8 『ローマ人の物語Z』の書評

悪名高き皇帝たち ローマ人の物語Z  塩野七生著
為政者の業績見直し現代に教訓本「悪名高き皇帝たち-ローマ人の物語」

 塩野七生氏の全作品にいえる特徴は、歴史を扱うことが現代を生きる知恵の開示につながることであろう。金融危機対策、災害復興、国家安全保障、食糧確保など、ローマ皇帝が担った重い責務は、そのまま現在の為政者の関心事にほかならない。『ローマ人の物語』の最新作第七巻が扱うティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロの四皇帝は、帝政を始めたアウグストゥスの後に続いた人物たちである。かれらの人格と業績は、タキトゥスはじめ古代の歴史家から厳しく指弾されてきた。しかし、ローマ帝国の基礎は揺るがず、その機能は深まりさえした。この謎を独特な史観と感覚で解いたのが本書である。
 まず塩野氏は、ローマ帝国が現代であれはEUのような一大経済圏であった点を強調する。主食の小麦を輸入に頼る生き方は、統治の理念や政策との関係もあって、たやすく変えるわけにはいかなかった。歴代の皇帝たちは、いつもそれに気を配っていたティベリウスや、小麦輸送船の損害を補償したカリグラのように、本国用の小麦を保証することを重視した。クラウディウスにしても、オスティア港を改善する港湾工事を決行している。
 百万都市のローマでは飢えで死ぬ人はなく、本国イタリアでも「食糧寄こせデモ」さえ起きたことがなかった。人間が天候の気まぐれを制御できなかった時代にしては、これは奇跡というべきだろう。
 そこから塩野氏は、歴史家タキトゥスが国際政治上の事情を顧慮せずに、食糧不安という現象面だけを強調したのは当を得ないと反論するのだ。ティベリウス晩年に起きた金融危機なども、当世風にいえは「貸し渋り」だという分析も鮮やかである。ネロの経済改革のうち、間接税全廃の提案を除くと、国庫の一本化と通貨の改革が長く帝国の政策として受け継がれた。その理由を詳しく知るなら、現代日本の経済危機を突破する手がかりも見えてくるかもしれない。まさに<教訓の書>なのである。
 (しおの・ななみ) 1937年東京生まれ。学習院大学卒。イタリア遊学後、68年『ルネサンスの女たち』を発表。70年よりイタリア在住。著書に『チエーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』『海の都の物語』など。
(東京大学教授 山内 昌之)        (新潮社・3,400円)             (出典 日経新聞 1998.11.8)

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[Last Updated 12/31/2000]