教えるということ



これまで、自分がいかに学ぶかには関心があっても、いかに教えるかについてはそれほどでもなかった。「教えること」について考えるための本を見つけた。

大村はまは、かつて日本でいちばん有名な教師だった。うかつにも21世紀まで永らえたとは知らず、自分がその著書を手にすると思わなかった。

『教えることの復権』は、教え子の苅谷夏子が企画した対談本で、夏子と大村の対談が軸となっている。そこへ夏子の夫剛彦もからむ。苅谷剛彦は、教育社会学の専門家である。夏子が受けた単元学習の課題も紹介されていて、大村の授業を間接的に体験できる。最後に剛彦がまとめの文章を書いているが、蛇足のように感じる。第5章は削り、もっと大村の話を聞きたかった。

「ことば」の単元学習では、国語の教科書の中から「ことば」という単語をカードに書き出す。このとき1枚に1例という原則を学ぶ。用例カードがそろったら、2枚のカードをくらべて、「ことば」の使われ方や意味が同じかどうか判断する。このとき、つねに目の前の2枚だけをくらべなさいと注意を与える。最終的に、クラス全員が私家版の辞書の一項目を書き上げる。それをプリントして発表会を行う。

教科書を読むだけで10コマくらいの授業数がかかる。そうやって、じっくりものを考えるという基本姿勢を身につけていく。こんな授業を、成績優秀な生徒の集まる付属や私立ではなく、公立中学のクラス全員がやり遂げる。もちろん、先生は生徒をうんと助けている。でも、自力でやり遂げたと思ってしまうほど、助け船の出し方がうまい。そこが教師の腕の見せどころ。

作業するときには、そのつど下書きなしで書いた「てびき」を渡す。
教室の子どもになって、たとえば小林さんならこの場面でこのことばから思いつくな、というふうにてびきを作っていくんですよ。それがコツです。とても具体的なもので、子どもなしにはできない。子どもの心を読みながらやっているわけ。(p105)
大村には、てびきをしたくらいでは子どもの主体性は損なわれない、という信念がある。だからこそ、教えることが教師の本務であると言い切れる。

こんな授業を30年以上やっても、同じ単元を繰り返すことはない。
私にとって繰り返さないということは、教材としての理由というよりは、教室へ出る自分の姿をよい状態で保つ、主にそのための工夫でした。なにせ新しいものを持って教室に出るというときは、新鮮で、誰よりも自分がうれしいのですよ。(p66)
教師のもっともいい姿は、新鮮だということと謙虚だということだ。
新しい単元を持って出るときに、私はちっとも得意ではないのですよ。心配。大丈夫かな、うまくいくかしらって心配している。謙虚になっている。その心配している気持ちがとても子どもに合うのよ。(p67)
単元学習は、戦後すぐに無手勝流ではじまった。べつに手本があったわけではない。寝る時間がじゅうぶんとれなくても、授業の準備に時間をついやした。
授業中に子どもがかわいいなんて思ったことはないですよ。そう言うと子どもによく笑われたけど。この子はかわいいか、かわいくないかなんてね、そんなこと考える暇がなかった、忙しくて。(p89)
目標をさだめて授業を行ったら、かならず成果をチェックする。能力チェック・リストには、「積極的に参加する」「発言が多過ぎる」「主題からそれる」「よい転機をつくる」などの項目がならぶ。こういう表をあらかじめ作っておき、生徒ひとりひとりをみていく。
子どもを知るというのはとにかく大変なことですよ。教育の仕事で最大のものではないかしら。その力を持たずにいろんなことをやっても、うまくいかないというくらい。(中略)
私がいろんな話をしていて子どもも面白く聞いているうちに、思わず自分から自然に出てくる話、そのなかにピンピンと感じるものがある、それを感じとるのが教師の力じゃないの。(p108)
大村の話は、具体的なところがいい。
たとえ2人、3人相手でも、面白い話をいっぱいしてあげましたね。いつもクラス全体に向かって話しているわけじゃないのよ。ストーブにあたりながら話したりする。子どもはおしゃべりでね、一つでも胸に響いた話を聞くと、友達にしゃべりまくるわけよね。(p98)
とか、
よく廊下で生徒を呼び止めて、ちょっと、○○っていう字を書いてみて、なんて言って、その場で書かせたりしたものでした。この前、書けなかったでしょう、って。呼び止められたら災難で、生徒は緊張して書いてみせますよ。そりゃ、緊張するでしょうね。でもそのかわりうまく書けたら、ご褒美としてあのころ人気のあった記念切手をあげたりしていたんです。ちょっと面白く、しかも緊張するのが大事なんですよ。(p162)
こんな教室以外でのささやかな働きかけの積み重ねが、単元学習をより効果のあるものにしたのだろう。

教育の本は、ともすると教師向けの技術本と、やかましい論争本とに分離しやすい。教育の根本にある「教えること」について具体的に書かれたこういう本こそ、考えるための出発点となるのではないか。つまり本書こそ、「教えること」についての単元学習のための教材である。
  • 教えることの復権 大村はま、苅谷夏子、苅谷剛彦 筑摩書房 2003 ちくま新書 NDC370.4

(2007-07-19)