鋸岳・甲斐駒ケ岳縦走    山岳部報「山靴」No.65(’59年7月発行)より

4月10日
 この日は皇太子の成婚休日、マスコミの宣伝にのって馬鹿騒ぎをする気も起きないが、
休暇も残り少なくなった我々には、慈雨の如き休日である。
頃はよし、山はよし、さて御成婚記念山行は、八海山にするか、それとも谷川岳縦走か、
いろいろ迷うが、何かこれはと云う魅力に欠けている。
出発日もだんだん押しせまり、まだ行き先を定めかねている時、土屋が「鋸岳へ行こう」と
云い出した。“そうだそれを忘れていた”。2年前の秋に、雨で第一高点から追い帰された
経験があり、鋸岳の真髄である第一から第二高点間を一度は踏もうと悲願を立てた因縁の
山である。
 二人の他に深井、そして田無の田中と同志も4人になり、さっそく計画に取り掛かった。
積雪期には相当の困難が考えられるので、シュラフなしの軽装備でスピード突破する方が
得策であろうと荷物を20kg迄に押さえた。
 こうして我々一行は、富士見駅に降り立ったのである。静かな駅で、田中が持参した田無
工場特製の大オニギリをほうばって出発する。1時間歩くと部落がある。ここで、茅野生まれ
の田中が「友達の家があるから朝飯を戴いてくる」と出かけた。3人は藁の上に寝ころんで
日向ぼっこ。近所のラジオから「美智子さんは只今門を出ました」と実況放送が流れてくる。
呑気な朝だ。さすがの田中君も飯を呉れとは、云い出しかねて手ぶらで戻って来た。期待し
て待っていた一同はガッカリ。
釜無川の河原に出ると武智温泉という鄙びた宿がある。泊りもしないのに“最高はいくら”と
聞いたら、450円だそうだ。
 単調な道を釜無川を奥深くさかのぼると、驟雨をもたらした黒雲も東へ消えて、霧氷に輝く
三角点ピークが現れる。“やれやれまだ大分遠いなァ!”。戸台口から較べると全然長いこの
コースを選んだのは、交通費が安上がりだからである。片道300円位安い。我々プロ(貧乏人)
ともなると、なかなか計画が綿密である。
 絶好の岩小屋に着いたのは2時半、横岳峠迄は楽に行けるのだが、誰言いだすともなく、
IMP十八番の軟化病が出て泊ってしまう。夕陽に映える三角点ピークをデッカイ焚火を囲んで
飽かずに眺めている。星空は明日の天気を保証している。

4月11日
 快調なピッチで横岳峠へ出る。二千米の峠には雪が全然ない。全く意外であった。我々の
予想では、釜無川には余り人が入らないし、峠までは相当のラッセルを覚悟していただけに
拍子抜けしてしまった。使わないワカンほど邪魔なものはない。ラッセルがなければ雪山に
来た甲斐がないと文句を云うし、雪が多ければ多いでコボすし、全くいい気な連中である。
 三角点ピークに立つとさすがに雪がある。風が強いので頂上に残っている雪洞にもぐり込み、
早い昼飯をとる。これから難所へ向う我々にとって気がかりな黒雲が仙丈岳を包んでいる。
進もうか戻ろうか、心の中で迷いながらもアイゼンを付け、キリリと身支度を済ませて、目指す
第一高点を眺めれば、先程の不安などもどこかへ消えて、あの突き出たピークをこえてやるん
だと云うことしか頭の中に残らない。幸いにも天気も良くなりそうだが風は大分強い。西風を
真横に受け、バランスを失いがちな瘠尾根を嫌い甲州側に逃げたのがかえって悪く、アイス
バーンの急斜面に手こずる。カッテイングの連続、そして木にぶらさがったり第一高点迄に
相当に時間を費やしてしまった。幾多の先登者の名を留める名刺箱も雪の下に埋もれて見えない。
 風と寒さに追われて頂上を後に、より困難、より危険へ取り組もうとしている。それは我々が
自ら求めたものであり、進歩の過程、いや人間の持つ好奇心、冒険心は常にこれらとの闘い
なのであろう。
 突然足下が切れ落ち、我々をたじろがせる。小ギャップである。一度縦走したことがある田中が
トップで進む。ギャップの底までは案外容易であったが、それから風穴に出る間はなかなか
手強い。
 黒い岩の真中にポッカリ青い口が開いている。風穴だ。甲州から伊那への入口、そして我々を
導いてくれる自然の扉だ。ここから百米ほど熊穴沢へ降りるのであるが、夏のルートである
ガリーは雪がつまっていて手が付けられない。スリップしたら出合まで素っ飛んでしまうだろう。
アイゼンを付け、手袋を嵌めての岩場に皆緊張している。最初の10米は針金を利用して、土屋が
慎重に降りる。そこから40米のザイルが次のテラス迄漸く届いた。悪場を2回懸垂下降して、
大ギャップからくるガレに出たのは2時半であった。僅か百米の下降に1時間半もの緊張の連続
であった。悪場も過ぎて気持ちが弛んでくると、今迄眠っていた腹の虫が急に騒ぎ出す。
“飯を食おうぜ!”深井が荷が重くなるからと、わざわざ皮を剥いて来た夏ミカンの旨かったこと。
 「事故は危険を乗切った後の容易な場所で、よく起きるものだ」と先輩から何度も言い聞かされて
いるし、登山の本には必ず書かれている。難所から開放され、とかく弛みがちな心を引き締め、
第二高点、三ツ頭を越え、六号目石室に着く頃は、もう夜のとばりが降りようとしていた。
 疲れ切った身体には、外れた戸が風でうるさく騒ぐのも受付けない。“友よ、安らかに眠れ”最高の
山登りを成した我らに、何の不満があろうや!

4月12日
 鋸・駒縦走と云っても、高度、風格の点では、駒の方が一段上であるが、今回の場合には駒が
“刺身のツマ”位の位置しか与えられない。今日はそのツマを平らげると云う訳である。
 駒ケ岳は白いガスの中にあった。頂上は静寂そのものであった。ただ、北岳が見えないだけだった。
ガスの切れ間に顔を出す摩利支天の岩壁にいつの日か心を期しながら降りる。
 昨日はシュンとしていた土屋も下界に着けば元気百倍、バスの車掌さんに「早く出そうジャン」などと、
例の愉快な口ぐせを連発している。汽車の中では、「一生懸命食べないと旨くない」と田中の云う夏ミカン
を、4人でそれこそ一生懸命食べながら帰途についた。

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