国連の平和維持活動
(1)安保理による軍事制裁
  安保理は、平和破壊行為や侵略行為を停止させるために、全加盟国に制裁措置をとるよ
うに指示できる。

(2)国連軍と多国籍軍
  米ソの対立などのために、正規の国連軍が設置されたことはない。
  多国籍軍:安保理が軍事制裁を決議した場合に、その実施に協力することを申し出た国に
よって自発的に組織される軍隊。

 A)1950年朝鮮戦争
   安保理で軍事制裁決議。ソ連は中国の代表権問題でたまたま安保理をボイコットしてい
た。
 B)1956年スエズ動乱
    6月:駐留期間満了により英がスエズ撤兵。
    7月:エジプトナセル大統領がスエズ運河国有化宣言。
   10月:イスラエルがシナイ半島に侵入。
      :英仏が仲介に乗り出し、スエズ駐留を認めるよう求めるが、エジプトは拒否。
      :英仏は、エジプトの仲介拒否をうけて進軍。
   11月:米が即時停戦決議案を安保理に提出するも、英仏が拒否権行使。ソ連は支持。
      :カナダが国連警察軍による停戦案を提示、イギリスがこれに応じ停戦。
 C)ハンガリー動乱
   10月:ブタペストでポーランド「十月革命」との連帯を叫んで学生グループが反政府デモ。
      :政府はナジを首相に任命し、事態収拾にあたらせる。
      :ナジ首相が複数政党制への移行を宣言。
   11月:ワルシャワ条約破棄とハンガリー中立化宣言。
      :ソ連の軍事介入。
      :安保理にソ連撤兵決議案が提出されるが、ソ連が拒否権行使。
 D)1960年コンゴ動乱
   6月:ベルギーから独立。
   7月:カタンガ州の分離独立宣言。
   その後、自国民保護を理由にベルギーが軍事介入。
   安保理がベルギー撤兵を決議し、「国連コンゴ活動」派遣(1964年6月まで)。
 E)アフガニスタン紛争
  79年:ソ連(ブレジネフ政権)アフガニスタンへ軍事介入。
  86年:ゴルバチョフソ連大統領ウラジオストック演説。駐留ソ連軍の撤退を表明。
  88年:ジュネーブで平和合意文書調印(アフガニスタン・パキスタン・米・ソ外相)。
     :「国連アフガニスタンパキスタン仲介ミッション」がソ連撤兵開始(90年まで)。
  92年:米ソが武器供給停止。
     :反政府ゲリラ各派が暫定政権を樹立する「ペシャワル合意」に同意。
     :暫定指導者評議会(ムジャヒディン議長)
    ※指導権争いなどから内戦化。
 F)1980年イランイラク戦争
   9月:イラク軍がイランへ侵攻
  88年:国連の仲介で停戦。安保理は「国連イランイラク軍事監視団」を設置。
    ※「イスラム革命の波及」を懸念して、湾岸諸国・欧米・ソ連はシラクを支援。
 G)国連キプロス平和維持軍
 H)1989年アメリカパナマ侵攻
   ノリエガ将軍の身柄拘束しアメリカ移送。
   米州機構が非難決議を行う。
 I)1990年カンボジア暫定統治機構⇒包括型PKO
 J)1991年湾岸戦争
    ※戦後自衛隊法に基づき、日本はペルシャ湾に掃海艇を派遣。

(3)平和維持活動(Peace Keeping Operations
  PKOは国連憲章上では明確に規定されていない。
  軍事的制裁を行うための軍隊ではない。
  原則として派遣には、安保理決議があり、紛争当事者の同意が必要である(ただし、同意
なく派遣が行われたケースもある)。

 A)停戦監視団
  紛争当事国間で停戦が遵守されているかを監視する。
  派遣される要員は武器を携行しない。
 B)平和維持活動
  停戦の実現とその維持、戦闘状態にあった各勢力の引き離し、治安の確保、不要となった
武器の回収、紛争終結に伴うさまざまな活動。
  部隊は防衛的武器を携行。
 C)包括型PKO:上記以外のさまざまな活動を行う。

(4)PKO協力法
  自衛隊員を含む公務員が、国連のPKOに参加する際に守る原則等を定める。
   @武力紛争停止について紛争当事者間で合意がある。
   A日本からの派遣について紛争当事者間で合意がある。
   B中立性
   C上記条件が崩れた場合、業務を中断して撤退する(国会の議決などは必要ない)。
   D小型の武器携行はOK。ただし、使用は生命身体を守るため止むを得ないときのみ。

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