時間よ、止まれ



 久しぶりに高野文子を読む。『黄色い本』には、4つの短編が収められている。

 「黄色い本」は、不思議な作品だ。『チボー家の人々』の本自体をクローズアップしてコマに描き込み、本文を手書き文字で読ませる。作品に没入する田家実地子は、ジャック・チボーと語り合うまでになる。そんな妄想と日常生活がオーバーラップしている作品だ。

 おそらく高野自身の読書体験が投影されているのだろう。高校3年生の女の子が、進学校の生徒でもないのに、5巻ものの大作を読んでいる。高野も10代でそんな遅読の楽しみを味わったのか。

 残念ながら、私にはそういう経験がない。小説は、短編以外あまり読まなかった。義務感にかられて『嵐が丘』にトライしてみたが、忍耐力を試されているようで、以後無理に通読しなくなった。

 ということで、大作に没入するという経験を10代で味わうことはなかった。ストーリーものは、おもに映画とマンガが担当してくれた。

 「二の二の六」では、高見順の大活字本が小道具に使われる。高齢者であるサキさんに、ヘルパーの里山まり子が読み聞かせする本として。

 「黄色い本」は実地子だけの妄想だが、「二の二の六」はまり子とサキさんの長男の二人の妄想が交錯する。「黄色い本」に、るきさん的なゆるさがブレンドされて「二の二の六」となった。

 読んだそばから、もう新作を期待している。つぎは、どんな作品かな。
  • 黄色い本 ジャック・チボーという名の友人 高野文子 講談社 2002 アフタヌーンKCデラックス \840

(2006-06-20)