9 『ローマ人の物語\』の書評

賢人の世紀 ローマ人の物語\  塩野七生著
等身大の皇帝像さめた日で記述

 ローマ帝国が中近東から北アフリカを網羅する広大な版図を有した二世紀の、三人の賢帝たちの物語である。その素顔と理念と行政手腕と人望とが、精査された史的データから浮かびあがってきて、トライアヌスとハドリアヌスとアントニヌス・ピウスが見事に三人三様の相貌を見せている面白さが、先ず読者の好奇心や関心をそそる。賢帝どころか愚かな権力者もローマ帝国には実在していたのだから、ここに登場する三人の卓越した治世と比較したくもなるのだが、本書はそういう通俗な物差を許さない。
 皇帝とはいかなるものか、ローマ帝国にあってかれらはどのような責務を果たしてきたか(安全保障、国家統治、社会資本の充実)を、著者は人類史という鏡に写し出し、とくにこの三人の賢帝たる所以を、推理を極度に抑制して説き明かしてくれる。賢帝の規範を抽き出すとか、一個の人格をもった公人としてのこの三人の姿勢を批判したりせず等身大に描き取ろうとする辛抱強い記述の仕方に、いつもながら私は感服する。皇帝を裁くことはいとも易しい。賢帝と崇められていても時には理不尽な行為もする。が、それらを針小棒大に論(あげつら)うことなく冷めた視線で俯瞰しているから、「皇帝もまた悲しい人間」という真実が胸に染みる。
 とりわけハドリアヌスの行動の軌跡に私は惹かれ、日本での西洋史の教育の貧困を改めて思い知らされもした。二十一年間の治世のうち本国に居たのが僅か七年、広大な領土への視察巡行に当てたという「旅する皇帝」の心理たるや並のレベルではない。前線視察では兵士と食事を共にする人が一方では詩文に長じギリシャ的教養を身につけ、ユダヤ人の通過儀礼である割礼を禁止し、美少年をこよなく愛する自己中心的な性格であったという、そのような多面性を著者は「あつかい易い人物ではない」と評しつつ、われわれにその素顔がくっきりと見えるように、つまり二世紀のローマ帝国の空気が背後で震動するように描写して、そこから「賢帝とは何か」の問いを読者に投げかける。
        (新潮社・3,000円)      詩人 松永 伍一         (出典 日経新聞 2000.11.5)

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[Last Updated 12/31/2000]