの渡渉を強いられた。よく降る雨に今日も濡れてバスに乗込む。富山に着くと汽車は思うように動いておらず、青森行が急に東京行に変り大慌て。F君は裸のまま飛び乗って来たので大笑いとなる。これで、明朝には東京に帰れると思うと、安心感と疲れが一度に出て、皆よく眠った。
我々が剣岳を選んだ事に種々の批判、意見もあろうかと思う。我々も実力以上だったかなとも思う。しかし山を志した者が山に行く以上、我々に出来る全力を挙げて計画し、最も安全と思われる方法を取り行動したつもりである。この山行を次の山行計画の土台として、今後も部の発展のために行動したいと思う。         

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