リオ・デ・ジャネイロ

1980年1月13日から2月12日までの1ヶ月間、社用でブラジルの合弁会社へ出張しました。
仕事は2月初めには大体終わっていたのですが、有名な“リオのカルナバル”を見て帰ろうと粘って滞在していました。
ところが別件で本社のおエライさんが来たので、あらぬ(?)疑いを掛けられないようカルナバルの前日に
恰好つけて泣く泣く帰国しました。あーア、もったいない事をしてしまった!!

機上からのポン・デ・アスーカル 船上からのポン・デ・アスーカル

リオの見どころは、何と言っても“ポン・デ・アスーカル”、“コルコバードの丘”そして“コパカバーナの海岸”が有名です。
ポン・デ・アスーカルは、「砂糖パンの山」と私達は呼んでいますが、
インディオの言葉“ポウンドアスカ”(ギザギザに尖った小島)に由来すると云われています。

ポン・デ・アスーカルへのロープウェイ ポン・デ・アスーカル頂上からボタフォゴ湾を望む
左奥の尖った岩峰がコルコバードの丘

コルコバードの丘は、リオ市の何処からも見えます。日没後はライトアップされてキリスト像がくっきりと浮かび上がる。

休日は観光客でごった返す 展望台の賑わい
コルコバードからボタフォゴ湾、ポン・デ・アスーカルを望む。 夕陽のコルコバード(宿舎から)

コパカバーナの海岸は余りに有名になりすぎて俗化したので、金持階級はイパネマ、レブロン海岸に移っているそうです。

コパカバーナ海岸(機上から) フラメンゴ海岸(ジーコはここのサッカークラブに所属していた)
テジュカの海岸(リオの一番はずれにあり、まだ人出は少ない)
右側は日本からの出向者T氏と息子さん
リオから約200Km郊外にある保養地“Cabo Furio”
大金持ちの別荘が立ち並ぶ入り江巡りをする。

リオ市からグアナバーラ湾の対岸にあるニテロイ市を結ぶリオ・ニテロイ橋。全長約10kmくらいある長大な橋です。

ブラジルと言う国は、想像以上に学歴社会でした。この一端をたまたま見聞することができました。
或る日、会社で机の配置替えがありました。それは今まで一番隅の方にいた男が夜間大学を卒業したので、
エンジニアに昇格したことによる配置替えでした。机や椅子が立派になり、タイムカードも押す必要が無くなり、
サラリーも大幅にアップしたそうです。日本ではとても考えられないことです。
従って、会社に勤めながら夜学に通う若者が多くいます。庶務のお嬢さんは英語学校に行っているらしい。
コピー係のお兄さんは、卒業して3月から学校の先生になるとのことです。
向学心に燃える者には、確かに出世の道が開かれていますが、実力ではなく学歴が全てである点に
ブラジルの遅れた一面が見られます。
しかし、最近では(’80年時点のこと)大学生が多くなり、名門のサンパウロ大学卒でも、
高卒並みの給料なら雇うと云う会社が出てきているそうです。
(この文章は当時の日記から抜粋したものです。)

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