書いて伝える芸能人「佐野真一の10代のためのノンフィクション講座」というやつを2冊読んだ。どちらも青少年でも読める大人向けの本である。 総論篇の『だから、僕は、書く。』は、「森の聞き書き甲子園」という高校生向けの研修会での基調講演に加筆したものが中心である。「エンターテイメントは、無我夢中という意味だ」、「文章にリズム感がない人というのは、ダメです」、「知識よりも知恵のほうが高級」、「道草を食え」、「記録にとどめたものしか、記憶に残らない」などのフレーズが並ぶ。ドキュメンタリー映画を重視し、近ごろは教育にも関心を寄せている。 実践篇の『だから、君に、贈る。』は、「心のフットワークで事実に迫れ!」という講演に加筆したものが中心である。その講演は「課外授業 ようこそ先輩」をメインにして話がすすめられている。番組を見た人はご存知でしょうが、「自分が思っていることを相手に伝える」ということがテーマだった。 「戦後教育で最も欠けていたものは、インタビューとかフィールドワークだ」、「分析的記述をするには、知識と経験が必要」、「本こそ精神のリレーを可能にする最も強力で確実な武器だ」、「図書館とは、人から人へ、大人から子どもへタスキを渡すための装置だ」などのフレーズが並ぶ。しきりに宮本常一を礼賛している。 第7章の「長い旅の途上で」は、生い立ちから駆け出しの編集者になるまでの自伝だ。私とは対極のヤクザな稼業にいた人だ。それなのに志向するところがとても似ている。受け取ったタスキに、一部似たところがあったのかもしれない。佐野氏が『だれが本を殺すのか』を書いていなければ、この本とも出合うことはなかっただろう。 僕は、人間の価値の中で最も階位の高いのは、その人間が懐かしいか、懐かしくないかだと思っています。そして、人間の感覚のなかでいちばん重要なのは、ユーモアの感覚だと思っています。はるか高い目標ですが、その二つを兼ねそなえた「寛容な」人間が、僕の理想とするところです。ユーモアと寛容は、私もめざしている。しかしある人に「懐かしいです」といったら、「あなたのこと、覚えてません」といわれたときはショックだった。
<戻る>コマンドでどうぞ
|