人の目がこわい



 私は、「癒し」という言葉がどうも好きになれない。これをはやらした一人が上田紀行である。

 『日本型システムの終焉』では、「癒されない子どもたち」の存在について語っている。彼らは、自分自身に対する深い無力感、だれも自分のことを分かってくれないという孤独感、この2つにさいなまれているのだ。
 いま、大学教育には、「癒し」の観点が必要だ。隣の人とも語ることができないと思い込み、自分の好奇心よりもほかから与えられる課題に過剰適応し、学ぶことが本質的にワクワクすることだということを想像することすらできない大多数の学生たち。
 その中で行われる教育は、「セラピー」的な要素を含んでいかないことには成り立っていかない。学生たちは高校までの教育で疲弊している。宗教をマインドコントロール、洗脳だという前に、ぼくは、教育全体が巨大なマインドコントロールであり、学ぶこと自体の楽しさではなく、評価を異常に気にするようにしむける洗脳教育だと思う。
 彼が赴任した愛媛大学では、無気力な学生ばかりが入学してきた。その原因が高校までの教育の中にあることを発見する。学生たちは「周囲の期待に応え、みんなと同じことをしなければ、必ず排除され、いじめられる」と教えられてきたのである。
現代において個の確立を疎外しているのは、実は前近代性だけではない。個の確立を誘導しているように一見見える近代のパラダイムこそが、奇妙なことに個の自発性、個が個であることを疎外しているのである。(中略)そもそも日本は伝統的に「人の目」を気にする風土を持っていた。それは「世間」という最大公約数的な「人の目」から自分は見つめられているという自己像である。
 そして「意図」のシステムに過剰適応した若者が大学に進学してくる。
 宴会の目的は「盛り上がる」ことであり、その場に参加する人は、その目的のために効率的にふるまわなければならない。現実の行動が、あたかもロールプレイングゲームのように、一見自由でありながら、じつはどの場においても作者の「意図」のもとに進んでいくことが求められている、と感じる意識は強いのだ。
 「人の目」「意図」「効率性」、それが現代の日本を覆っているシステムに他ならない。
 でも、これらはどれも言い古されたことである。むしろ私は彼の地方体験に興味をおぼえた。愛媛という地方都市に住んだときのカルチャーショックに。そして上田は、かつて松山大学にいた仲田誠氏の「愛媛はわびしい停滞社会」という文章を紹介している。
愛媛の刺激に乏しく単調な生活、新しいものを想像する意欲のまったくない人々を批判し、何よりも言いたいのは「なんとかならぬか閉鎖性」だと結んでいる。
 また別のインタビューで次のように語る。
 愛媛とかに行くと、匿名制が解放であるっていう感じはしますね。町とか歩いてても、もう「坊ちゃん」の世界で、誰がどこで何やってるかってのは明らかなわけなんですよ。そういう意味では、匿名で何かやれるっていうのはありがたいですよね。
 匿名な人間は、しかし、責任がないっていうことはないんですよね。例えば、匿名なところで、肩書きから解放されて、生身の人間としている場合には、逆に、人間としての自己責任というのは、ものすごく問われなければいけないじゃないですか。一人の実存としての責任とでも言いましょうか。
 最近、多くの高齢者がインターネット上の人になっている。ある人曰く、「近所の人と話せないことも、インターネットだと話せる」と。この気持ちは痛いほど分かる。

 かつて高度成長の時代に、若者は田舎を捨て都会へ出た。その理由のひとつは、共同体が個を圧殺していたことにある。しかしいまだに共同体は生きている。これからは地方の時代だ、という人もいるが、そんなものうかつには信じられない。地方を変える力を持つのは、都会的なものだけではないのか。たとえば宮城や長野は東京から知事を迎えることで自己改革をはじめている。私はまだ地方が東京を変えた例を知らない。

 上田は、スリランカも愛媛も東京も差別しない。そんなグローバルな視点からローカルを見つめている。そしてアメリカの「癒し」の専門家たちに問う。
 彼らに「なぜカリフォルニアで癒しが発展し、ニュー・エイジが生まれたのか?」という問いを向けると、「カリフォルニアは、根こそぎにされた人々の土地であり、深い存在の不安と苦悩に彩られた土地だからである」という答えが異口同音に返ってきた。
 アメリカに渡ってきた人々は、旧大陸の共同体からはじき出され、根を失った人々である。(中略)その開拓民たちは皮肉なことにアメリカ先住民たちの土地を奪い、彼らの根を奪っていった。
 「能天気なカリフォルニア」というイメージとは正反対の、「根を失い、傷を負った」カリフォルニアという見方に、ぼくは驚愕した。
 いったんこれまでの共同体が崩壊し、個として孤立感を味わい、そのうえであらたな共同体を作っていく。そんなプロセスが必要なのではないか。しかも開かれた共同体を。

 森岡正博も上田紀行も、ともに日常の言葉で語る。出版の世界も、団塊の世代から次の世代へ移ってきたことを感じる。やがて、さらに若い1960年代の人が主役になるのだろう。
(2001-03-02)
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