宇宙飛行士になりたい



 立花隆の『宇宙を語る』では、宇宙飛行士の毛利さんや向井さん、河合隼雄や司馬遼太郎など8人と対話している。彼は以前NASAのパイロットにインタビューした本『宇宙からの帰還』を書いている。

 この新しい本『宇宙を語る』を読むと、宇宙開発の現状もある程度わかかる。たとえば、ロシアのソユーズで打ち上げると、1キロ180万円の経費がかかる。これがアメリカのスペースシャトルだと5倍のコストがかかる。日本の宇宙関係の研究者の数は、アメリカの100分の1、ヨーロッパの10分の1。日本の宇宙関係の予算は、年間1600億円(1990)で、東京の地下鉄5キロの建設費に相当、などなど。数字は、ある程度の真実を表す。

 かつて田中真紀子が科学技術庁の長官をやったときに、衛星の打ち上げに失敗したことがある。今宇宙関係のお役人は、20名程度しかいないそうだ。科学技術庁の内実は、ほとんどが原発関係だという。少なくとも原発と宇宙開発を秤にかけるなら、宇宙に金を使ってほしい。

 しかし立花のように日本が有人飛行を独力でやることに賛成できない。宇宙飛行士を養成し、宇宙ステーションに行って仕事をするまでが、許容範囲だと思う。それ以上やると金も資源もかかりすぎる。それに国家レベルでの競争に加わるのはあほらしい。むしろアメリカに堂々と技術移転を要求すべきではないか。

 よく人類が宇宙に進出するのを、水中の生物が陸を目指したことと対比して、生命の必然のように言う人もいる。しかし水中生物は自力で、たくさんの命を落として適応したのだ。人類は、ロケットで行こうとしている。ここが本質的に異なる。人類は、地球を離れては生きられないのだ。

 もし日本が新しいことをやるとするなら、惑星の探査にターゲットを絞るといい。日本の技術を結集して、低価格かつコンパクトな探査機を作り、宇宙ステーションから発射するのだ。もちろん得られた科学的なデータは、世界中に公開する。日本製の探査機のほうが信頼性、コストパフォーマンスが優れていれば、世界中から測定の依頼が集まるだろう。これなら税金を使ってもいい。

 ヒマラヤの山中には、登山隊が残した酸素ボンベなどの装備品が散乱している。宇宙空間にこれだけ人や物が移動すると、同じ状況が生じているはずだ。宇宙進出の前提として、今のうちに宇宙空間のゴミ問題を議論しておきたい。天からゴミが降ってくるのは、まっぴらだから。
(1998-10-05)