7ヶ月目  3月29日       ゴールドコーストに行った後、友達と映画を見に行く。 たしか映画は 「Devil’s Own」。 映画を見ることは 本当に英語の勉強になると思う。 映画だと仮に英語 がわからなくても、ストーリーを見ていれば大体はわ かるし、おもしろい映画なら1〜2時間ぐらいはすぐに 経ってしまう。それになによりも、自分のお金を払って いるので、真剣になれる。学割をつかえば5ドルぐらい でみれるし、安く見れるときのあるので、家で勉強する よりもかなり効率的である。
 
3月31日 あー、雨3月が終わろうとしている。 きょうは、むちゃくちゃ激しく雨が降っている。半端じゃない。もうとっても半端じゃない。 雨音がうるさすぎて窓をしめても、TVの音も聞こえないくらいだった。写真はフラットのベランダから撮ったところ。
 
4月2日 不動産屋とフラットの契約を結ぶ。シェアメイトがオーストラリアを離れるためである。契約期間は6ヶ月。最低期間が6ヶ月なので5ヶ月半ばで帰国しないといけない僕には、少しもったいなかったが、それでもそのフラットが気に入っていたし、自分で契約をしてみたかったのでまあいいかと思った。不動産屋さんやの人が家に来て、前契約者とカーペットクリーニングをしたかとか破損場所がないかなど、一通り済むと、今度は僕と契約をした。特に問題はなく、契約は終わった。
 
4月4日 友達の家に行く。その友達ももうすぐ帰国予定。 僕に食器類やラジカセをくれた。それらは、僕が帰国するまでずっと役立ってくれた。
 
4月6日 インディカーレースの後ゴールドコーストでインディカー・ワールドシリーズが開催された。ゴールドコーストでは一般公道でレースをする。今まで、普通に一般車が走っていたところを。とても迫力がある。レースが終わって数日後、ゴールドコーストを車で通ると、レース場はけっこう取り壊されていたけど、まだ面影があった。スタート地点のラインが残っていたり、スタートするとき各車が並ぶフレームが残っていたり。チョットレーサーになった気分だった。
 
4月7日 シェアメイトと最後のディナー。 Miltonのタイレストランに向う。食事をしながら、出会ってからのことやこれからの事など、いろいろ話をした。本当にあっというまだった。一緒の家に住みながら、なにひとつ言い争いになったり、もめることはなかった。もちろん我慢してくれていたのかも、しれないけれど。オーストラリアに来て、いろんな人にお世話になったが、もっともお世話になった人の1人である。この人がいなければ僕の生活はかなり違ったものになっていただろう。残念ながら、その人と一緒に写った写真がない。本当に感謝しています。
 
4月8日 またまた虹がシェアメイトが帰国。 夕方、友達の家でハウスウォーミングパーティ。オーストラリアでは新しい家などに引越しをしたとき、その家に魂をふきこむというか、家をあたためるという意味で、パーティをするみたいだ。ホームステイを抜きに考えればこれだけ多くのオーストラリア人のなかに入ってしゃべったりするのは、6ヶ月も経つのにはじめてだった。日常のよくある話から、神戸の震災の話など、どこまで理解してくれたかはわからないが、とにかく話をした。別れぎわ、何人かのひとが、地震の話など興味深かったといってくれた。はじめからこのような、人たちと知り合えていたなら、すぐに英語は上達しただろうと、少し反省。
 
4月12日 婚約おめでとうございます明日、友達の友達の婚約パーティ。 家に行って、バルーンや紙テープで家中を飾り付けた。こういった機会はあまりなく、手伝っているこっちもなんだか幸せな気分になってくる。昼ごろからはじめて、夕方になってもまだ、飾り付けは終わらなかった。おまけにとんでもないことまで、起こった。その家は2階建ての一軒家で、僕達は1階を飾り付けをしていた。ほとんどの人が1階に集まっており、家の人が2階に何かをしにいったとき、叫び声が聞こえた。2階に見知らぬ男が侵入していたらしい。幸い、声に驚いてなにもとらずに逃げていった。1階に10人以上いたにもかかわらずであった。その後警察が来て、まわりを捜索していたが、犯人は見つからなかった。せっかくの気分にみずをさされたが、なんとか気分をとりもどし、みんなで飾りづけをし、明日を迎えることになった。
 
4月13日 ここのとなりは?婚約パーティ当日。晴天。 とても多くの人が集まった。オーストラリアにかなり長い間いるので、集まる人たちは、家族が多かった。とても幸せそうな、二人だった。ワーキングホリデーできて、こういった婚約パーティに参加させてもらって貴重な体験をさせてもらった。多文化国家で移住を受け入れている国だからこそ、こういうパーティにもいろんな国の人が参加しているのだろう。いつまでも御幸せに!
 
4月17日 友達の家でタコスパーティ。 とてもおいしな、タコスを食べて、楽しいときを過すことが出来た。
 
4月20日 ブリスベンにあるチャイニーズテンプルに向う。 僕自身、信仰心はあまりないのだが、台湾の友達がいろいろやっているのを見るとそんなにわるくもないのかなとも思った。仏像なども飾ってあったが、日本といっしょのようで違っていたりなにかと興味深かった。その後、そのお寺で昼食を食べさせてもらった。もうすぐ、お釈迦様の聖誕祭があるので、ぜひ来てくださいといっていた。
 
4月24日 また1人、友達がオーストラリアを去っていく。その人は語学学校で同じ、クラスメイトだった。僕がオーストラリアに来て、ずっと友達である。僕が学校に行かなくなってからでも、よく一緒に遊んでくれた。友達の多い人で、その人といると自然に僕も友達が増えた。その人は自分の友達は友達同士お互い知っていてほしい、というオープンな心をもっていた。ぼくも見習わなければと、いつも思っていた。 その晩、新しいシェアメイトが僕のフラットにやってきた。その人は、友達の友達。 シェアメイト募集の紙を掲示板などに張って募集をしていたが、結局は友達の友達に決めた。その後何度かシェアをしたいと掲示板を見た人が書けてきたが、断らざるをえなかった。
       
       
       
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