学而

 1.学而時習之、不亦説乎、有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎
 
 有名な一節です。「学びて時にこれを習う」は「学んでは適当な時期におさらいする」の意。ま
た、「朋あり、遠方より来る」がうれしい理由は、訳文によると「(同じ道について語りあえるか
ら)」となっている。「人知らずしてうらみず」は「人が分かってくれなくとも気にかけない」の意。
 各章の配置や章のタイトルにはあまり意味がない(テキストp.4)とのことであるが、学習をす
ることの意義を主張するこの一節は、論語の中でも重いものであろうと思います。
 学習するということの要点は、以下の通りと考えます。
 @その場限りのものとしない(学習の継続性・学習を自己目的化しない)
 A独りよがりなものとしない(人との交流の中で学問が向上していく)
 B自信がもてるだけの努力をする(動じないためには、学問の裏づけが必要である)
2004/2/15
 4.為人謀而不忠乎、與朋友交言而不信乎、傅不習乎

 孔子の言葉ではありません。「人のために考えてあげてまごころからできなかったのではない
か。友だちと交際して誠実ではなかったのではないか。よくおさらいもしないことを(受けうりで)
人に教えたのではないか」の意。この言葉の発言者である曾子は、こうしたことを一日に何度
も反省するとのこと。自らのしたことが正しいことかどうかを、常に自らに問い続けるということ
は、凡人にはなかなか難しいことです。
2004/2/15

 5.敬事而信、節用而愛人、使民以時

 封建社会における領主の心得です。企業組織は、民主主義ではなく利益のために効率を重
んじた命令系統のはっきりした構造となっているのが通常と考えられます。ですので、この言葉
は企業組織においては今でも通じる内容と思います。
 「事を敬して信」とは「事業を慎重にして信義を守り」の意。「用を節して人を愛し」は「費用を
節約して人々をいつくしみ」の意。「民を使うに時を以てす」は「人民を使役するにも適当な時節
にする」の意。
 現代社会に意訳すると以下の通りでしょうか?
 @組織目標や業務計画を慎重に作成し、ころころ方針転換しない。
 A無駄なことを部下にさせない。
 B部下に仕事をさせるには十分な余裕を与える。
 どうでしょう?自分の上司に守らせたらどんなにすばらしいことになるか想像してみると、楽し
くなります(但し、ここで楽しんでしまえる人は、すさんだ職場にいると思われます)。

2004/2/17

 8.君子不重則不威、学則不固、主忠信、無友不如己者、過則勿憚改

 これは、どんな立場の人に向かっていっているのでしょうか?「君子、重からざれば則ち威あ
らず」とか「学べば則ち固ならず」、「過まてば則ち改むるに憚ること勿かれ」もそれぞれちょっ
と引っかかりますが、まあ問題ないことにしておきましょう。
 「忠信を主として、己れに如かざる者を友とすること無かれ」ということを、封建領主に向かっ
ていっているのでしょうか?この場合、自分より劣ったものを友とすることが妥当でないという
封建領主への忠告になります。でも、劣っているという判定は、どうやってするのでしょうか?こ
の文章についている条件である「忠信を主として」が判定基準とするなら、学問や技能の優劣
ではなく、人の誠実さなどの道徳性について劣っているものを友とするなという忠告になりま
す。
 ここで終わってしまうと、非常に当り障りのない内容に落ち着いてしまいます。そこで、これを
これから君子になりたいと思っている人への助言と考えてみます。「主忠信、無友不如己者」の
部分は、「君子は、自分より劣ったものを友とはしないものだ」という一般論となり、君子の仲間
入りをしたいと思うなら、人よりも劣らないよう精進せよという助言になります。つまり、劣った人
間の切捨てをせよという意味ではなく、君子から友として認められるためには自分がまず優れ
た人間になる必要があるという意味になる。
 たわいもないことをつらつら書きましたが、そもそも「論語」における「友」という言葉の定義
が、現代人の感覚から乖離したものである可能性はありますね。

2004/2/18
13.信近於義、言可復也

 「信、義に近づけば、言復むべし」とは「信(約束を守ること)は、正義に近ければ、ことばどお
りに履行できる」の意。約束を守ることと正義は、どちらが優先するのでしょうか。これによって
この言葉から受ける教訓が異なるのでしょうか?
 もし、約束の方が重要なら、正義から遠い内容でも、約束した人は万難を排して履行しないと
いけないということになる。
 一方で、正義が優先なら、正義に反した約束は履行されない。それでは正義を優先する人
が、正義に反した約束をするかどうというと、しないはずです。なぜなら、約束の時点で正義に
反することがわかっているからです。ただ、約束をしておいて後から正義に反するので履行で
きないということもありえます。この場合でも、履行できない約束をすること自体が正義に反し
ないかが問題となります。信と義はこの点で、つながっているといえましょう。
 つまり、正義は大事だと思う人の場合は、信もおのずと重要だと考えるようになります。一方
で、信が一番大事だと思う人は約束を守るために正義をかえりみない可能性があります。それ
ゆえに、そうした人々に向けては、あえて「信、義に近づけば、言復むべし」といわなければな
らないのでしょう。
2004/2/24

16.不患人之不己知、患己之不知人

 学而編の最後は、1節目にでてきた内容と重複します。「人が自分を知ってくれないことを気
にかけないで、人を知らないことを気にかけることだ」の意。
 自分を分かってくれないことに憤る君子というのは、矛盾です。憤る前に、君子にはすべきこ
とがあるはずだというのが、この節のテーマでしょうか。もしくは、原因を外に求めず内に求め
よという教訓なのかもしれません。

2004/2/29
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