6 『ローマ人の物語』の読み方

 ローマの歴史は文明の源流であり、ドラマの連続でもあります。日本では弥生時代でようやく農耕が人々の生活の基盤となった頃、すでにローマでは元老院を舞台に活発な議論が交わされ、激しい権力闘争が繰り広げられ、そして、かのユリウス・カエサルが、共和政から帝政への道筋をつけています。この時代の年表を作ってみるとよくわかりますが、ローマ関連の歴史事項はびっしりと並べることができるのに対し、それ以外の地域では、かろうじて中国で政治的な動きが展開されている程度で、日本などはまだ書くべきこともありません(167ページ「古代ローマ年表」参照)。いかにローマ文明の進み具合が早いものだったかを痛感させられます。
 そのローマ史を詳細に描いた本といえば誰しも思い浮かべるのが、イギリスの歴史家エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』です(ちくま学芸文庫所収、全十巻)。十八世紀に刊行され、いまだに読み継がれているこの名著は、「両アントニヌス帝」すなわちいわゆる五賢帝の最後のふたり、アントニヌス・ビウス帝とマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝から筆を起こしています。そのタイトルどおり、ローマ帝国が勢いを失いかける頃からギボンは語り始めているのです。
 ギボンが書かなかったローマの興隆から最盛期にかけての部分を、これまで塩野さんは描いてきました。伝説・伝承のローマ誕生から始まって、王政、共和政、帝政へと物語は進み、第Z巻では初代皇帝アウグストゥスから帝政を受け継いだ四人の「悪名高い」皇帝たちの真の姿が語られ、そして第[巻では紀元六九年の「危機」の様相が描かれます。この巻では最後に五賢帝の最初の皇帝ネルヴァが登場しますが、「両アントニヌス帝」のところまで塩野さんの筆が及ぶのは、おそらく第]T巻、二〇〇二年のことになりそうです。ここでやっと『ローマ帝国衰亡史』とドッキングするわけです。
 それにしても、二〇〇〇年の後に、ひとりの東洋の作家が、これほどのスケールでローマの通史を描くことになろうとは、ローマの三十万の神々も、塩野さんが敬愛してやまないカエサルも、予想だにしなかったことでしょう。西洋はともかく東洋には例のないローマ通史だけに、このシリーズは韓国語、中国語にも翻訳され、韓国、台湾の人々に幅広く読まれています。特に韓国での「塩野ブーム」は凄まじく、類のないベストセラーになっています。
(出典 「塩野七生『ローマ人の物語の旅』(新潮社)」「『ローマ人の物語』の読み方」)

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[Last Updated 11/30/2000]