北岳冬山合宿
1957年12月30日〜1958年1月5日


吊尾根からの北岳バットレス

ベースキャンプ
1958年に日本隊が初の8000m峰(マナスル)登頂に成功したのが契機となって、登山ブームが一層加速されて行きました。
そしてヒマラヤ登山で採用されている極地法(テントを順々に進めて行くやり方)が、日本の冬山登山にも応用される様になりました。
当時は、進駐軍の払下品の重い装備のため、冬山ともなると1人当り40Kg近い荷物となり、このような方法を採らざるを得ない面もありました。
現在の軽量化された装備から見ると、何と大袈裟で大時代的と笑われそうですが!
デカキス
私の所属する山岳部の初めての冬山合宿が、北岳で行うことになりました。
何しろ全てが初めてのことなので、万全を期した結果が、ご覧のような大荷物になってしまいました。
1958年1月1日11時30分 
北岳頂上に立つ。元旦の北岳は快晴で、360度山また山の素晴らしい景観が我々を迎えてくれました。
アタック隊
私たち若手3人組が、間の岳及び農鳥岳アタック隊に指名され、3000m稜線のC2に置き去りにされました。
C2からの富士山
元旦の夜中から猛吹雪になり、翌2日はテントから一歩も動けず、停滞を余儀なくさせられました。朝の気温は(−)23度でした。
3日も吹雪でしたが、日程の都合でアタックを断念して、ベースキャンプに引き返すことにしました。
吹雪の中、テントの撤収に1時間半も要しましたが、北岳肩の稜線に迎えのサポート隊の姿を見た時は、本当にホッとしました。
経験の浅い我々にとって、眠れないほどの不安な暴風雪の二夜でした。

12月30日 (甲府2:00→夜叉神トンネル3:30→鷲住山4:30→荒川小屋7:30/9:00→池山小屋(BC)15:15)
12月31日 (森林限界にC1設営)
’58年1月1日 (C1出発7:00→北岳稜線10:35/11:00→北岳11:30/12:00→C2設営地(北岳稜線上)13:00)
1月2日 (猛吹雪のため停滞)
1月3日 (C2出発9:30→吊尾根分岐11:00→C13:20/15:30→池山小屋16:20)
1月4日 (BC出発9:30→荒川小屋12:20/14:00→鷲住山16:30→夜叉神峠茶屋18:00→芦安鉱泉)

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