「山行報告」 塩見岳から北岳縦走(’56年8月) 
  部報“山靴”No.57 -'56/9発行- より 

8月1日
 肝を冷す様な絶壁を見下ろしながら、細い山道をバスが登る。荷物が大きいので20人も乗ると超満員になってしまう程の小さいバスである。このバスは広河原まで入る。
 広河原と言う地名は、方々にあるので戸惑うが、矢張り野呂川のものが、一番広河原と言う名にぴったりする。此処は鹿塩湯のずーと奥で、三伏峠まで以前に較べて大分楽になった。
 遅い朝食を済ませ、水をガブガブ飲みながら出発する。去年、赤薙沢を登った時も余り飲み過ぎて失敗したので、随分気を付けたのだが心地よい水音に誘われて、つい口を出してしまう。
 45分に15分休憩のピッチを4,5回繰り返すと、もう三伏峠である。距離が短いので睡眠不足も大して堪えない。傾斜も大したことはない。お花畑で丁度雨の上がった空に塩見岳が実に澄んで見えた。塩見が堂々として見える場所である。
 三伏小屋の傍らのちっぽけな所にテントを張る。翌朝、1人に付き40円取られて驚いたのだが、此処は私有地だそうである。それにしても何の施設も無くて40円とは暴利すぎる。
 (伊那大島発 07:30→広河原10:00→本谷沢出合13:20→三伏峠16:30→三伏小屋(幕営)17:00)

8月2日
 今朝はみんな食欲がない。こう食べなくてはバテそうだ。
 1時間程で本谷山に着く。此処に来ると急に展望が開けて、北アルプスや中央アルプスがはっきり見える。
 今頃暗い谷間を歩いている仲間が可哀そうだ。我々行いの良い者は、此れからずーと三千米の尾根を北アと一諸に歩けるのだ。8ミリ映画を撮影して出発する。
 右側の森林帯を縫って行く。権右衛門岳は捲いて森林限界あたりから天狗岩の登りにかかる。右側はハイ松の波、左はガレである。この頃からアゴが出始める。撮影技師がどんどん登っても主役がバテてしまって、映画にならない。(権右衛門岳の水源地を当てにしていたのだが、水が涸れてしまっていたのがバテた原因でした。)
 予定より遅く塩見岳に着く。ほんの一足違いで北岳が隠れてしまった。「残念」。
 予定が狂ったので、熊ノ平泊りを止めて北荒川岳南面の幕営地に変更。日程に余裕があるので気楽である。蝙蝠岳への道と別れ、雪投沢を右に北荒川岳へと急激に下る。ハイ松渡りや、ガレの嫌なトラバースがある。塩見岳までの平凡なコースと違って、愈々神秘境に入ったと言う感じだ。
 2時間程で幕営地に達する。お花畑の中のなかなか感じの良い場所だが、ブヨの多いのが珠に疵。水場は大井川側へ3分程下った所で、水流は豊かである。薪も豊富。
 (出発 07:00→本谷山08:00→権右衛門鞍部10:00→塩見岳13:35〜14:30→北荒川岳下(幕営)16:15)

8月3日
 今朝も寝坊、出発が遅れる。暫らく大井川側の森林帯を行く。割合よい道である。問題の百米1時間と言うガレも立派な踏跡がある。新蛇抜山あたりで、ちょっと北アが見える。今日も上天気である。今朝から誰にも会わない。
 他のコースが銀座通りと化した今日では、今でも静寂を保っているのはこのコースくらいであろう。それも何時まで保つものか。商魂逞しい人間が熊ノ平をそのままにしておく筈がない。
 踏跡はまた森林帯に入る。安倍荒倉岳あたりでちょっと踏跡を外す。迷いそうなのは此処らだけで、他は割合良い。馬鹿尾根と言うだけあって長いものだ。飽き飽きした頃、熊ノ平に着く。水はすぐ傍らにあるが、天気が続くと心細い。
 正面に農鳥岳を見ながら、スケッチしたり、寝転んだり、まったくのどかな天気である。
 後から単独行者が着く。朝、三伏小屋を出たそうで、軽荷とはいえ大した馬力である。山登りもだんだんスピード化して来た。重いザックでのろのろと登るのは、もう時代遅れの感さえある。
 間ノ岳で幕営する為、バケツに水を入れて出発する。急な尾根を30分程登ると、見晴らしの良い広々とした尾根になる。
 双眼鏡を覗くと、白峰三山縦走路は人通りが多い。展望を愉しみながら三峰岳へ登る。三峰岳は尾根上の一突起と言う感じである。左に馬鹿尾根がまだ馬鹿ばかしく続いている。
 間ノ岳に着くと今まで見えなかった鳳凰三山や、八ヶ岳が顔を出す。パノラマ台にテントを張り、星のランプで山を眺めつつ目を閉じる。
 (出発 07:30→熊ノ平10:30〜12:40→三峰岳13:30→間ノ岳(幕営)16:30)

8月4日
 北岳集中日である。各々が別々の行動をとりながらも、全体として行動するのが集中登山である。それは調和のとれた オーケストラに例えられよう。我々も一つのパートを受持って、大体においてソツなく付いて来たが、此れからが愈々クライマックスに入るのだ。どうか素晴らしいクライマックスになります様に。
 テントを其の侭にして、さながら大木に停まった蝉の如きサブザックで出発する。荷が軽いから、身体が宙に浮いている如くどんどん飛んで行く。北岳小屋下り口で吊尾根パーティーと感激の握手を交わす。そして共に北岳へ。
 (出発 07:30→北岳09:10〜12:10→間ノ岳(幕営)15:00)

8月5日
 農鳥岳頂上で5日間の山旅を回想し、北岳に名残りを惜しむ。よく天気が続いてくれた。
 大門沢の下降は何しろ20数名の大部隊、モウモウたる砂煙をあげて雪崩落ちる。黙々と最後の頑張り、歩け歩け。
 奈良田の変わりよう、幻滅の悲哀。今日は西山温泉泊りだ。夜は野天風呂で5日間の汗を流し、、コンパ。騒ぐ、騒ぐ。
 自分の脚で、自分の肩で、あの山々を越えて来たのだ。騒げ、騒げ!苦しみが多かった者程、歓びも大きい。
 底抜けの陽気な仲間たち、ちょっとした事でも笑い声をたてる。子供にかえった様に。
 「人生の僅かな瞬間に、大きな意義があり、何らかの形で我々の脳裏に何時までも残ることだろう。」 皆が笑っている。
 (出発 05:30→農鳥岳07:30→大門沢下降点8:30→大門沢小屋10:30→奈良田14:20→西山温泉15:20)

8月6日
 一夜の入浴と、文化的食事と寝具で元気を取り戻し、張り切って出発。文明開化の恩恵で、今日は全然歩かないで済む。
 西山温泉発のバスに荷物を山と積み上げる。8時10分、待望の自分で動かずに動き出す。期せずして流れ出る歌声。「山よさよなら、ご機嫌よろしう、また来た時には、笑っておくれ。」

 8月1〜3日(YT記)、8月4〜6日(Z氏記)

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