理想主義者の自伝



 高木仁三郎は、長い間「原子力資料情報室」の代表を務めてきた。『市民科学者として生きる』は、そんな彼の自伝である。

 大学を卒業して企業の研究者となり、放射能と格闘する日々を送る。会社に勤めるうちに、だんだん安全性に鈍感になっていく。
後年、原発問題の講演会で、「専門家が放射能の怖さをいちばんよく知っているはずなのに....(事故時の放射能放出などに無神経なのはなぜか)」とよく質問を受けたが、仕事が安全に優先する心性は、すでにいちばんスタートの現場から出来上がっているのである。
 そして4年あまり勤めた会社時代を振り返り、次のように総括する。
人々は自主規制することで会社に忠誠を誓い、その代償として終身雇用を保証されていく。(中略)戦後の民主教育の基本精神は、企業というシステムの中に入ったとたんにその教育効果によって、漂白され、失われてしまうのではないだろうか。
 その後大学に職を得て、またびっくりしてしまう。
企業と大学では、組織の目的も構造も違う。しかし、暗黙のうちにある種の家族共同体的な集団に共通の利害が形成され、それを守ることが自明の前提になる。あいまいな意思決定過程と、個の自立を好まない共同体的意識はよく似ていると思った。
 これらのことは、日本の文化論として語り尽くされている。でも実体験者の声を聞くと、やはりうなづいてしまうのである。

 高木氏は、ハーバーマスの『認識と関心』に一番影響を受けた。槌田敦の科学的な正しさだけでは不足であり、好ましさの科学の必要性を説く。それがやがて彼の理想となり信条となった。

 正しいことをしようとすることは危ういという槌田、理想主義的な市民活動家であろうとする高木、同じ環境論でも立場は大きく違う。近い将来どちらかの選択を迫られるのかもしれない。
  • 市民科学者として生きる 高木仁三郎 岩波書店 1999 岩波新書新赤版631 NDC539 \700+tax

  • 科学は変わる 巨大科学への批判 高木仁三郎 社会思想社 1987 教養文庫1199 NDC404
     ハーバーマスについて言及
(2001-01-26)
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