八いつ


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16.射不主皮、為力不同科

 「射は皮を主とせず。力の科を同じくせざるが為めなり」とは「弓の礼では的を第一とはしな
い。(各人の)能力に等級の違いがあるから」との意である。
 これは、結果ではなく手順などの礼節を見るためと考えますが、能力に差がある場合に何を
もって評価をするかということの示唆となっています。
 封建社会においては、能力に差がある人たちを同一の地平で評価しないといけないため、こ
れの基準を礼節に取ったと考えます。ここで留意すべきは、能力の差によって結果の良し悪し
が生じることは容認されていること、礼節による評価は評価を受ける人に良い評価をえる機会
を平等に付与していることでしょう。
 これは、封建主義社会が民主主義社会へ移行するに当たって直面した、社会を進歩させる
ための力の源泉の確保と平等の問題が、すでに封建社会において内包されていることを示し
ている内容です。もちろん、ここでは弓を取り上げてるだけで、政治を同じ視点で孔子が見てい
たかどうか判然としませんので、ここまで書くのは持ち上げすぎかもしれません。
2004/4/11


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