南アフリカ Suedafrika 1984.4〜1986.5
・・・犬につられて三千里??



小学校3年生までも、父の仕事で転勤はありましたが、すべて国内でした。
ある日の夜、会社から帰った父が突然、南アフリカに引っ越すことになったよ、と言いました。
私は当時小学校3年生で、「南アフリカ」と言われても全然ぴんと来ませんでした。
アフリカ=動物がいっぱいというイメージくらいしかなく、むしろ友達と会えなくなるということの方が一大事でした。
押し黙っているわたしに、絶妙のタイミングで父が言いました。
「南アの家では犬が飼えるよ。」
「犬が飼えるなら行く!」 即決。
二つ返事で南アフリカへの引越しに賛成しました。
犬が好きでしたがマンション暮らしだからだめ、と言われ続けていました。
それが引越せば犬が飼えるというのですから、南アフリカだってどこだって行かない手はありません。

「コジローっていう犬がいるんだけど、もう1匹、好きな犬を飼っていいよ。」
犬が2匹!それも好きな犬を選んでいい!私は父の言葉に舞い上がりました。
こうして私は犬につられていとも簡単に遠い遠いヨハネスブルクへの引越に大賛成しました。

それからの私は本当に犬三昧。
岩合光昭氏の「子いぬ」PartT・U・Vの3冊の写真集と、犬種図鑑を「愛読書」にして、
先に南アフリカに移動した父から送られてきたコジローの写真(↓)を穴の開くほど眺め、
もう1匹は何がいいかなぁと夢膨らますのでした。

 
 ↑ これが南アフリカから届いたコジローの写真。

==================

1984年4月13日、成田空港から南アフリカに経ちました。
英国航空の飛行機は、香港、スリランカ、セイシェルに給油のために立ち寄り、ヨハネスブルクを目指しました。
最初は日本人ばかりだった機内にどんどん「外国人」が増えてきました。
そして、ついに、私自身が「外国人」になりました。

25時間くらいかかって到着した空港には先に現地入りした父が迎えに来てくれているはずでした。
父は現地人さながらに日焼けして、にこやかに迎えてくれました。
幼い私をかかえながら初めて海外に出た母は随分ほっとしたことだろうと今になって思います。

空港からどんな道を通って家にたどり着いたかは覚えていませんが、走る道の広さと道の両脇に生える木々が
日本では見たことのないもので、かつ木も家もえらく大きいと思ったのを覚えています。
着いたよ、と言われて車を降りると、毎日眺めた写真のコジローが、尻尾をぶんぶん振って歓迎してくれました。
コジローは前から家族だったかのように迎えてくれました。「はじめまして」というより「おかえり」のようでした。

グリーンサイドという地域にあった家は2階建で、前庭が広く、裏庭にはブーゲンビリアの大きな木がありました。
ブーゲンビリアの木は枝が生い茂って、外からはひとつの大きなかたまりのように見えましたが、
真中は空間になっていました。父はトゲトゲの枝を切り分け、私が中に入って遊べるようにしてくれました。
ブーゲンビリアの中はひんやりとして涼しく、コジローと私の秘密基地になりました。

==================

グリーサイドの家に住み始め、日本人学校にもすっかりなれた頃、私たちはリンデンという地区に引越しました。
今度の家は、念願のプールつきでした。豪邸!と今では思いますが、友達の家のほとんどはプール付きでした。
プールに加えてテニスコートもついている家も少なくありませんでした。

リンデンの家の裏庭に回ると大きなジャカランダの木がはえていて、その向こうに白い柵が見えます。
庭はそこまでかと思いきや、その柵を開けてさらに奥に庭が続き、そこにプールがあります。
プールの奥にもまだ庭が続き、一番奥に庭の手入れ用具を入れる小屋が立っていました。
どこまでも続くように見える庭の敷地面積は600坪もありました。
部屋の構成は今回もバスルームが2個ついた4LDKでしたが、1階建てでした。

私は南アフリカに引っ越してから泳げるようになりました。何しろ1年の半分はプールで泳げる季候なのです。
庭のプールで泳いでいると、ゴローが心配してプールサイドをワンワン吠えながら走りまわり、
最後にざぶんと水しぶきをあげて飛びこんできました。もちろん「溺れている」(ように見える)
私を助けに来るためなのですが、犬掻きではかえってこちらが沈められそうになり、大急いで
プールから逃げまわっていました。ゴローは私を「助ける」役目を果たしたので満足そうでした。

裏庭にあるジャカランダの木が私のお気に入りでした。
ジャカランダはヨハネスのみならず、南ア各所で秋に紫色の花をつける木で、私の中では、
ヨハネスの思い出を象徴する花です。南アフリカの国花はプロティアというなんとも強そうな花
でしたが、これと比べればジャカランダはおとなしい花でした。
街路樹として植えられた場所では、日本の桜並木の紫版のようなトンネルができました。

新しい我が家にあったジャカランダは木登りに最適な枝ぶりで、私はこの木の上で過ごすのが大好きでした。

==================


南アフリカには5年くらい滞在する当初の予定が変更になり、2年でドイツへ引っ越すことになりました。
それでも、自然の多い南アフリカでの2年間はとても思い出深いものになりました。

===>南アフリカ写真集


(C) Schali's Homepage 2004/2005/2006