山行報告 「初めての北岳」
1955年8月10〜15日

H君と2人で行きました。写真が行方不明なのが残念です。
初めての3000米峰への挑戦と言う事で、気負い立っていた様子が、
この報告からも伺えます。そして、精一杯背伸びした青臭い文章を、
いま読み返すと、気恥ずかしいさと、あの当時は純だったなぁーとの
思いが、入り交じった複雑な気分です。

8月11日 (日野春3:00→赤薙沢出合8:30→ビバーク16:30)
2時30分、日野春駅着、降りたのは我々の他に3人、その内2人が我々と同コースを採るそうである。
当てにしていたトラックが無いらしいので、11kmの道をテクることにする。
月の薄明かりが、駒ヶ岳、鳳凰三山を淡いシルエットに描き出す静かな夜だ。
赤薙沢出合8:30、出合の赤薙の滝に自然の作為の偉大さをまざまざと見せつけられる。この沢は巨大な石がゴロゴロしており、丹沢あたりとは比較にならないスケールだ。
この頃から夜行列車の睡眠不足と、水の飲み過ぎの為、疲れが出て来た。最終や臨時列車に乗ってきた連中がどんどん我々を追い越して行く。
高捲きと、退屈な沢道を半分眠りながら、ふらつき歩く。やっとの思いで尾無尾根取付点に着いたのが14時、通常2時間の道程を実に5時間も費やしてしまった。
尾無尾根の急峻は覚悟していたから、さして苦にならない。相変わらず休み休み登る。夏の陽射しを容赦なく浴びせていた空が、だんだん怪しくなって来た。冷たいガスが通り過ぎる。ポツリポツリと落ちはじめた。峠から1時間下の所で、遂に前進を断念して、ビバークとする。16時30分。雨は夜半過ぎまで降り続いた。
“賢明な後退は、明日の前進を約束する”  (T)

8月12日 (出発6:45→広河原峠7:40→広河原11:00)
夢なき熟睡の後、ふと目が覚める。木の間を洩れる光線が一筋、白く強くポンチョの中に射し込んでいる。ほんのりと温かく包まれていた肌に、朝の湿った空気は心地よく触れる。今日は天気だ。
雨の一夜を共にした原生林の狭い尾根の小さなテラスに、愛着を感じつつ、心細くなった水と乾パンを腹の足しに、再び重い荷を背に樹根のからむ急な道を広河原峠へと辿る。やがて峠に着く。行く手にはガスを引いた北岳が、スッキリと樹間に立っていた。
明日は、あの頂に立てるのだと思うと疲れた体を奮い立たせ、じめじめした針葉樹の峠を早々に起ち、25Kgのザックに踊らせられながら降る。そして明るい広河原に飛び出す。
広河原、それは今だ。入る人少なく、広き河原、清き水流と心地よい水の響き、あたりに生い茂る濃緑のかつ葉樹林、澄み切った空、白き雲は空の碧さに交わる事なく、鮮やかに浮いている。それは汚れなき天地であった。
小屋の少し上手に、良きキャンプサイトがあり、早速昨日の濡れ物を拡げる。飯も終わり、寝場所も出来た。さて此れからどうしようか。
陽は飽きずに照りつける。昼寝でもしようか。Tはスケッチに余念なし、まさに夢心地とはこの事なり。明日の登高に備えて早く寝よう。
シュラフの中から見る星空は、また格別、外では焚火がはぜている。・・・・・
“激闘の中にあって気分の和らぐ、のんびりした一日、いつの山行にも加えたい一日だ!” (H)(T)

8月13日 (出発4:30→大樺小屋7:20→小太郎尾根10:50→北岳13:30,15:00発→北岳小屋16:20)
広河原の一日の休養で生気を取り戻した我々は、大樺池まで一気に登りつめる。大樺沢の上部の残雪が一の倉沢の雪渓を思い出させる。一歩一歩踏みしめて亀の如く登る我々を、他のパーティが俊足で追い越すが、すぐ休むので休まない我々が又追い越してしまう。愉快なり!途中の沢で水筒3ケと水枕に水を補給して、荷が30Kg近くになる。大樺小屋は八分通り完成していた。
池からの最大の観もの、北岳バットレスが一望のもとだ!あれがマッチ箱、これが第4尾根と見返す暇なく、ガスが包んでしまう。左方にはかの有名な釣尾根が、長く長く尾を曳いている。
草滑りの直登は物凄く、太陽の直射を背に受けて、四つん這いになりながら必死に登る。10時50分、思い掛けなく早く稜線に飛び出す。紺碧の空に猫の様な甲斐駒ケ岳、仙丈岳のおっとりした山容が目の前だ。嬉しさにザックを放り出し、写真を撮る。飯を喰う。写生をする。唄を怒鳴る。寝ころぶ。だから山は止められないのだ。BERG・HEIL!
北岳の入口に「喜ばしく入り、楽しく去れ」なる野暮な立て札があった。怒って入るのがどうかしている。ピークには多くのケルンが立ち並び、さすがに本邦第二の高峰に達したと云う感慨であった。ピークからの展望はガスの為に得られなかったが、それに代わって余りある山上の雰囲気であった。
明日の3000米の御来光と、北アルプス・中央アルプスの展望を期待しながら、素泊まり150円也の北岳小屋へと足を急がせる。
“苦しみの末の得られた歓び、此れが僕を山へ魅きつけるものなのだ!” (H)


8月14日 (出発4:00→間の岳6:40→農鳥岳11:15→大門沢小屋15:45)
2時半起床、暑い、煙い、シュラフから飛び出す。外は満天の星空だ!高所の空気は肌寒く、ヒヤリと体を冷す。軟らかい飯を流し込み、闇のなか急坂を喘ぎ喘ぎ登る。
稜線に辿りつく頃には逆光の真黒い山の陰から強い光線が尾を引き、御来光が広漠たる雲海の果てに浮び上る。
素晴らしい朝だ。伊那の方から吹き上げて来る風は冷たく、ブルブル震えて来る。
さて、此れからは素晴らしい稜線漫歩、左手は果てしなき雲海、富士が黒い頭をポッカリ浮かべ、八ヶ岳連峰が大型船のようだ。右手には仙丈岳の肌柔らかき滑らかな線、中ア、北アの山脈、槍ケ岳もはっきり見える。乗鞍岳から山また山と続いてゆく。そして北岳、甲斐駒と間の岳に向う。・・・・・
いくつものピークを越え、広い岩稜の間の岳頂上に立つ。此処よりの展望360度、ここに記する技を知らず。
山梨側よりガスが吹き上げはじめ、踏跡を外さぬように岩稜の上をケルン伝いに農鳥岳鞍部へ進む。足どりは軽く、すぐ鞍部に下り立つ。此処には岩小屋の跡あり。農鳥の急な登りにかかる。ゆっくりゆっくり一歩一歩、ジャンダルムのような岩峰が霞んで見える。
農鳥岳頂上は狭く、ケルンがずらりと並んでいる。もう展望はゼロ。ゆっくりトカゲ。
愈々、お山ともお別れだ。名残り尽きない内に大門沢の下りにかかる。柔らかいガレ、いやな下りだ。そして長い。1時間も下ったあたり、おゝ水だ!ガブガブ、埃にまみれた体を洗い、ホット一息つく。
これから大門沢小屋へ下る。新築の立派な小屋が沢の際に建っていた。小屋番は居ず、薪は置いてあるし、早速火をボンボン燃やす。
疲れも手伝って、早々にシュラフのもぐり込むが、山も愈々終りかと思うと、なかなか寝付かれず、様々な回想に憶いを回らす。 (H)

8月15日 (出発7:30→奈良田10:45→西山温泉11:50)
長い旅も今日で愈々フィナーレだ!10時半、奈良田吊橋を渡る。長い緊張から開放されて、尻を地べたにどかっと下して、しばし動かない。TとHとはお互いに心の中で「ご苦労さん」と云っている如く顔を見合す。本当にご苦労様でした。
西山温泉着11時50分、13時発のバスを捉まえる為、奮発してハイヤーを雇う。身延までの2時間のバスの中で、色々と5日間の思い出が甦る。広河原、マッチ箱、北岳の御来光と富士、農鳥の雷鳥、大門沢のガレセード。
“気の合った仲間、足の揃ったパーティ、無理のない行程、完全な装備、此れがどんなにか山旅を快適にすることだろう!”  (T)

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