4ヶ月目 12月25日 クリスマス 空港ロビーのクリスマスツリー初めて過す真夏のクリスマス。 ホームステイ ファミリーと過す。ホームステイファミリーから ハンカチの詰め合わせをもらう。 本当は類義 語の辞書をプレゼントする予定だったといって いたが、体調が悪く買いに行く時間が無かったらしい。僕も用意とけばよかったと後で思った。 クリスマスケーキはクリスマスプリンといってカ スタードをかけてたべたがとてもおいしかった。 でも、やっぱりクリスマスは冬がいい。 その後、友達を見送りに空港へ。
 
12月31日 仕事が終わった後、仕事先の人たちとチャイナタウンのカラオケDo&Beに行く。結構新しい日本の曲がたくさんある。 その後、ラーメンを食べたら時間は2時前。 ブリスベン川のほとりに行き、新年カウントダウンの花火を見る。花火は日本の方がきれいなようにおもえたが、その分川の上の船から花火をあげるので近くで見れた。 カウントダウンの後、周りの知らない人でもキスをする、という噂があったが、どうもガセネタだったみたい。 そんなこんなで新年を迎える。
 
1月1日 新年 HANABI新年を迎えたが新年を迎えたという実感が全くなかった。日本の正月料理がなつかしい。外はあいかわらず、暑かった。 けっこうたいくつだった。、そこで、友達とボーリングとビリヤードをやりに行った。というのも開いている店がほとんど無かったためである。 本当に新年なのかな?
 
1月3日 ゴールドコーストにかかる橋この日から、仕事がまた始まった。 ゴールドコーストは日本からの観光客でおおにぎわいだった。日本のレストランではどこどこに芸能人のだれだれがきたとか、何々を食べていったという話で、盛り上がっていたみたいだった。ゴールドコーストから少し離れた高級住宅地には、芸能人の別荘がけっこうつらなってある。だから毎年のように同じ芸能人がきているみたい。あいにくブリスベンにはそれほど賑やかではなかった。
 
1月5日 車の運転に慣れるためにと、道を覚えるために友達と一緒にブリスベン近郊をドライブ。 知っている道なら、落ち着いて運転できるが、初めての道はまだドキドキしてしまう。 このドライブでとてもすてきな場所を発見した。 それは満潮のときは、遠くにぽつんと島があるだけだけど引潮のときはその島まで道が出来ていた。この後、オーストラリア滞在中、何度もくることになる。
 
1月11日 きれいな夕暮れ友達の所へ話をしに行く。玄関のところで話していたら、隣の住人が帰ってきたみたいで、挨拶しなきゃと少し身構えていたら、同じ語学学校で勉強していた人で、何度か話をしたことがあった。ほんと偶然、帰ってきて、偶然僕は玄関で話をしていた。そこで僕がフラットを探していると言うとその人は、別にシェアをしなくてもよかったのだろうけれどシェアをしてもいいと言ってくれた。ホームステイ先は、契約というか予定をはっきりさせる必要があり、次のセミスターが始まる前に、出て行くのかそれとも次のセミスターが終わるまで居るのかを決めなければいけなかった。中途半端な期間だと次に入る人がなかなか見つからないらしい。一応僕は出るということを伝えていたので、大変助かりました。結果として、僕は本当に素敵なシェアメイトに出会うことになった。
 
1月13日   カンガルーのお得意なポーズホームステイ先の子どもに英語を教えてもらう。インコを飼っていてその名前がブルーイ。 初めにその子がブルーイといい、その後で僕が発音をした。全然違うという。ブルーイのーの部分はウと発音し、Lの発音の後のウがとても難しかった。この幼い先生は容赦をしない。何度も言い直させられた。最後は、いいよと言ってくれたが、その顔は明らかにあきらめたという感じだった。
 
1月18日 暇だったのでホームステイ先で一番僕と歳の近い子と一緒にスポーツジムに行くことになった。僕が知っているジムは、歩いて行けるところしか知らなかったが、さすが、地元と人はよく知っている。車を運転して連れていってくれたが、メンバーでないため、使用料がかなりかかるみたいだった。結局やめたけど、数週間後に僕は通うことになった。
 
1月19日 分身の術ホームステイ先の子どもと近所のその子の友達のところに遊びに行く。ヨーヨーとか釣りをした。ヨーヨーはオーストラリアでも大人気だった。技はできないが、普通にはできた。それでも英語はつたなくても、日本ではいい歳をした男なのでその子達と比べれば、勢いがあったみたいで、すごいなーと感心をしていた。
 
1月22日   フラットシェア この日、ホームステイをでて、シェアをしてくれろ事になった人のフラットへ向った。オーストラリアに着いてからずっとお世話になっていたので、ホームステイを離れるのは、やっぱり寂しかった。ホームステイをしてオーストラリアの生活を体験できるのは本当に貴重な経験であった。もちろんその家庭家庭でいろいろ変わるだろうけど。
       
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