3ヶ月目 | 11月30日 | オーストラリアへ来て、初めてできた友達の誕生日。多くの友達が集まり、楽しいときを過す。
その友達は、フラットを友達とシェアしていたので、ホーム ステイをしていた僕は、フラットでの生活もいいなと考える ようになる。かなり気を使わなくなったとはいえ、やはり
家族単位の生活はいろいろと気を使ってしまう。 |
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12月 1日 | ゴルフ | ゴルフのコースを始めてまわった。
4、5日前に公衆電話から予約をしたけど、自分で予約をしたので、本当に予約がとれてるか、少し心配だった。予約が取れてるときがわかった時は、自分の英語が通じてたので、うれしかった。
もちろんクラブもボールもなく、すべてを借りることになったが、それでも18ホールで30ドルぐらいだったと思う。学校のクラスメイト3人でゴルフをしたけど、誰もコースをまわったことが無かったので、次にどのコースをまわればいいのか、わからなくなったり、ボールを結構買ったけど、結局みんなが、18ホールを周りきる前にボールをすべて使い果たしてしまい、オーストラリアでのはじめてのゴルフが終わった。 |
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12月4日 | 9日から始まるアルバイトの内容を覚えるため、ゴールドコーストへいく。この日、オーストラリアに来てから、飛行機の中で見た以外で初めて、オーストラリアの海を見る。地図でブリスベンが海に近い事は、知っていたけど、見る機会が1度もなかったので、とてもうれしかった。もっと真近で見たかったし、なんなら泳いでもみたかったが、なにせ仕事中。これがまさにオーストラリアだと思った。しかし、ゴールドコーストはリゾート観光地なので、いたるところで日本語の看板を目にし、本当にここはオーストラリアなのかと思ってしまうほどだった。 |
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12月6日 | 早いもので、10週間の語学学習が終わる。
語学学校の終業式がSt.Lucia ゴルフコースのクラブハウスで行われる。久しぶりに学生にもどれたということもあり、大変有意義な学生生活だった。なによりも多くの友達が出来たことが大きな財産である。
この頃の僕の英語力は同じレベルの学生同士なら会話は出来るが、ネイティブの人と話すときはゆっくり話してもらわないと聞き取れない時があり、たまに、意識せずに理解できていることがあった。 |
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12月7日 | 友達の誕生日パーティ。 何か日本的なものをプレゼントしようと思ったが、日本から持ってきたお土産はすべてあげてしまい、持ち合わせていなかった。こんなことなら無理をしてでももう少し持ってくればよかったと後悔する。結局、ショッピングセンターでTシャツを買う。サンタがトナカイでプレゼントを配るため空を飛んでいたら、飛行機にぶつかってしまったそんな絵のTシャツ。気に入ってくれたみたい。 |
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12月9日 | じゃぱんま〜とにてアルバイトを始める。
月曜から金曜日で月、水、金とゴールドコーストへ行き、主に日本食を配達する。 この後オーストラリア滞在中、 お世話になることになる。 社長をはじめ、取引先のレストランやお店の人など、みなさんにたいへんお世話になり、つくづく、人との出会いは大切にしたいなと思う。 |
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12月12日 | 友達が帰国のためFarewellパーティ。
学校が終了したため、この時期多くの友達が帰国する。 オーストラリアのワーキングホリデー制度を採用している国はアジアでは日本と韓国など数少ないため、ほかの国の人たちは、学生ビザで来ているため、語学学校だけに来た人は、ビザがきれるためである。 |
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12月15日 | ホームステイ先の一番上の子供、子供といっても22歳。そのこがテコンドーをならっているので、見学させてもらいに行った。テコンドーは韓国の格闘技で、日本でいう空手。いろんな足技をもつ格闘技でオーストラリアでは結構人気があった。 |
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12月18日 | オーストラリアに来てから今まで、ほとんど買い物らしい買い物をしたことが無かったが、仕事をし始めたため、ある程度自由になるお金ができ、はじめてTシャツを買かった。でもそれは仕事用。でもうれしかった。 |
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12月24日 | 友達のFarewellパーティ。 語学学校に通っていたクラスメイトが次々と帰っていってしまう。 この時期、次のセミスターのある人たちも、クリスマスや正月があり、また休みが長いので、各々の国へ帰っていってしまった。本当に多くの人に出会えたと思う。ワーキングホリデーの僕はもちろん帰るわけはなく、オーストラリアでの生活を満喫していた。 | ||