東の魔女



梨木香歩の作品との出会いは、『西の魔女が死んだ』が最初だった。文庫版でもう一度読んでみた。

ゆったりとしたレイアウトで200ページに満たない。しかし余計なエピソードも入らず、コンパクト感のある作品だ。このくらいがちょうどよい。

おばあちゃんは、山の中にある家にひとりで住んでいる。そうじが行き届いているはずなのに、なぜか汚れたガラスが存在する。そんな違和感をおぼえるところが、みな伏線になっている。

ひとり暮らしのおばあちゃんに預けられ、やっと慣れたころに、都会へ帰っていくのは、韓国映画「おばあちゃんの家」(2002)と同じパターン。魔女の末裔が魔女になる修行をするのは、宮崎駿「魔女の宅急便」(1989)の系譜。背景に学校でのいじめがあるところが、今の日本を反映している。

おばあちゃんはイギリス人ゆえか、身体は魂の宿だと考えている。魂の成長にとって身体が必要で、死ぬと魂が身体から抜け出すのだと。心身二元論みたいなものか。ここにひっかかって、あれこれ考えずにはいられない人が、哲学に関心を寄せるのだろう。

まいがいちばん気に入ったのは、古い切り株のある明るい場所。そのまわりを楠、栗、樺などの木が囲んでる。切り株の窪みにはスミレが咲き、ホトトギスが鳴き、さわやかな風が吹き抜ける。

学校に行かなくなり、宵っ張りになってしまったまいは、おばあちゃんの家で生活のリズムをとりもどす。そしてこのお気に入りの場所は、小鳥の胸毛を織り込んで編まれた小さな巣のように感じられた。そこでおばあちゃんから聞いた魔女の話を思い起こすうちに、「何だかうきうきとして、目の前が明るくなっていくような気がした」。

森には、気持ちのいい場所というものがある。冬枯れの雑木林などは、ぽかぽかして暖かい。歩き回ってもいいし、落ち葉の上に寝ころんで昼寝するのもいい。陽だまりで本を読んだってかまわない。

最近、森林セラピーとかいうのがはやっていて、都市近郊の公園でも遊歩道が整備されつつある。探せば、近所に穴場があるかもしれない。

短いストーリーながら、野いちごのジャムを作る場面はていねいに描かれている。ジャムができあがったときに「来年も、その次も、ずーっと手伝いにくるよ、おばあちゃん」とまいが言っても、おばあちゃんはうれしそうに笑うだけで、何も言わなかった。この物語の結末を知っていると、なんとも切なくなる場面だ。

梨木は「渡りの一日」という後日談を書いたが、思春期ではなく大人になったまいの物語を読んでみたい。『りかさん』をベースに『からくりからくさ』を書いたように。
  • 西の魔女が死んだ 梨木香歩 新潮社 2001 新潮社文庫
     「渡りの一日」も収録
(2008-02-17)